《過剰診断を確かめるなら他の地域で甲状腺がん検診をおこなって比較すべきだ》との意見について

裁判と報道

私は、過剰診断で定期的に検索しているのですが、TBS『報道特集』で裁判(「原発事故で甲状腺がんに」6人が訴えた裁判始まる 東電は争う姿勢:朝日新聞デジタル)が採り上げられて以降、

福島で見つかった甲状腺がんが過剰診断だと言うのなら、他の地域でも検診をして比較すべきではないか

といった意見が見られるようになりました。その主張そのものは前からありましたが、報道で多くの人に情報が流布される事によって、関心を持つ人の総量が増え、SNSで意見を言う人が一時的に増えている、のような現象かも知れません。

理由はともかく、そういう考えを持っている人がいるのは事実です。ここでは、その考えについて検討します。

過剰診断とは

まず、この話で一番重要な過剰診断とは何でしょうか。

過剰診断とは、それによって症状を起こしたり、それによって死亡したりしないような病気を見つける事である

これが過剰診断の定義です。私たちが病気というものを気にするのは、それが痛みなどの症状を起こしたり、進行して死んだりしてしまうからです。けれど、病気によっては、それに罹ったとしても、症状が出ないまま一生を過ごす事があります。今の話題はがんですが、意外に思われるかも知れませんけれど、がんであっても、それによる症状が出ずに、他の病気に罹ったりして死ぬ事があります。また、他の病気では無くても、がんに罹ってから症状が出る前に、交通事故に遭って死んでしまう場合もあるでしょう。もしこういう病気を生前に見つけたのだとしたら、それを後から振り返ってみれば、

見つけなくても良かった病気を見つけた

と考えられます。この見つけなくても良かったのを見つけるから、過剰診断と言うのです。

これはたまに見られる間違いなのですが、過剰診断は次のような場合ではありません。

誤陽性(偽陽性
検査で、病気で無いのに病気があるかもと判定(要精密検査など)される事
誤診
最終的な診断で、罹っていない病気であると確定される事

両方とも、検査の流れのどこかで罹っていない病気であると判断されるものですが、過剰診断はそうでは無く、

正しく診断される

事で起こります。これは、過剰診断の話を考える時に一番大切な所ですので、よく押さえておきます。罹っていない病気であると判定されるのと、確かに罹っている病気であると正しく診断されるのとでは、病気のある無しに関して正反対なのですから。

過剰診断は害である

過剰診断とは、見つけなくても良かった病気を見つける事だと言いました。
検査して病気を見つけるのは、その病気による症状を軽減したり、それで死なないようにしたいからです。また、検診とは無症状の内に病気を見つけるのを意味しますが、病気を検診で見つけるのは、後で症状が出ないようにしたり、症状が出てから見つけたら間に合わない場合に見つけて死亡を回避したりするためです。そもそも症状が出なかったりそれで死なないような病気は、見つける必要が無い訳です。だから、そういうのを検診で見つけるのは過剰診断と言うのでした。

病気が見つかったら、普通は色々の処置をおこないます。がんであれば、手術されたり投薬されたりします。処置の手順によっては臓器を摘出したりしますから、そうなったら身体の機能が変化して、薬を飲み続けたりする必要があります。化学療法や抗がん剤などに副作用があるのは広く知られているでしょう(※副作用は種類や使いかたにもよります)。

これらの処置は、全部症状や死亡を避けるためにおこなわれます。それが検診の目的。けれど、過剰診断は、症状や死亡につながらない病気を見つける用語でした。という事は、過剰診断したらそういうメリットは得られません。防ぎたい現象が起きないのだから、それを防ぐメリットを得ようが無いのです。それであるのに、処置自体はおこなわれる場合があります。何故なら、

病気を見つけた時、それが過剰診断かどうか判らない

から。病気を見つけた時に過剰診断かどうか判れば、過剰診断のものは放っておけば良いとなりますが、現状では、見つけた病気がずっと症状を引き起こさないとか、がんであればその内に消えるとか(自然退縮と言います)、それを判断する事は出来ません。それが出来ないので難しいのです。

