割烹着の由来
リケジョと割烹着:小保方さん報道に関連して(その2) : 大隅典子の仙台通信
大隅さんは、割烹着の由来について、
実は「割烹着」は、理科実験を含む「作業着」として開発された、ということをご存知でしょうか?
こう表現なさっています(強調は引用者)。
しかし、少し調べてみると、たとえば次のようなページが見つかります。
着物が汚れず、料理もしやすい服装を考えた結果、「割烹着」を考案、教場にて着用
赤堀料理学園/赤堀フードコーディネータースクール
これは、赤堀料理学園の歴史を紹介した公式ページで、そこには、当該学園の前身である赤堀割烹教場において、赤堀峯吉によって割烹着が考案された、とあります。また、同サイト内にある別のページ( http://www.cook.co.jp/pickup_tennenseikatsu.html )には、
当時、料理教室に通っていたのは上流階級の方たち。奥さま、お嬢さま方たちの外出となると、それはもう大騒ぎで、晴れ着に丸帯を締めた姿でした。そんな生徒さんの袖や裾などを汚す心配なく、活動的に動きまわれる格好はないものかと考えたんです。
このような説明があります。これらを見ると、大隅さんのおっしゃる事とは整合しないように思えます。
もちろん、服飾史的な話として、ある服装の由来というのを考える時、今採用されている形状に落ち着いた時期であるとか、そう呼ばれるようになった時期とか、色々の着目点があると考えられ、発明や発案の時期をどう特定するか、はむつかしいものなのでしょうし、いわゆる諸説ある情況の事もあるのだと思います。しかし、そうであればこそ、その由来をこうだと断定的に語るには、それなりの強固な証拠が要るのではないかな、と感じます。
そこについて大隅さんが出している出典は、ようやく見つけたのは「夏目☆記念日」というテレビ朝日の報道番組案内です。
だそうで、これは少し根拠として弱いのではないでしょうか。なにしろ、少し調べるだけで、赤堀峯吉の名前には辿り着けますし*1、それが誤りであるというはっきりとした知見が無ければ、その説を即排除する事は出来ないのですから。
大隅さんのエントリーへの反応を見ると、割烹着の説明の所について、なるほどそうだったのか、というような感想が結構見られます。伝達された情報としては、
- 発案者
- 発案された場所
- 発案された時期
- 発案された動機
があり、大隅さんは、それぞれについて、
という説を支持し紹介なさっている訳ですが、赤堀料理学園や世界大百科事典第2版( 割烹着 とは - コトバンク )などの記述によればこれらは、
- 赤堀峰吉
- 赤堀割烹教場
- 1902年
- 着物が調理の際に汚れないように
このようになります。つまり、情報として結構異なっています。で、大隅さんの記事の主旨の一つは、割烹着は料理用に作られたものでは無い、というものですので*2、ここの所を精査した上で情報伝達を行うべきである(あった)、と私は考えるのですが、いかがでしょうか。Wikipedia の情報は正確で無い、と言いつつ番組案内を出典として挙げるのはどうなのでしょう。その番組案内にも参考文献等は見当たりませんし(普通そんなものは番組表や番組案内には掲載されない)。