“「あなたにはガンが見つかりました、ただ大きくなって症状が出るかわからないので経過観察します」は過剰診断回避策” であるのか

このような意見が散見されるので、改めて。

意味不明。「あなたにはガンが見つかりました、ただ大きくなって症状が出るかわからないので経過観察します」は過剰診断回避策でしょ。

(強調は引用者)端的に言って、これは誤りです。

詳しくは、

interdisciplinary.hateblo.jp

上記記事に書いていますが、見つかった がんを経過観察する事は、過剰診断回避策になり得ません。

ここで、過剰診断(余剰な発見)の定義を復習すると、

将来、それによる症状が発現しないような疾病を診断・発見する事

です。したがって、疾病を見つけたのならば、そして、その 見つけた疾病による症状が顕れないのであれば、その発見を、過剰診断で無くする事は出来ません。

もしも、がんが発見され、その がんをずっと経過観察し、何の処置もおこなわないまま、別の原因で死亡したとすれば(そこまで観察し得たとするならば)、それは、過剰診断である事が確定するのだと言えます。そうで無く、その がんによる症状が発現すれば、見つかった がんは過剰診断では無かったと評価されます。
すなわち、症状が発現しない疾病を一旦見つけたのであるから、それを、見つけなかった事にするのは不可能なのです。ですから、見つかった疾病を経過観察する事で、過剰診断を防ぐのも不可能です。過剰診断を防ぐ方法は、そもそも見つけない事なのです。

ここを押さえておき、用語の指し示す概念を共有しておかないと、絶対に話は噛み合いません。

見つかったものを経過観察するのは、過剰処置(over treatment)の対策です。つまり、症状の出ない疾病に対し、手術なりの医療的処置を施したとすれば、それはおこなう必要の無かった処置であった事となり、過剰処置だと評価されます。なので、処置せず経過観察しておいて、不要な処置を避けるというやり方がなされる場合があります。前立腺がんや甲状腺がんに対してこのような方策が取られ、これを、アクティブ・サーベイランス(待機療法・監視療法)と呼びます。

しかしながら、処置をしないと言っても、経過観察中は、病気である事そのものの不安、症状が出るのではないかという心配、検査にともなう身体的心理的負担、通院・診察に伴う経済的負担、等々、様々な負担が、患者とその近親者に対して のしかかります(このような、病気だと認識し、悩む期間の事を病悩期間と言います)。だから単純に、経過観察だから良いだろうという訳にもいかないのです。
病気によっては、十年以上も症状が出ないものがあります。見つけるのが早いほど、病気に罹っている期間が長いほど、病悩期間は延びます。それがいわゆるがんであれば、世間的に流布されたイメージもあり、心理的な負担も相当なものです。このあたりの論理をきちんと理解しておいて、過剰診断問題を考えるべきなのです。