アクティブサーベイランス

甲状腺がんなどでは、生前では見つからなかったが死後に解剖して見つかる場合があります。また、健康診断などで甲状腺がん検診がおこなわれて、それまでよりずっと沢山見つかったけれど、その後の経過が良くて、実は過剰診断が起こっているのではないか、と考えられました。そこで、日本の研究者によって、検診で見つかった時にある程度小さくて、超音波画像上での明らかな転移などが無ければ、処置をせずに経過観察して、大きくなったり転移が認められるようになったら処置をおこなう、という研究が実施されました。これを、積極的経過観察療法(アクティブサーベイランス)と言います。そして、アクティブサーベイランスがなされた結果、急激に悪化して亡くなったりするケースが見られない事が判明しました。これはつまり、甲状腺がん検診をおこなったら過剰診断になる場合があるのではないか、との考えに繋がります。

アクティブサーベイランスでも害が起こる

前に、がんが見つかってもそれが過剰診断かどうか判らないので処置をおこなう、と言いました。しかし、アクティブサーベイランスの結果、この基準より下のものなら経過観察でも大丈夫だろうという基準を設定する事が出来ました。つまり、経過観察の基準を、より厳しくしておけば、過剰診断で無いものを誤って経過観察にしてしまわない、という意味での判断は出来るようになったと言えます。

過剰診断したものに処置してしまう事を、過剰処置と言います。過剰診断の強い害の1つです。処置は手術したり身体の機能を損なわせたりするので、重大な害が含まれます。いっぽうアクティブサーベイランスは、処置をせずに経過観察する方法です。ではアクティブサーベイランスに害は無いかと言うと、そうではありません。

アクティブサーベイランスは経過観察ですが、病気と診断されている訳なので、それに基づいた心理的不安等があります。なにしろがんと言われるのですから。もちろん、診療には金銭的等のコストがかかります。また、アクティブサーベイランスは、ここまでで良いという期限のようなものは、現状ありません。ですから、がんであると認識する期間にも期限がありません。がんは症状が出ない期間が長いものがあるので、十何年以上も病気に心理的に悩まされる期間が生ずる事となります。

経過観察なら、がんと言われても大きな不安にならないよう出来るのでは、と言われそうです。アクティブサーベイランスされるものは、処置を遅らせても問題が無いものか、または過剰診断の可能性がある*1として経過観察される訳ですが、それでも、ある程度大きくなったりすれば、症状が出なくても処置されます。アクティブサーベイランスには期限がありませんので、このまま放っておいて良いと言われるのではありません。放置と経過観察は違います。ここはとても重要な所です。経過観察で良さそうだがしかし、がんはがんだ、とされるのがアクティブサーベイランスです。

また、経過観察を勧められても、手術が希望される事もあります。ずっと経過観察されるくらいなら、もう取ってしまったほうが良い、と考えるのは理解出来る所です。実際、福島の甲状腺がん検診でも、アクティブサーベイランスを勧められても手術を希望され処置した、という例があります。もしそれが過剰診断なのであれば、過剰処置もされた事になります。もちろん、処置されれば、それが過剰診断であったかは、もう判りません(その病気以外で亡くなった時、元々それで死ぬ可能性が無かったのか、処置がその可能性を無くしたのか、判断出来なくなるから)。

検診の地域比較

福島での検診の議論で過剰診断が取り沙汰される時、他の地域でも検診して調べるべきだ、との意見があります。これは、福島での発見数が激増した事の理由を過剰診断に帰する人に対する反論として用いられます。実際、1つの地域で検診したら発見数が増えた、との結果が得られた場合、その主な原因が過剰診断であるなどと、すぐに判断出来ません。過剰診断で無くても症状が出る分を見つけているのかも知れませんし、罹っている人が増えているのを反映したのかも知れません。

