林衛氏の問いを検討する
福島小児甲状腺がん多発問題に関して、過剰診断論者のみなさんに問いたい。
— 林 衛 (@SciCom_hayashi) 2018年3月29日
1)小さながんでもみつかればみんな手術になるとか、それが人情だとかいう論者もいますが、実際にそんなやり方がとられているのかどうか、確かめていますか?
2)積極的な経過観察がされているのをどう評価していますか?
過剰診断論者
なる語の意味が全く不明瞭ですが、それはひとまず措いておきます。
1)小さながんでもみつかればみんな手術になるとか、それが人情だとかいう論者もいますが、実際にそんなやり方がとられているのかどうか、確かめていますか? 2)積極的な経過観察がされているのをどう評価していますか?
どのような がんを手術した(する)か、は診療ガイドラインに沿って決定される事項ですから、みんな手術になる
などという事は無いでしょう。
積極的な経過観察
については、林氏は、これも意味を明確にせず用いるので、注意が必要です。それを踏まえて、
- あまり小さいものは陽性とせず、精密検査に回さない、という意味での経過観察であれば、それは検査の性能を下げるのを意味する
- 見つかった がんを処置せず経過観察する、という事であれば、それは、いわゆるアクティブ・サーベイランス(待機療法)であるから、現在の標準的な方法である
このように言えます。前者については、診断の閾値を上げるという意味です。これは、より小さい がんを見落とす方向の性能低下をもたらします。そもそも検診では、無症状時に疾病を発見するという性能が要件ですが、それを意図的に下げている訳です。
このような意味で、診断の閾値を上げる事は、症状を呈さないものを発見する事の抑制にはなるけれども、それと同時に、検診自体の性能をも下げるのです。検診は、病気で無い人を病気かもと判断する害を許容しつつ、病気の人を(症状が出てからの処置に比較して)救う、のが目的ですから、本末転倒であるとも言えます。
また、これは一回の検診に関する話ですが、たとえば、一回目の検診で小さな がんを陰性判定して、それが要精検になるくらいまで成長し、次回の検診で発見されたとすれば、最初の検診での判定は誤陰性、つまり見落としです。一回目時点から成長しないか、退縮した場合などでなければ、がんは、いずれ発見される可能性があります。
ここで、発見されるものは症状を呈するのを意味しない事に注意してください。要するに、長期間にわたる検診が計画された場合、いずれ見つける(その内見つかる)側面がある、のは認識しておくべきです。
見つかった がんを経過観察する事について。
見つかったものを処置するかどうかは、主に身体に与える負担の程度に関わります。もし見つかったものが、一生症状を呈さないものだとすると、それを見つけたのは余剰発見(過剰診断)ですが、見つけたものを経過観察しても余剰発見は防げない事を押さえておきましょう。抑制になるのは、過剰処置です。
重要なのは、過剰処置で無いからといって害を免れるのでは無いという事です。余剰発見では、病気と診断された事による心理的・経済的不安・負担が生じます。
また、がんを見つけてからの経過観察を積極的におこなっているというのは、甲状腺がんが、そもそもそれほど脅威で無いと看做している、のを示唆します。
福島小児甲状腺がん多発問題に関して、過剰診断論者のみなさんに問いたい。
— 林 衛 (@SciCom_hayashi) 2018年3月29日
3)診断と治療とで基準はちがうというが、治療や診断の基準となるガイドラインの適切性は、どう評価されていますか? 過剰診断を抑制するための甲状腺専門医らによるコンセンサスへの反論は、具体的に発してほしい。
3)診断と治療とで基準はちがうというが、治療や診断の基準となるガイドラインの適切性は、どう評価されていますか? 過剰診断を抑制するための甲状腺専門医らによるコンセンサスへの反論は、具体的に発してほしい。
診断と治療の基準が異なるのは当たり前なのでは? 違うプロセスなのですから。何を主張しているのか不明です。
診療ガイドラインについては、日本における待機療法などの知見が反映されたものでしょうが、海外のガイドラインにも取り入れられている事などを考えると、ある程度妥当なものであると評価出来ます。
過剰診断を抑制するための甲状腺専門医らによるコンセンサス
がどれを指しているか不明です。余剰発見を抑制するための妥当な方策は当然、検診をおこなわない事です。もし、それ(コンセンサス)が、診断閾値を上げる事を指しているとすると、それによって余剰発見は防げるが、同時に検診そのものの性能をも下げる、というのは先に説明した通りです。尤もそれ以前に、甲状腺がん検診には、効果が認められていません。効果が認められていないから、診断閾値を上げても問題が生じないとも言えます。
福島小児甲状腺がん多発問題に関して、過剰診断論者のみなさんに問いたい。
— 林 衛 (@SciCom_hayashi) 2018年3月29日
4)自覚症状があれば過剰診断ではないというラフな考えもあるが、患者が知りたいのは適切な治療になっているのかどうか。たいした自覚症状でもないのにデメリットが大きい治療は受けたくない。治療判断がなにより重要では?
4)自覚症状があれば過剰診断ではないというラフな考えもあるが、患者が知りたいのは適切な治療になっているのかどうか。たいした自覚症状でもないのにデメリットが大きい治療は受けたくない。治療判断がなにより重要では?
自覚症状があれば過剰診断ではないというラフな考え
とは、単純に意味が解りません。余剰発見は、一生症状を呈さない疾病を発見する事なのだから、症状が発現すれば、それは余剰発見で無いのは当然です。何がラフな考えなのでしょうか。
もしかすると、症状があっても余剰発見と言えるケースを考えるべきだ、という意味合いでしょうか? だとすれば、私はその議論は興味深いと思います(というか、私は最初から、その事は認識していて、NATROMさんとやり取りしたりしています)。
けれどもその場合、今まで把握されているより遥かに多くが、実は余剰発見であったと評価し直されるとなりますが、林氏としては、それで良いのでしょうか。
あるいは、余剰発見かは措いて、
もし疾病が呈したものが軽い症状ならそれを放っておくのが適切な場合もある、と主張しているのだとすれば、それは、症状が出て判断するしか無いのを意味し、検診の文脈から外れる事になるでしょう。検診とは、無症状の内に発見するものなのですから。
以上、林氏の問いの検討です。ありていに言って、問いの体をなしていないと思います。基本的な用語や検診の目的、それらに関する知見が ちぐはぐなので、要を得た問いかけになっていないのではないでしょうか。