医師も誤つ過剰診断

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がんは無症状の内に、見つけるのが早ければ早いほど良いという信念を正し、がん検診がもたらす害などについての正確な知識を伝えようとする試みは、良いと思います。しかしながら残念な事に、本記事には、明確な誤りがあります。

 1つ目は「過剰診断・過剰治療」です。過剰という言葉が入っている通り、本来は不要だったのに検診を受けたことで生じてしまったものです。

 具体例を挙げましょう。例えば、乳がん検診で、マンモグラフィー検査という乳房をレントゲンに撮る検査を受け、がんを疑うようなしこりが見つかったとします。すると、今度は「病院で精密検査を受けてください」ということになり、医師の診察を受けます。同時に採血検査、超音波検査、MRI(磁気共鳴画像)検査などを行います。その結果、「まずどう見ても良性なのでここでおしまい」となることもあれば、「悪性の可能性があるため、針生検をしましょう」となることもあります。針生検では、怪しいしこりそのものに針を刺し、しこりの成分を1mmほど取ってきて、顕微鏡でがん細胞やがんの組織がないかをチェックします。

 その結果、もしがんの診断だったら手術や抗がん剤治療へ進みますし、がんではなかったら「大丈夫でした。よかったですね」で終わります。

 さて、もし検診をしていなかったらどうなったでしょうか。病院で受診することはなく、従っていろいろな検査はしないでしょう。生検という、針を刺して傷をつくる検査もしなくてよかったことになります。

 これが、過剰診断です。ここまでならまだよいのですが、「やはり悪性が否定できない」として、手術になることがあります。メスを入れ、手術をした結果「いやあ、良性でした。よかったですね」と言われることもあるのです。これは、人によって受け取り方が大きく変わるところでもあります。「ラッキーだった」と思う人がいる半面、「それならば最初からすべて不要だったのではないか」と思う人もいるでしょう。

この過剰診断の説明の部分です。もう少し絞って引用します(強調は引用者)。

 その結果、もしがんの診断だったら手術や抗がん剤治療へ進みますし、がんではなかったら「大丈夫でした。よかったですね」で終わります。

 さて、もし検診をしていなかったらどうなったでしょうか。病院で受診することはなく、従っていろいろな検査はしないでしょう。生検という、針を刺して傷をつくる検査もしなくてよかったことになります。

 これが、過剰診断です。ここまでならまだよいのですが、「やはり悪性が否定できない」として、手術になることがあります。メスを入れ、手術をした結果「いやあ、良性でした。よかったですね」と言われることもあるのです。これは、人によって受け取り方が大きく変わるところでもあります。「ラッキーだった」と思う人がいる半面、「それならば最初からすべて不要だったのではないか」と思う人もいるでしょう。

つまりここでは、過剰診断を、

  • 検診の結果、がんで無かった場合に
  • 検診に伴う生検や手術は
  • 過剰診断であった

このように説明しています。が、間違っています。

現在の検診の議論における標準的な定義では、過剰診断(overdiagnosis)と言えるには、

がんが見つかる事

が必要です。つまり、

検査の結果、がんでは無かった

という時点で、それは過剰診断ではありません。過剰診断とは、

それによる症状が出たり、それによって死んだりしないような疾病を見つける事

です。対して、中山氏が過剰診断だと説明しているのは、実際には

偽陽性による害

です。偽陽性(false positive)とは、

疾病が無いのに、疾病疑いの判定をおこなう

事を指します。

偽陽性の害と過剰診断とを混同するのは、医療者でもしばしば見かけます。たとえば、次のリンク先のような、公衆衛生の専門家向けの文書においても、偽陽性と過剰診断の区別について書かれています。

www.phrp.com.au

ここには、

Overdiagnosis is not a false positive

という節があるのです。

過剰診断の概念は、疫学、特に臨床疫学の、更に検診や健診に関わる分野において議論されているものなので、臨床医がそれについて知らない場合があるのは、致しかたが無い面もあるのかも知れません。しかるに、中山氏は記事で、

 ここを書くにあたり、私は非常に多くの論文と医療ガイドラインを読み情報をあらためて精査し、市販のがん検診について書かれた本10冊以上に目を通すことで今世に流布している意見を把握しました。さらには、京都大学大学院医学研究科の健康情報学の教授に意見を仰ぎ、ディスカッションをした上で監修をしていただき、医学的な信頼性を担保しました。そこに、がんを専門とするいち医師である私の意見を付記しています。

と書いています。つまり、がん検診に関する論文・ガイドライン・書籍、等々を読み込んで記事(の元になった本における記述)を物した、と主張している訳です(京都大学大学院医学研究科の健康情報学の教授とは誰なのでしょうね)。したがって、

  • 検診とは専門分野が異なる医師である
  • 以前には過剰診断は別の意味で用いられる場合もあった

このような見かたは通用しませんし、させてはなりません。前者については、自ら、検診分野の文献によって勉強をした、と言っていますし、もしそうであるのなら、最新の標準的知見と議論を押さえているはずなので、後者のような言い訳も出来ません。全く、不勉強の誹りを免れないものでしょう。

過剰診断は、がんを見つける事そのものが害であるという意味で、とても特殊な考えかたです。陽性なのに実はがんで無かった偽陽性とは、質的に異なっています。だからこそ、検診の害として注目され研究されています。そのような重要な概念について、誤った知識をマスメディアを通じて広く発信してしまうのは、実に残念な事です。それどころか、単行本を出して同じ内容を発信してもいるのです。これは重大です。語の意味が共有されていなければ、実りある議論をしようが無いではありませんか。