ただ、具体的な過剰診断の割合はともかく、比較すべきと言う意見は、

同じような情況なら同じようになるはず

という考えからそう主張していると思われます。あくまでも過剰診断は、それが目立つ語であるから着目しているのであって、ほんとうに念頭に置いているのは、がんに罹っている人が増えている事でしょう。だから、原発事故が関係無さそうな地域でも調べて同じように見つかるかどうか確かめたら良いではないか、となるのです。そう考える筋道自体は良く解ります。

倫理的な制限

検診すべきで無いと言う意見でよく見るのは、過剰診断が発見数を上げた主な原因であるというものです。で、それに対して、もしそうであるのなら他の地域でも調べるべきだ、との反論があります。しかし、その比較はおこなわれるべきではありません。

そもそも、過剰診断が多く発生していると主張する側は、

検診が、過剰診断という大きな害を及ぼしている

と言っています。そこに対して、過剰診断と主張するなら他地域でも調べるべきだ、と反論するのは、

他の地域でも過剰診断という大きな害が及ぶか調べるべき

と要求しているのを意味します。検診で過剰診断(害)が起きている? じゃあ他の地域でも過剰診断(害)が起きているか、調べたらはっきりするではないか、と言っているのと同じです。

医療的な行為を積極的におこなって(介入と言います)その影響を調べるには、倫理的な制限がかかります。効果がはっきりしないか無いのが判っていたり、害が及ぶと想定される場合には、そのような介入は認められません。害が及びそうな時は、必ず便益がそれを上回る公算があるべきですし、害が及ぶ可能性を、必ず研究協力者に同意してもらわねばなりません。たとえば、強い害の生ずるのがはっきりとしているタバコなどは、その影響を確かめるために、タバコを吸ってもらって研究する、など出来ません。出来るのは、先に調べる集団を決めておいてタバコを吸った人とそうで無い人を調べるとか、肺がんに罹った人と罹っていない人でタバコを吸う習慣を較べるとか、そういう方法に限られます。

同じように、甲状腺がん検診は、過剰診断が発生する事が懸念され、しかも検診で効果があるのは認められていません(これを有効性の評価と言います)。ですから、過剰診断という害があるだろうと主張するものに対し、じゃあ別の地域でも調べるべき、と返すのは、倫理的に問題のある事をすべし、と言っているに他なりません。

比較したとしても

このように、発見数の増大の原因を過剰診断に帰する意見に対し、他地域での検診による比較を促すのは、倫理的観点から筋の悪いものであるのが解りました。では、仮に他地域で検診をして比較出来たとして、それで正確に調べられるでしょうか。

地域が違うのは、そこに住む人々の色々の特徴も異なるのを意味します。遺伝的要因であったり、肥満などの割合もあります。タバコや酒など嗜好品を摂取する割合も異なるでしょうし、生活習慣なども違っているでしょう(こういうのを背景因子と言ったりします)。更に、検診するとして、検査に関わる要因も沢山あります。検査する際の判定基準とか、判定者の判断が地域の違いによらず揃うのかとか、集計はきちんとなされるのかとか、いくつもあります。もし複数地域で甲状腺がん発見数に違いが認められたとして、何がそれをもたらしているかは、すぐに明らかに出来ないのです。

比較がおこなわれた例

このように、比較を促すのは倫理的に問題があるし、もし比較されたとしてもすぐに原因等について確かな事を言えるとは限りません。これを前提として捉えるのが重要です。

ただし、実は福島の検診に関係するものとして、他地域での検診が実施された例があります。それが、甲状腺結節性疾患有所見率等調査事業、いわゆる三県調査と呼ばれるものです。

www.env.go.jp

この調査は、

福島県が行う県民健康管理調査の一環として18歳以下の者に行っている甲状腺超音波検査において約40%の住民について5.0mm以下の結節又は20.0mm以下ののう胞(以下「A2判定」という。)が認められた。この状況を受け、平成24年度甲状腺結節性疾患有所見率等調査事業(以下「3県調査」という。)として、福島県以外の地域(青森、山梨、長崎)において、18歳以下の者を対象に甲状腺超音波検査を行った

