予防の段階

予防

いきなり問題です。

  • ワクチンによって、病気にならないようにする
  • 病気を早く見つけて治療する

上の文の内、予防はどちらでしょうか。

答えは、両方です。

ここまで読んで、いや、予防というのは病気を防ぐ事なのだから、既に罹っている病気を見つけるのでは予防とは言えないだろう、と思ったかたもあるでしょう。日常的な使いかたからすれば、そう思うのは尤もな事です。けれども、予防医学における予防とは、もっと広い意味合いで用いられます。

疾病の自然史

私たち、ヒトが罹る病気、むつかしく言うと疾病は、どのような経過を辿るでしょうか。疾病の、医療介入を受けない場合の経過、すなわち疾病の自然史は、次のようなフェイズに分けられます。

感受性期
病気に罹る可能性のある期間
前臨床期
病気に罹っていて、症状が出ていない期間
臨床期
病気に罹っていて、症状が出ている期間
能力消失期
病気の最終段階。回復、後遺症出現、死亡に至る期間

つまり、病気には罹っていないが、病気を発生させる原因(ウィルスなど)に曝されている→病気に罹ったが症状が出ていない→病気による症状が出る→症状が消え回復する、機能障害等の後遺症が残る、その病気で死亡する という流れです。

予防の三段階

予防医学における予防とは、いま見た疾病の自然史の各フェイズのどこに着目するかによって、大きく3つの段階に分けられます。

一次予防
感受性期での予防。病気に罹る原因を除去する。病気に罹りにくくする要因を付加する、病気に罹りにくい状態を維持する、などによって、病気に罹らないようにするもの。
二次予防
前臨床期での予防。病気に罹っているが症状が出ていない期間の内に発見し、処置を施す事によって、重症化や死亡を防ぐ。
三次予防
臨床期以降での予防。病気による合併症や後遺症を防ぐ。機能障害等を改善する。

このように、ある病気に対する予防と言う場合、その病気の自然経過のどの局面であるかを考慮し、一次から三次までの段階に分けている訳です。これを見ると、日常的に用いられる、病気にならないようにするというのは、予防医学的には、あくまで予防の一側面、すなわち一次予防を指しているのだ、と理解出来るでしょう。

また、症状の出ていない病気を見つけて治療する事予防では無いと言うのは、予防医学的文脈においては正しく無い表現である、と解ります(予防が一次予防を指している、との諒解が無ければ)。

ここまでを踏まえると、予防医学における予防なる考えは、広く疾病の自然史を改変する試みであると言えます。

予防手段の五段階

前節で見てきたのは、疾病の自然史に対応する、予防の三段階でした。ここでは、実際の予防方法に着目した予防の段階を見ていきます。

感受性期

健康増進
適切な栄養の摂取や運動、休養等の実施により、病気に罹りにくくする
  • 健康や衛生に関する教育
  • 栄養指導等による食生活改善
  • 適当な住居・労働条件
  • 結婚相談・性教育
特異的予防
特定の疾病を限定し、その発生を阻止する
  • ワクチン
  • 環境衛生改善
  • 事故防止
  • がん原性物質の除去

前臨床期

早期発見・早期治療
疾病を検査により発見し、早い段階で処置をおこなう
  • 任意型検診(人間ドック等での検診)。※検診とは、前臨床期に病気を発見する事
  • 対策型検診(自治体がおこなう、集団に対する検診。集団検診)

臨床期以降

機能障害防止
病気の進行を抑え、再発を防ぎ、後遺症や機能障害を少なくする
  • 病気から回復した人への、再発等を防ぐための投薬
  • 生理的指標の維持(糖尿病における血糖値等)
  • 定期的な検査による再発のチェックや、合併症に繋がる要因の検索
リハビリテーション
残った能力を最大限発揮させるための訓練や教育をおこなう
  • 残存能力発揮のための訓練
  • 作業療法
  • 訓練や教育のための施設
  • 雇用や職業紹介、適正配置

このようです。ここで、予防の手段が、患者への介入や訓練のみならず、施設の充実や雇用、教育等に関わる社会的な要因にまでわたっている事が、とても重要です。

事例:子宮頸がん

このような記事を書いた事には、きっかけがあります。それは、群馬県伊勢崎市の市議会議員である伊東純子氏による以下の発言と、それにまつわる議論です。

↑これが、発端の伊藤氏の発言。ここで伊藤氏は、HPVワクチンよりも、検診による早期発見のほうが重要である、と主張します。これに、堀江貴文氏が、次のように批難しました。

