清水一雄氏による福島甲状腺がん検診に対する意見と、健診

www3.nhk.or.jp

上記記事より引用します。

一方、甲状腺の専門医で、検討委員会の甲状腺専門部会で部会長も務めていた清水一雄さんは、「報告の内容は尊重するが、まだ2回目の結果であり、3回目の結果や継続中の4回目など、引き続き、さまざまな検査を踏まえて議論すべきだと思う。甲状腺がんの要因となる内部被ばくの線量もはっきりわかっていない中で、5年、10年で結論を出すのは早すぎると思う」と話しています。 また、今後の検査については、「初めて行われている検査で、これほどの多くの人数に対して行われていることを踏まえると、これから結果がどう変わっていくか断言するのは難しいと思う。検査には批判もあるが、今より間隔を空けてでも、最低でも10年、あるいは20年、30年と続けていくべきだと思う」と話しています。

これは、甲状腺の専門医で、検討委員会の甲状腺専門部会で部会長も務めていた清水一雄氏による、福島での甲状腺がん検診への意見です。上記引用文から、更に注目すべき箇所をピックアップします。

検査には批判もあるが、今より間隔を空けてでも、最低でも10年、あるいは20年、30年と続けていくべきだと思う」

↑この意見から、清水氏が、がん検診の論理を全く理解していない、もしくは、検診を受ける人の利益についての観点が皆無である事が解ります。

もし、検診によって がんを見つけ出し、命を救いたい、と考えるのなら、間隔を空けてでもなどという意見は出てきません。
がん検診は、

  • 進行が速く、症状が出てすぐ死に至る
  • 進行が遅く、症状が出てからでも間に合う

これらの性質のあいだにあるようなもの――進行の速さが両者のあいだで、無症状の期間に、処置の成否を左右する点がある――を見つけて介入する事によって、効果が発揮されます。ですから、その効果を得るためには、

ある程度の短いインターバルで検診をおこなう

事が肝腎です。あまり間隔を空けると、その期間に症状が出現してしまうものが出てくるからです(中間期がん:インターバルがん)。 また、大きな間隔を空けても見つけられるようなものは、症状が出てからでも間に合うくらいに進行が緩徐である可能性が高いため、そもそも、そのようなものに検診をしなくても良い、となります。

ですから、現在、厚労省によって推奨されている検診は、1年に1回や2年に1回の間隔で受ける事が定められています↓

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000059490.htmlwww.mhlw.go.jp

福島の甲状腺がん検診は、20歳を超えるまでは2年ごと、25歳以降では5年ごとに検診をおこなう事になっていますが(放射線医学県民健康管理センター「県民健康調査」 | 県民健康調査の「甲状腺検査」とは?)、これでもかなり長い間隔であるのに、さらにこれより長く間を空けてでもおこなったほうが良い、と清水氏は言っている訳です。
検診によって命を助けたい、と考えるのなら、通常は、間隔は狭めるべき、と主張されるはずです。間隔を狭め、コストをかけて、誤陽性等の害を増やしてでもおこなうべき、となるなら、まだ理解は出来ます。しかるに清水氏の意見は、そうではありません。今より間隔を空けてでも、と言っています。これは、がん検診を、その主目的たる、延命やQOL維持では無く、

がんが増えているかどうかを知るためだけ

の目的で進めたい、と主張しているも同然なのです。

また、仮に間隔を空けて、何十年も検診を続けたとして、それで、がんが増えた(流行が起こった)かを正確に評価出来るか、というと、それも疑問です。
既に、罹病期間が長いであろう疾病に、超大規模な検診をおこなったのですから、それ自体がバイアスとなります。同様の条件を持つ対照を設定する事が出来ません。別地域で同様の大規模検診をおこなって対照とする、のは論外です(甲状腺がん検診の効果が認められていない)。仮にそれが出来たとして、累積罹患割合等に意味のある違いが見出されたとしても、それをもたらした要因を見出すのは簡単ではありません(地域の違いに伴う、色々の要因があるため。だから通常は、対照は同じような性質を持った集団――コーホート――内で設定される)。

つまり、清水氏は、検診によって受診者に健康上の利益をもたらす、という観点からも、疫学的な観察研究の観点からも、いずれも的を外した主張をおこなっている、と評価出来ます。

ちなみに、県民健康調査のWEBサイトのQ&Aのコーナーに、次のようなものがあります。

fukushima-mimamori.jp

臨床医学的にも疫学的にも、発がんまでの潜伏期を考えれば、本来5年に1度でも十分な検査間隔ですが、県民の皆様の不安を考慮し、本格検査以降は、対象者が20歳を超えるまでは2年ごと、25歳以降は5年ごとに検査を実施することとしています。

ここを見ると、検診によって健康上の利益をもたらす観点が、やはり無い事が解るでしょう。
間隔は5年でも充分だが不安を考慮して、20歳過ぎまでは2年おきに、と言っています。その間隔が有効であるから、との理由ではそもそも無いのです。その上で、何回も検診を続けると言っているのです。 不安を考慮して何十年も検診を続ける、と言っている。これが果たして、不安に寄り添う事になるでしょうか。

いっぽう清水氏は、さらに間隔を空けてでも良いから検診を継続すべき、と言います。進行が速めのものを症状発現前に捕えて救命しよう、といった観点はゼロです。そこには、がんの発生のしかたは(集団的に見て)どうなっているかの見かたしかありません。しかも、その発生のしかたが正確に捉えられる保証もありません。いずれの立場も、ほんとうに、受診者に利益をもたらすべく検診を進めよう、と考えているとは思えません。

中には、福島においておこなわれているのは検診では無く健診であるから、一般的な検診の主目的である健康上の改善では無く、放射線の影響を見ていくのが目的なのだ、とあからさまに主張する論者もいます↓

twitter.com

福島の甲状腺検査は「がん検診」ではなく、放射線の影響の有無をみていく「健診」である

このように、検診によって健康上の利益をもたらす、という観点が全く無い人は、実際にいるのです。もちろん、健診、すなわち健康診断または健康診査に、受診者へ健康上の利益をもたらす目的が無いのか、というと全くそんな事はありません↓

【PDF】標準的な健診・保健指導プログラム【改訂版】

だからこそ、健診や人間ドックは死亡率を減らすのか、といった事も医学研究の対象になるし、議論が起こったりもする訳です。その意味で、検診健診も、自分勝手に都合良く解釈しているのであると言えます。

過剰診断(余剰発見)と検診の議論一般に対する誤った理解

togetter.com

なるだけシンプルに行きます。

手術の基準を変えても過剰診断は防げないという主張が事実に反することは30秒考えれば嘘だとわかる。

↑まず前提として、ここで議論されているのは、

がんと確定診断されたとして、それを手術するかどうか

という事だとします。それを踏まえると、手術の基準を変えても過剰診断は防げないという主張が事実に反する←これは誤っています。
何故ならば、がんを確定診断した時点で、余剰発見かどうかは決まるから。したがって、余剰発見された後の処置の基準をどのようにしようが、余剰発見は防げません。またこれは、菊池氏のオリジナルなどではありません。余剰発見(過剰診断)の定義から、当然に導かれる事です。

※↓余剰発見(過剰診断)の定義

academic.oup.com

もし全員手術したら過剰診断の害は大きくなるのに対して、一人も手術せず結果さえ伝えなければ過剰診断害は皆無になる。

一人も手術せず結果さえ伝えなければとは、(思考実験的に想像する事は出来ても)実際的には全く無意味な仮定です。 あなたに検診をします。エコーで陽性なら穿刺吸引細胞診を受けてもらいます。ただし、がんかどうかの結果は知らせません。のような情況を考える意味が無いのは解るでしょう。

過剰診断でない(つまり後の人生のどこかの時点でみつかり手術されるか、それをすり抜けて命を落とす可能性もある)癌を早期に発見する(前倒し診断)ことも倫理的に問題だとするのも、おそらく菊池氏のオリジナルの部分。

後の人生のどこかの時点でみつかり←不正確。余剰発見で無いと言えるためには、その疾病による症状が発現するという条件が必要であり、単に見つかるだけではそれは満たせないから。

ことも倫理的に問題だとするのも、おそらく菊池氏のオリジナル←別に菊池氏のオリジナルではありません。ただし、この要約部分は極めて不正確で、実際に倫理的に問題なのは、

