《不要(無用・不必要)》な手術

福島の甲状腺がん検診に反対する意見で、

手術が無用ながんを見つけている

事を根拠とする(そう発言する)ものがあります。この無用は、他に不要不必要などとも表現されます。

ここで気をつけなくてはならないのは、これら表現は単に、

手術という処置そのものが要らない

のみを意味しない事です。つまりこれらの語では、

  • 手術という処置そのものが要らない
  • 手術という処置はしなくてはならないが、それは後でも良い

この両方が意味に含まれています。なぜなら、これは検診という、症状が出る前に見つけるプロセスにおける問題だからです。これが、症状発現した疾病であれば、(有効かはともかく)何らかの処置はすべきだ、というのは解りやすいでしょうが、それとは異なる文脈です。

要するに、無用や不要などの語は、

今で無くとも良い

ものをも含んでいるのです。今で無くとも良いのは、後では必要との含意があります。この時点で、必要とか無用などの語解釈にズレが生じます。

ですので、この辺りの了解が取れていないと、検診では手術不要のがんを見つけているから……といった主張に対して、いや手術はしなくちゃならないだろう、との反発が出る訳です。

更に厄介なのは、手術の必要・不要といった言葉が、

診療ガイドラインにおける適応

を指す場合もあるという事です。

ガイドラインでは、がんがこのような様子であれば手術(処置)する、と決められている訳ですが、症状発現前に見つかったものであれば、処置しなくてはならないかは不明です(overdetectionの問題)。だけれども指針は無くてはいけない。その指針において手術適応となるものを手術が必要などと表現すると、またそこで、語の捉えかたの違いによる齟齬が現れてくる、という寸法です。

結局の所、言葉の意味はきちんと共有しておこうというのと、検診に反対する論者も、全部ひっくるめて無用とか不要とか言ってくれるな、乱暴だ、という事ですね(割合が高い、を意味するにしても乱暴だという話)。