というものです。つまり、福島での検診によって、注意すべき所見が得られた割合が多かった事から、事故に関係しないであろう別の地域に検診をおこなったものです。そしてその結果、甲状腺がんが1人に発見されました。この結果の解釈については色々ありますが、それは今の議論とは文脈が異なるのでひとまず措いて、重要なのは、検診の比較がおこなわれた所です。

医療的な介入で、便益の認められていないもの、大きな害の公算があるものは、倫理的な制限を受けると言いました。しかし実際、三県調査はおこなわれています。これは重大な事実です。この調査がおこなわれた事自体に対して、倫理的観点からの批判的検討がおこなわれるべきです。小児なので過剰診断の害の大きさはあまりはっきりしていませんが、甲状腺がん検診に便益のある事は、全く認められていません。そもそも小児では有症状での甲状腺がんの頻度が低いので、検診をする積極的な動機づけが無かったと言えます。それなのに実施してしまったのです。倫理的には、三県調査があるのだから同じように他地域で調べるべき、では無く、倫理的に問題である三県調査のような比較をおこなうべきで無い、となります。

三県調査に関わった緑川早苗氏は、早野龍五氏との対談で、三県調査に言及しています。

synodos.jp

私は三県調査に深く関わりました。青森では4回ほどプローベも握っています。そして今、説明会でもあのときの結果を使わせてもらっています。ですが、私は三県調査をしていただいてしまったことを、深く後悔しています。あんな検査をしていただかなければ、「嚢胞は心配のないものだ」という事実すら、住民に伝えられなかったなんて。

このように、検診の比較に携わった医師が、私は三県調査をしていただいてしまったことを、深く後悔しています。と述懐しているのです。緑川氏は現在、過剰診断の害を主張して福島の検診を強く批判していますが、その主張の是非は別にして、三県調査の関係者が後悔しているという所が重要です。

まとめ。過剰診断を測る難しさ

ここまで見てきたように、福島で甲状腺がんの発見数が激増した主因を過剰診断に求める主張に対し、他地域の比較を要求する反論は、倫理的にも理論的にも筋の悪いものである事が解りました。しかしこれは、発見数増加の主因が過剰診断だと言える材料には、もちろんなりません。あくまで反論として不適当であるに過ぎません。実際、発見数の内のどのくらいが被ばくによって増えた分なのかとか、過剰診断の割合は、などを測るのは困難です。

この議論は、発見する事自体が発生数を解らなくするという、方法的な大問題を抱えています。検診によって調べる事で解らなくなった、という事態なのです。たとえば、いつもは土から頭を出しそうな筍を掘って本数を記録していた所に、そこら中を深く掘り尽くして、小さな物まで根こそぎ筍を収穫したと考えてみてください。そこに生息している筍の本数が変わらなくとも、それまでと違う掘りかたをする事によって、掘られた筍の数に大きなズレが出てくる訳です。

過剰診断がほとんどであるとの論も確立されたものではありません。症状が出るもの(これは過剰診断にはならない)を見つけているかも知れませんし、実は被ばく以外の要因も関わっているのかも知れません。ほんとうの所は調べないと解りませんが、調べる事そのものが困難になってしまっているのです。

twitterなどを見ると、色々の意見や見かたをしている人がいて、それぞれが乱暴に意見をぶつけ合ったり喧嘩腰でやり取りをしていたりします。それでは建設的な議論は望めません。他の地域を同じように検診して調べるべきだとの意見1つを検討するだけで、ここに書いたような沢山の観点から見る必要があるのです。それを踏まえて、事実はどうなっているか、どうすれば確かめられるのかを丁寧に考えるのを心がけたいものです。

参考文献

【PDF】成人の甲状腺低リスク微小乳頭癌 cT1aN0M0 に対する積極的経過観察の適応と方法: 日本内分泌外科学会 甲状腺微小癌取扱い委員会 による提言

www.med.or.jp

www.ene100.jp

www.jstage.jst.go.jp

www.jsco-cpg.jp

*1:この2つは別もので、前者はその内に症状が出るものです