サンタクロース
子どもがサンタを信じている場合に、なんとか工夫して、その時は信じさせたまま、次第にファンタジー的な事と現実との区別をつけさせる、みたいな方向を志向しているのをしばしば見ますけれど。
「サンタなんていないよ」みたいな言い方が許容されてもいいよね、別に。
たとえば、他人の子どもからサンタの話をされて、「そんなのいないよ」と反応している人を目にした場合、どう評価します? わざわざ子どもの夢を壊さないでも……とか、空気読めよ……みたいに思います?
もしそういう事があるとしたら、それはそれで、社会的な同調を強制する構造ではありますね。
咄嗟に、「ここで話合わせとかないと、今まで色々考えてきた養育者のやり方を無駄にしたり、同級生や友達にバカにされる――しばしば醒めた子どもは爪弾きにされる――のを助長しやしないか」みたいな事を認識して行動する、というのもあるかも知れませんね。信念(世界観や、嘘をつきたくないという志向)と合目的性(ここでは、円滑な学校生活や家庭生活を壊さないとか)を天秤にかけて判断する的な。
何となく、「子どもの頃は多少ファンタジーな思考を持っているものだ」という考えが、「子どもの頃はファンタジーな思考を持っていないと」みたいな考えになっちゃってる場合がある気がするですね。サンタなんかいないよ、と言い放つ子どもに対して、生意気な子だな、とか、「子どもらしく無い」などと感じたりね。