なるだけ早く、修正などがなされるのを望みます。

過剰診断(余剰発見)や偽陽性(誤陽性)については、以前に解説記事を書きましたので、そちらも参照ください。

interdisciplinary.hateblo.jp

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菊池誠氏の誤り――過剰診断(余剰発見)の割合

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それは過剰診断の抑制ではなく、がんの診断すること全体の抑制であって、甲状腺がんと診断された中に占める過剰診断の割合は変わりません

上記は、菊池誠氏のつぶやきです。端的に言って、誤っています。

まず、過剰診断(余剰発見)概念については、先日書いた記事をご覧ください。

interdisciplinary.hateblo.jp

いま見た菊池氏の意見は、

ウェルチの意味での過剰診断は検診の基準をどう設定しようと防げない。

このつぶやきに端を発したものです。これも誤っています(ウェルチの意味での過剰診断については、上に紹介した私の記事に書いてあるので、参照ください)。

菊池氏の主張を整理すると、次のように表せます。

  • 余剰発見は、検診基準の設定では防げない
  • (検診の閾値を上げれば余剰発見抑制になる、との意見に対し)検診の閾値カットオフポイント)を変更して抑制出来るのは、がん診断全体である
  • がん診断全体を抑制するのだから、診断(発見)された甲状腺がんに占める余剰発見の割合は変わらない

まず、検診の閾値です。正確に書くとこれは、

一次検診(超音波検査)の陽性判定基準:カットオフポイント

と表現出来ます。つまり、検診の最初の篩い分けの段階でおこなわれる検査における、陽性と陰性の分割点です。菊池氏は、この基準の変更では、余剰発見は防げないと主張します。

福島の一次検診(超音波検査)は、のう胞と結節の所見を判定するものです。ここで、一定の大きさ以上のものおよび、その大きさに満たないが、状態によって二次検診を要すると判断されたものが、B判定と評価され、精密検査(細胞診)を含めた二次検診に案内されます。つまり、一次検診においては、画像所見による大きさが、陽性判定基準の中心です。という事は、検診の基準変更とは、陽性判定の、大きさに関するカットオフポイントを変更する、のを示します。

基準点を変更するのですから、その点を大きいほうにずらすと、

それまでの基準点付近にある大きさのものを、がんで無いだろうと判断する

方向に動きます。ここで、

検診によって見つかった小さいものは、余剰発見の蓋然性が高い

と考えると(レングスバイアス)、

余剰発見されそうなものを、陰性にする

事になります。超低危険度がん(微小がん、かつリンパ節転移が無い)は、アクティブサーベイランスによって、余剰発見の蓋然性が高そうだという知見が得られていますので、

より小さいものを、がんで無いだろうと判定する(カットオフポイントを上げる)

のが余剰発見を抑制する事につながると考えるのは、合理的であると言えます。

そうすると、小さいほうが余剰発見の蓋然性が高いので、小さいものをがんで無かろうと判定する事によって、余剰発見数が減りやすいと考えられます。結果、

余剰発見数 / がん発見数

という割合の、分子と分母の両方が減るので、

がん全体に占める余剰発見の割合

も、減る事が期待出来ます。がんの発見時の大きさが、症状の出るものであるかと関連するとすれば、カットオフポイントを上げれば、

将来症状を呈するものよりは、余剰発見を減らしやすい

と考えるのは、合理的でしょう。菊池氏が言うような、

がん全体の発見を減らすので、余剰発見 / 甲状腺がん全体 という割合は変わらない

との主張が成り立つには、一次検診のカットオフポイントを上げる事で、

症状を呈するがんの発見と、一生症状を呈さないがんを、同じように減らす

と考えないと、辻褄が合いませんが(たとえば、カットオフポイント変更でがん全体を0.9倍に減らすとすれば、有症状がんも余剰発見も、両方とも0.9倍にする)、それだと、発見時の大きさと、症状が出るか出ないかに関連が無いとするか、発見されるものは全て余剰発見である、と仮定しなくてはなりません。しかるに、そのような仮定を支持するような知見はありません。

よって、菊池氏の主張は、誤りであると言えます。

次に菊池氏は、検診における害の抑制を議論する文脈であるのに、敢えて

発見されたがんに占める、余剰発見の割合

に注目しています。しかるに一般に、検診の効果や害を論ずる際、その割合(リスク)の分母は、

人口

です。検診の文脈では、

  • 検診を受けた人
  • 検診に案内された人

などです。人口における、興味のあるイベント発生(効果なら、死亡を回避する。害なら、余剰発見が発生する、など)の割合を特に、絶対リスクと言います。そして、検診する事による、その増えかたと減りかたの割合(検診する集団としない集団とでの、割合の差)に着目し、それぞれの逆数を取る事によって、

何人に検診をすれば、一例の効果(害)が発生するか

という指標が導けます。これは、効果と害のそれぞれで、

  • NNS:Number Needed to Screen
  • NNH:Number Needed to Harm

このような指標に分かれます。

つまり、検診をおこなった際の効果や害の出かたに注目し、それを増やしたり抑制したり、と考える場合には、それを受ける人全体を基準にする訳です。
ですから、もし菊池氏の言う通りに、検診のカットオフポイント設定を変更する事が、

がん発見全体を減らす事に繋がり、余剰発見 / 全発見 の割合は変わらない

このような結果をもたらすとしても、それでも結局、

余剰発見の抑制につながる

と評価出来るはずなのです。余剰発見 / 全発見 の割合が一定という事は、分母も分子も一緒に減り、当然、余剰発見 / 受検診者 という割合(絶対リスク)も下がるのですから。

このような訳で、菊池氏は、多重に的を外した主張をおこなっている、と評価出来ます。この後に菊池氏は、

「検診をやめれば過剰診断はなくなる」と言ってるのと同じことです

と言っていますが、同じことも何も、そもそも、検診を止める事によって余剰発見を無くすという主張はまさに、そういう事を言っているのです。

参考文献: