読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「暴力とゲームは関係ない、日本がそれを証明している」という意見の検討と、「ゲームと暴力の関係」の一般的な所について

追記あり。一番下に。

実は「銃犯罪」

元米下院議長「暴力とゲームは関係ない、日本がそれを証明している」 | インサイド
ここで紹介されているナンシー・ペロシ氏の意見を考察します。
司会者に水を向けられたのに対し、ペロシ氏は、

「私は母であり、祖母です。暴力的なメディアについての憂慮をもちろん理解しています。しかし、例えば日本を見てください。そこにはもっと暴力的なゲームがあります。しかし遥かに銃犯罪は少ないのです。もし米国と日本に違いを見つけようとすれば、より良い銃規制の法律がある事しか見出すことはできません」と返答。メディアの違いではないと強調しました。

(強調は引用者)日本を引き合いに出して反論している訳ですが、よく見ると、日本では「銃犯罪は」少ない、と言っているようですね。これは、「銃の所持のしやすさ」と銃犯罪との関連を前提しているという事で、直感的にも尤もらしい意見のようには見えます。で、比較としては、アメリカと同様に銃が所持しやすい国と較べる、というのも重要な気がします。
それらを念頭に置くと、タイトルにある暴力とゲームは関係ないという事自体をペロシ氏は主張してはいない(少なくとも記事の要約ではそう判断出来ない)と言えます。銃犯罪は、暴力犯罪の一部だからですね(銃犯罪を、銃を用いた暴力犯罪と定義するなら)。可能性的には、暴力犯罪がすさまじく多くて銃犯罪はごく少ない、というのも有り得る(実態は措いて、理論的な可能性として)。

一般的な所

ここからは、「暴力とゲームの関係」という一般的な所についてどう考えるか、という話。
この種の議論の肝はもちろん、「暴力(性)」と「(暴力的表現を多く含む)ゲーム」との因果関係である、と言えます。
因果関係ですから、ゲームをやれば暴力性が高まる、という関係があるという命題ですね。で、関係を検討するには、それぞれの概念をはかる「指標」が必要です。「ゲーム」の場合だと、社会的な観点なら、ある表現を多様したようなゲームが売れた本数、買った人々の層、全体のゲームに占める割合、等が指標として用いられ、個人への観点なら、ゲームを行う時間等が考えられます。「暴力性」をはかるものとしては、犯罪件数等が使われます。一応、それらの性質がはかれる指標がある、と考えておきます。
それで、社会的な視点で暴力性とゲームの関係を考える時には、
(暴力的表現が多の)ゲームが暴力性を強く喚起するのなら、暴力的な事件が多発するであろう
と仮定し、実際を調べて評価する訳ですね。それで議論が行われる。そこで挙げられるのは、ゲームの売上の推移と暴力事件の件数の推移のデータ等です。
で、ここからが難しいのですね。と言うのは、この種の議論では、関連と因果関係の区別とか、影響の大きさとか、そういう事にきちんと諒解が得られないままに議論がされる場合があるからです。諒解が得られていないので、議論は当然噛み合いません。
たとえば、

  • ゲームの売上が増えた
  • 暴力犯罪の件数が増えた

という事実があったとします。ここから、「ゲームは暴力性を高める」とすぐ言えるか。
言えません。どうしてかと言うと、ここで確かめられたのは、ゲームの売上が増えたのと同時に犯罪の件数が増えたという事だけだからです。これだけでは、「暴力性を高める他の要因 X」がある可能性を否定出来ないのですね。つまり、ゲームの売上と犯罪件数という2つの指標の変化を見て、そこに関連があったからといって、それはただちに、その指標に因果関係がある事を意味しない、という訳です。
ところで、ゲームの害を強く確信する人は恐らく、
ゲームが暴力性を高めるなら、暴力事件は激増する
という主張になります。要するに、「影響の強さ」について、それが極めて大きいと考えている。だから、社会的、という大きな視点で見てさえ顕著な変化が起こっている、と認識しています。言い方を変えると、「社会的視点から見て犯罪を顕著に多発させるほどの影響力をゲームは持っている」となるでしょう。
もしゲーム悪影響論者がこういう主張であれば、その主張を変形して、
暴力事件が多発していないなら、ゲームは暴力性を高めない
として、実際に暴力事件が多発していない事が確認されれば、「ゲームは暴力性を高めない」と評価出来ます。もしも、「ゲームと暴力に(因果)関係がある」というのを、今検討している主張と同等と看做すならば、この事をもって、「ゲームと暴力に関係は無い」と判断する事が可能です。
しかし、「ゲームと暴力に関係がある」という表現に、今検討したような「強い」意味が込められているとは限りません。ですから、仮に、ゲームの売上は増えているが暴力犯罪は増えていない、というのが事実だと認めても、「そこまで強い影響があると言っている訳では無い」となったりします。つまり、「関係」とか「影響」とかの概念に諒解が無いのですね。だからこじれる事がある。議論を円滑に進めるには、ここをすり合わせておくのが重要です。

指標の検討――ジャンル

指標として、ゲームの売上などが考えられる、と書きましたが、ここはもう少しよく検討しても良いでしょう。
ゲームが影響を、と言う人でも、

  • コンピュータゲーム全般が
  • コンピュータゲームにおいて、ある表現を含むものが

これらのどちらが影響を与えるか、を主張するかにバリエーションがあります。で、多くは、人体の流血・欠損、銃火器による攻撃、あるいは反社会的行為を操作によって(仮想的な空間の中で)実現出来る、という所の表現を危惧して、ゲームには悪影響がある、と考えているのでしょう。
その場合でも、「表現の程度」や、どのような表現が受け容れられやすいか、という所で区別をする見方もあるようです。その場合だと、同じ「暴力ゲーム」でも、表現のされ方によって層を分けて考える必要がある。
ここで紹介した記事だと、日本では銃規制があるから銃犯罪が少ない、という反論が行われ、それは尤もらしく見えた訳ですが、その他にも、
日本とアメリカのゲームは質が違う
という見方も出来る。ゲームを知っている人なら、日本とアメリカでは「売れるゲーム」の種類が結構違うのではないか、たとえばFPSやTPSの売れる(受け容れられる)割合が異なったりしないだろうか、と思う向きもあるでしょう。
ここら辺は、そもそも「ゲームと暴力の因果関係」の「ゲーム」をはかる指標は妥当か、という観点と言えます。ゲームと一口で言ってもそれは一様のシンプルなものでは無いので、それは考慮しておく必要がある、と。
同じように、「暴力」の指標もきちんと考えるのが肝腎です。どのような行為が暴力と看做されるかとか、犯罪件数がどこまで客観的な指標として役立つか、とか。もし国ごとに比較する場合には、その辺りは慎重に見なくてはならないでしょう。

まとめ

まとめると、この種の議論で確認しておきたいのは、

  • ゲーム概念の内容
  • ゲームをはかる指標
  • 暴力概念の内容
  • 暴力をはかる指標
  • 関連と因果関係の違いの認識
  • 因果関係の強さの意識
  • 主張する人がどのような意味で用いているかの検討
  • 複数の国を比較する場合の難しさ

等である、といった所でしょうか。
fut573氏のブクマから⇒Nancy Pelosi Defends Violent Video Games, Cites Low Gun Violence In Japan
ここでのタイトルは、「Nancy Pelosi Defends Violent Video Games, Cites Low Gun Violence In Japan」となっている。