効果が認められていない検診を集団に実施する事

です。それは菊池氏もたびたび説明している所ではありますが、氏の説明や主張が極く雑で杜撰である場合があるのも否めません。

前倒しで診断されているなら予後を改善はしないにせよ有害とはいえない。病気が見つかったこととかによって差別されるのを無くそうというのは社会に対する周知を図ればいい話だ。

前倒しで診断されているなら予後を改善はしないにせよ有害とはいえない。←誤っています。予後を改善しない場合、発見時点から、症状が出るはずだった時点までの期間、病気であると認識する期間が延伸します。この延伸する期間の事をリードタイムと言います。リードタイムに伴う心理的経済的等の負担は、検診によって発生する害の一種です。

↓参考資料

jech.bmj.com

In effect screening brings forward in time the diagnosis, giving people more time to live knowing their diagnosis (in other words more “disease time”).
そこなんですけど、過剰診断の害を減らすことができれば過剰診断そのものを減らす必要は別に無いですよね?

↑余剰発見はそれ自体が害(必要の無いリードタイム――定義上、余剰発見された疾病には臨床期が無い――を発生させる)なので、この主張は誤っています。

過剰治療でなく過剰診断そのものを減らすべきなのか、前倒し診断(過剰診断とは排他的であり、重ならない)は、益するところがないのか。益するところがない前倒し診断は「倫理的に問題」なのか。
  • 余剰発見自体が害なので(前述)、余剰発見を減らすべき
  • 前倒し診断に効果があるかどうかを調べるのが、検診の効果研究(理想的にはRCT)。そして、甲状腺がん検診には効果が無いであろう間接的証拠がある
  • 効果が認められていない検診を集団に対し実施するのは、その事情を認識した上で臨床試験としておこなう、などの特別な理由が無い限りは倫理的に問題である

↓参考資料

www.ncbi.nlm.nih.gov

菊池氏は「過剰診断の害でなく過剰診断そのものを減らすべき」とはっきり思っているし、「前倒し診断は倫理的に問題だ」と公言している。そのうえで定量的な視点に立たないからおかしな結論になる。

↑余剰発見そのものが害なので、それを減らすべきである事は、論を俟ちません。前倒し云々については前述の通り。定量の部分に関しては、まず、甲状腺がん検診に効果が認められないという証拠があるので、検診を実施するなら、

実施する側が、効果を示す証拠を提出すべき

なのです。まず定量的で無いのは、検診を進めようとする側です。

名取氏は、先のツイートのように、まるでそれらに肯定的なように思わせる態度をしばしば取りながらも、厳密にはそもそも立場を明らかにしていないのでは?

↑名取氏は、甲状腺がん検診に効果が認められていない事実から、医学的には甲状腺がん検診は実施されるべきでは無い、おこなうにしても、充分な情報提供がなされているべきである(社会的事情)、との立場をとっているでしょう。菊池氏よりは妥協的、と言えるかも知れませんが。

あと、「経過観察や手術介入の基準をどのように変えても、検診をやめない限り過剰診断は減らせないということは、医師でさえ理解していない」と盛んに宣伝することには問題があると思う。

↑確定診断後の処置の基準をどう変えようが、それで余剰発見を減らせないのは事実なので、何も問題ありません。

どの一人の医師も、「手術の基準を適切に決定すれば、過剰診断“そなもの”の数を減らせる」と思っていない事は、明らかだ。そのような事は自明だから。そういう意味での過剰診断の数を減らすべきだとさえそもそも思っていない。

原文ママ ↑余剰発見後の処置は過剰処置:overtreatmentという用語が充てられているくらいなので、峻別すべきです。自明などではありません。そういう意味←どういう意味? 余剰発見は減らすべきです(いずれにしても、効果の観点抜きで考えるのは無意味)。

(なお、「見つけたら何もしない訳にはいかない」などの誤解が外野から散見されるが、福島では適切な基準を用いているので、結節が有っても経過観察すらしていない症例があり、小さな結節でも癌と宣告され、その後の将来に影響を与えているという指摘は、そもそも全く当たらない。)

↑診療ガイドラインは、検診発見されたものに対する処置の基準ではありません。それが適切な基準であるなどとは言えません。

多くの医師が、「手術の基準を適切に決めれば過剰診断を減らせる」と言うとき、何かが見つかる件数(そのものの数)ではなく、手術など侵襲的な介入をされる数について言っている事は、誰が見ても、明らかだ、

明らかではありません。もしそう言っているのだとすれば、用語の意味を不正確に使っているのですから、それは由々しき問題です。

全例で何もしなければ、侵襲はゼロになるからだ。

↑実際的に意味の無い仮定(前述)。

それをあたかも「過剰診断そのものの数」を減らせると主張しているように喧伝し、

↑もし、臨床医が、過剰診断の語を過剰処置の限定的意味で用いているとすれば、専門的な定義を無視して不正確に用語を使っているのであるから、重大な問題です。

被曝した小児の甲状腺がんを放置した場合に長期の予後がどれくらいかというデータはないのに、まるで有るかのように主張して数字を引っ張ってくるのも問題だ。

↑もしそのような意見があれば、それは実際に問題ですが、成人での知見を補外する事は可能です。また、それを言うなら、甲状腺がん検診が予後を改善する証拠は全く無いです。

手術加療をした人の生存率であったり、成人のスクリーニング例であったり、小児であっても被曝していなかったり、そのまま福島に当てはめる事が出来ない事を、まるで自明に当てはめる事が出来るように主張しているが、実際にはそういうデータは無いのだということをまず認めなくてはならない。

甲状腺がん検診が有効である証拠はどこにもありません(前述)。成人の知見を補外出来ない理由が分かりません。

あと、これは言うかどうか迷ったが、「例え被曝によって福島で癌が増えていた(あるいはそれが否定できない)としても、検査はやめるべきだ」という議論がおかしいのは、被爆によって癌が増えている依然として可能性があるならそれを観測する手立て(代案)を全然提出していないからだ。

検査≠検診です。議論されているのは検診です。検診は、検診によって予後を改善するという証拠があって初めて、実施する正当性を持ちえます(前掲の資料⇒Cancer screening | Journal of Epidemiology & Community Health)。

仮に福島で放射線の影響により癌が増えている事が否定できないのなら、それでも検査をやめようという場合、今のように十分に過剰診断による害(≒過剰治療・手術、無用な経過観察)を減らす手立てを取りつつ検査を継続するか、それに代わる代案を提出するのが当然だ。

↑誤っています。検診に反対するには、検診の効果が認められていない事を示せば十分です。そうでは無く、検診を進めようとする側が、

検診に効果があるという証拠

を示す必要があります。

過剰診断そのものの数が減らせなくても、手術の基準を適切に決めれば過剰診断による害を減らせることは、先のRTに見られるように(非常に迂遠で言い逃れ出来そうな言い方ではあるが)名取氏もほとんど認めている。当たり前のことだからだ。

↑名取さんの主張は、処置基準の変更は、過剰処置を減らす事はあっても余剰発見を減らす事は出来ない、というものです。
ところで、過剰処置を減らすのに、基準を適切に決める、というのはよく解りませんね。何が適切なのでしょうか。

ちなみに菊池氏は何もわかっていないのでそのこと自体認めようとしないのだが。また、前倒し診断に益するところがないかどうかは決着がついていないし、もし仮に益するところがないとしても、それが具体的にどう「倫理的に問題」なのかは全然考証されていない。

前倒し診断に益するところがないかどうかは決着がついていないのなら、そのような介入をおこなうべきではありません(効果が認められていない事を理解して参加する臨床試験でも無ければ)。倫理的に問題←菊池氏は、ヘルシンキ宣言等を援用しています。実際、効果の認められていない介入を、その事を充分説明しないままにおこなう、のは倫理的に問題です。

縮小手術でQoLを維持するという意味では将来的に見つかり手術適応になる症例の前倒し診断は有用である。

↑全くそのような証拠はありません。あるなら提出しましょう。確かめるべきである所を、あたかも既に判明しているかのごとく主張するのは、極めて問題のあるやりかたです。

また、微小がんの話の統計を時々出してくるが、福島の症例は大半が1cm以上だから、微小癌ではない。微小癌はそもそも経過観察にすらならないように工夫されている。

↑正しい。菊池氏などはここを誤っていますが、今の所、意見の修正は見られません。