↑随分と口汚い言いかたですが、堀江氏はここで、一次予防と二次予防の考えを挙げて、その両方が重要だと指摘します。この点で、堀江氏が妥当です。ただし、伊藤氏はそもそも、HPVワクチンの効果そのものに懐疑的であるので、子宮頸がんの一次予防は出来ない(あるいは効果が薄い)との含意があった、と読む事も、一応は可能です。

ところで、堀江氏の意見の後段、

。検診は個人単位でしか病気を防げないが、ワクチンは集団的予防効果も発揮する。

↑ここに補足します。検診は、前臨床期に病気を発見して介入する事ですが、対象の病気が感染症であれば、その症状が出ない内に発見して処置する事により、感染拡大の阻止に繋がり、それは結局、一次予防と言えます。検診そのものは二次予防の手段ですが、それは一次予防とも関係しているという事です。

次に、子宮頸がんに関する別議論での主張を見てみます。

↑これは別の流れの議論ではありますが、子宮頸がん予防にまつわるものなので、当然、論点が共通しています。で、つぶやきの内容を検討すると、

「・検診でも異形成や上皮内がんを治療して子宮頸癌を予防できる」

素人ながら指摘しますが、これは誤りですね

「・検診では異形成や上皮内がんを早期発見できる」

が正しくありませんか?

「検診」で「治療」はできませんし「予防」も出来ませんよ?

↑これを見ると、本記事をここまでご覧くださったかたは、予防の考えについて、理解出来ていない所があるのが、よく解るでしょう。個別に検討します。

「・検診でも異形成や上皮内がんを治療して子宮頸癌を予防できる」

↑この主張は誤りではありません(※発言者がどういう意図で言ったかは措きます)。検診は二次予防の方法ですから、検診で予防出来るとの表現自体が正しいものです。ただ、子宮頸癌をという所におそらく引っかかったのでしょう。続いて次のように指摘します。

「・検診では異形成や上皮内がんを早期発見できる」

↑この表現が正しいのでは、と提示しています。もちろん、この文そのものは正しいです。ただ発言者は、これを予防とは言えないとの意味で主張しているので、そこは誤っています。詳しく見ると、上皮内がんを検診で発見する事は、子宮頸がんに対する二次予防です。

次に、異形成を発見する事にも言及している所。子宮頸がんや大腸がんの検診では、がんでは無いが、がんになる可能性のある状態、すなわち前がん病変を発見して治療をおこない、死亡減少等をもたらす事が期待されます。前がん病変は、がんではありませんから、これは厳密に言えば、がんの一次予防です。がんに罹ってはいないので、二次予防にはならない訳です。つまり、検診とは、一次予防と二次予防の両方の側面を持つと言う事が出来るのです。

続いて、

「検診」で「治療」はできませんし「予防」も出来ませんよ?

↑日本語で検診と言う場合、

  • 前臨床期に病気がありそうな人を篩い分ける
  • 病気を発見する
  • 病気に処置をおこなう

という一連のプロセスを指しますので(篩い分けの部分を、狭義でスクリーニングと呼ぶ場合がある)、検診に治療の意味合いを含める事には、問題ありません。そして、後ろの「予防」も出来ませんというのが誤り(よく言って不正確)であるのは、ここまで記事を読んでくださったかたは、よく解るでしょう。

用語と概念の共有

がん検診における過剰診断(余剰発見)もそうですが、議論する際には、使われている言葉の意味について、きちんと論者同士で共有しておかねばなりません。で無いと、議論が噛み合わないのです。特に、この記事で解説したような予防などの考えは、日常的に用いられる言葉でもありますから、理解していると自覚しやすいのでしょう。だから、専門分野での用法を改めて確かめる事に、繋がらないのでしょう。そうすると、やり取りは噛み合わなくなってしまうのです。自分の明るく無い分野については、ついやってしまいがちなので、常に気をつけたい所です。

参考文献

臨床疫学―EBM実践のための必須知識

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NEW予防医学・公衆衛生学 (NANKODO’S ESSENTIAL WELL-ADVANCED SERIES)

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しっかり学ぶ基礎からの疫学

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最新保健学―疫学・保健統計

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↑※参照したのは初版

保健統計・疫学

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公衆衛生学 社会・環境と健康 第3版 (栄養科学シリーズNEXT)

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www.igaku-shoin.co.jp