《過剰診断で無い》症例
昨日の記事で言及した報道について。
もし、当該報道で紹介された、裁判における原告の1人の症例が、
甲状腺がんによる症状が発現して、それをきっかけに受診し甲状腺がんが発見された
事例なのであれば、それは原理上、
過剰診断(余剰発見)であり得ない
と言えます。何故ならば、余剰発見(以降、余剰発見で揃える)は、無症状の時に見つけるのが必要条件だからです。
そこに着目して、こういう事例が余剰発見で無い例であるのを強調して、福島の検診に対し余剰発見と声高に叫ぶ人、を批難する向きもあります。
それは、
見つかったもののほぼ全ては余剰発見である
的な主張への反撃を企図したものでしょうけれど、実は的を外しています。と言うのは、見つかったもののほぼ全ては……と主張する人は、
分母を検診発見数にしている
からです。検診で見つかった内の余剰発見の割合が高いと言っているのだから、検診で見つかっていない症例は、そもそも別の話である訳です。
それどころか、です。もし検討している症例が、甲状腺がんによる症状が発現してから発見された例であるのなら、これは
検診が失敗した
のを意味します。
一般的に言うと、広い対象への検診が定期的に実施されている場合、検診で無く症状が出てから発見されるのは、
- 前回の検診を受けた時に罹っていたが見つけられなかったものが、検診と検診のあいだに見つかった(誤陰性)
- 前回の検診を受けた時には罹っていなかったが、検診と検診のあいだに罹って更に症状が発現した
- 検診を受けていなかったが、症状が発現して受診した
これらの理由によります。それぞれ、
検診なるプログラムで疾病を捉え損なった
のを意味します。詳しく言うと、上から順に、
- 誤陰性であった。前回の検診時に疾病を発見出来る性能が低かった
- 検診と検診のあいだ(インターバル)で罹って症状が出た。適切なインターバルの設定による疾病のキャッチが出来なかった
- 検診を受ける事を促したが、招かれる側の動機づけに失敗した
このような理由です。3番目については、検診を、受検を促す所から含めて一連のプロセスとして考える際に重要の観点です。検診の効果を評価する際、NNSだけで無くNNI(IはInviteのI)に着目するのもその観点によるものです。
いずれの理由にしても、大規模の検診プログラムが実施されている中、症状が発現して発見された例というのは、検診が上手く行かなかった事例を示すものです。したがって、その事をもって、
検診に反対する論者を批判する材料になる
と考えるのは、完全に的を外した意見であると言えます。そう主張しようとする人は、いま一度、検診の論理について落ち着いて検討すべきである、と言えるでしょう。
もっとも、検診を批判する論者の言いかたが、発見されたもの全部に言及しているように見える、というのはあるのでしょう。要するに、互いにちゃんと話をしようとしていない訳ですね。この用語はどういう意味かとか、いまの文脈ではどのような概念や現象について検討しているのか、といった所に全然注意を払わないのです。これは建設的な議論をおこなうに基本なのですが。実に残念な事です。