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大雑把な菊池さん

何度でも同じような事を書きます。大切な所だから。

たとえば、EMで放射能を消せないことくらい、立証するまでもなく「できない」と断言できる。そのくらいニセ科学の科学的正否は易しい問題。考えなくてはならないのは、それでもなおEM除染に縋ってしまう人たちがいるのはなぜか、とか、EMを推進しようという政治家が少なからずいるのはなぜかとか
https://twitter.com/kikumaco/status/572243964499111936

このように、内側にいる人にしか通じない物言いは控えるべきなのですって。
まず、立証するまでもなく「できない」と断言できる。は、
それまでの科学の知見に基づけば
という前提が要ります。その、科学の知見というものがあれば、知識の体系における基礎の部分、根本の原則的な所から、わざわざ実証研究をおこなわなくても、検討している現象は起こらないと断定的に言える……となります。
それで、菊池さんの発言のような物言いは、上で書いた前提を共有しているからこそ得心出来るものです。その共有が無ければ、菊池さんの言のごときは、調べもせずに軽率に断定しているように見えるでしょう。
ここで挙げた菊池さんの発言は、twitter上のものです。初めから、不特定多数の人が見る事の出来る場です。そういう場で、解っている人には通ずるがそうで無い人にとっては誤解を生むような内容のものを書くのは、控えても良いでしょう。解っているからこそ通ずるような物言いというのは、敢えて言う必要の無い発言でもあります。
言われなくても解っているような人にしか通じない事は、言ってもしょうが無い
のです。そんな事をわざわざ発するメリットがどこにあるというのでしょう。むしろ、

  • 解っているであろう人に改めて言う事のメリット
  • 解っていない人の誤解を招く事のデメリット

これらを天秤にかければ、後者が勝ってしまう可能性すらあるではありませんか。そもそも、前者のメリットとして、具体的にどのようなものが考えられますか。
それから、そのくらいニセ科学の科学的正否は易しい問題。という表現。これは違う(「必ずしもそうとは言えない」)でしょう。
菊池さんの主張は恐らく、科学の原理原則的な部分を考慮すれば成否の評価はたやすい、という例、たとえば水伝や、ここで挙げられているEMのような例がある、という所を強調しているのでしょう。けれど、ニセ科学と評価されるものとしては他に、ゲーム脳説や血液型性格判断があります。それらは、(菊池さん自身が言うように
原理的にはあっても構わない
現象であり仮説であります。だからこそ、ゲーム脳説については、それを支持する神経科学的根拠が全く脆弱である所に着目する必要があるし、血液型性格判断に関しては、血液型と性格との関連は弱いという事が実証的に示されたという、経験*1によって示された事実が重要となってくる訳です。
ここの所を考慮せずに、そのくらいニセ科学の科学的正否は易しい問題。と言ってしまうのは、数例をもって全体を語ってしまっているという意味で、とても不用意な発言である、と看做せるのではないでしょうか。たとえば、血液型性格判断を、生理学的メカニズムから否定しようとして失敗する(実際は、性格心理学や社会心理学における関連研究を拠り所としなくてはならない)、という例は、ニセ科学を考える上で、しばしば出てくるトピックですし、一口にニセ科学といっても、その主張のあり方は多様さを持っている、のは押さえておくべき所でしょう。
前にも書きましたが、菊池さんはもしかすると、解る人に解れば良いというような考えを持っているのではありませんか? それがあれとすれば、ある種の開き直りですし、そういう事が無いとすると、単に不用意な発言でしょう。知っている人に対して元々知っているであろう事を言っても意味は薄いし、よく知らない人への案内にはなりそうも無い、言葉足らずの表現なのだから。

*1:それは日常的に言う所の経験とは異なる、方法的に洗練された実験や観察・観測の事です