因果関係とメカニズム。効果の大きさ
面白い記事
これは、科学という営みや、ニセ科学に関する記事です。書き手が科学者出身のミステリ作家という事もあってか、なかなか読ませる構成です。
記事の後半に、タイトルにもある、「コラーゲンが肌に良い」はニセ科学か
という事について考察されています。そこでは、コラーゲンをいくら経口摂取しても、消化器で分解されるのだから、それが肌に良いというかたちで現象はしないであろうと考えられていた(書き手の伊与原氏もそう考えていた)事、しかし最近の研究によって、異なる仕組みによってコラーゲン生成を促すという知見が得られてきた、という事が紹介されています。伊与原氏はそれを踏まえて、
、コラーゲンを摂っても胃の中で分解されるから無意味だという説明は、やや乱暴に過ぎたということだ。
こう述べておられます。そしてそこから、科学は誤る可能性を内在し、それを修正しながら発展していく営みである、という事が主張されます。
記事全体として面白いので、是非リンクから読んでいただくとして、ここでは、上で採り上げた、コラーゲンは肌に良いかという問いとそれに関する知見について考えてみます。
科学は誤る
科学は、経験によって得られたデータを解析して、現象の構造や因果関係を解き明かしていく営為です。全能ならざる人間が経験に基づくのですから、知識が及ぶ範囲には限界がありますし、常に誤る可能性を持っています。
科学は強力
とはいっても、これまで蓄積されてきた知見は膨大で、色々の現象の予測や、技術的な応用、といったかたちで、強力な成果を上げています。これを押さえておかないと、科学も所詮は誤るのだ、と極端に見られ、科学が不当に相対化され評価されてしまいかねません。
興味を惹く説
世間の耳目を惹くような説が広まる事があります。記事で採り上げられているような、コラーゲンは肌に良いというのもその例です。他には、血液型から性格が判るとか、開発された水素水は健康に良い、といったものもあります。最近だと、特定のマスクが花粉の一部を水に換えるというのが話題になりました。
これらはいずれも、既存の科学の知見や用語が絡んだ主張です。ですから、それが妥当かどうかは、科学を参照して(この事を科学的にと言う)検討されます。
知見を参照
上で挙げたような説は、これまでに知られた仕組みから検討されます。仕組みはメカニズムとも言い換えられます。コラーゲンの例で言うと、コラーゲンは結局分解されるので、肌が良いというかたちの現象として出てくるはずが無い、というような感じです。
未知のメカニズム
先に、科学は誤る可能性がある、と書きました。誤りを修正したり、より理論を細かくしたりして、精密な体系を構築していく訳です。という事は、
現在の知見からなされたメカニズムの説明が誤る
という可能性を持ちます。コラーゲンの話で言うと、実は、これまで考えられてきたのとは異なる経路で肌に影響を与えるかも知れない、という部分。ですから、今知られている知見からメカニズム的に検討して説を否定するのは、危険な場合もあるのです。
ブラックボックス
それだと、未知のメカニズムが働く可能性が常にあるのだから、何かが影響を与える、といったかたちの問いにはずっと答えが出せないのでは? と考えるかも知れません。これは重要な指摘です。
実は、科学は、現象の細かい構造・メカニズムを解明する、という以外に、
メカニズムが隠蔽されたまま因果関係を解明する
方法も発展させてきました。
今まで得られた仕組みは、常に修正される可能性がある。でもそれでは、たとえば、この薬は効くのかといった問いには答えようが無いのではないか、という懐疑が出ます。そこで、科学では、仕組みを解くのはひとまず措いて、
入力と出力の関係
を見て因果関係を見出します。具体的には、同じような集団を用意して、いっぽうには あるものを与え(たとえば薬)、もういっぽうには与えない、として、結果を比較します。そして、与えた集団に変化が起これば、その与えたものが影響を及ぼしたのだ、と評価出来る訳です。
この考えでは、仕組みを細かく知っている必要はありません。仕組みは隠蔽されたままで良い、つまりブラックボックスとして扱って良いのです。それで入力(あたえるもの)と出力(結果)との関係を検討すれば、メカニズムをブラックボックスのままにして因果関係を推論出来る、という寸法です。
※ここでの説明は、極めて単純化したものです。より詳しい説明は、たとえばこちらを参照ください⇒p.booklog.jp
効果の問題
ここまでを踏まえると、何かがある効果を与えるか、といった問いがあった場合、メカニズムを検討するよりも、先に紹介したような方法による証拠はあるのか、が重要となってきます。先のような方法が洗練されてきたのが、いわゆる臨床試験であり、それらも含めた因果関係を追究する学問は、疫学と呼ばれます。
コラーゲンの場合、結局胃腸で分解されるのだから……というメカニズムを検討するのも当然重要ではありますが、より重視すべきは、同じような集団を、コラーゲンを与える集団と与えない集団に分け、その結果を比較した証拠なのです。
こう考えると、因果関係が先に解明されて、後で仕組みが解る場合もあり得ます。一見不思議ではありますが、たとえば、物理学における超伝導などは、現象が確認された後で詳しい仕組みが解明された、という流れです。日本では、高木兼寛が、栄養と脚気の因果関係について実験をおこない、重要な知見をもたらしました。注目すべきは、高木の考えていた脚気の原因自体は誤っていたし、実際の原因であるビタミンの発見はずっと後であった事です(参考資料:高木兼寛関連)。
血液型性格判断・水素水・ホメオパシー
ここまで見てきた事は、血液型性格判断や水素水、ホメオパシーなどの議論とも共通しています。
たとえば、血液型性格判断を批判する時に、血液や人体の解剖学的構造、あるいは生理学の知識などから、あるはずが無い、と評価する人がいます。しかし実際には、未知の仕組みによって関係をもたらしている可能性は否定出来ません。にも拘らず、血液型性格判断は現在では、科学的に否定されています。その根拠は、先に挙げたような比較の方法に類するやり方です。つまり、血液型が性格に影響を与えるとすれば、血液型の割合と性格の割合のあり方に現れてくるはずである、と考え、実際に観察してみるのです。その結果、その差は無いか、あってもとても小さいものだと判明しました。結局、否定の根拠はメカニズムでは無いのです。
同じ事はホメオパシーにも言えます。物理学の知見から考えれば荒唐無稽としか言えない説ですが、効かないという確固たる証拠が得られたのは、実は2000年代に入ってからです。この場合、同じような集団を用意して比較するという方法の内、質の良いものをいくつかまとめて検討する、といったやり方で検討されました。その結果、効かないと結論されたのです。
最近話題になった水素水も同じような事情があります。水素水の影響を否定する人の中には、胃腸に入った後でどうなるか、といった事から、無いだろうと判断する人もいますが、それはあくまで検討材料であって、直接の効く証拠は、これまで何度も紹介してきた方法によるもの(臨床的証拠・疫学的証拠)です。それによると、少なくとも現段階では、充分な証拠は集まっていないから、あたかも効くような宣伝をするのは適当では無い、と看做されています(限定的な病気に対しては、効果があるかも知れない)。これは、まさにコラーゲンが肌に影響を与えるか、の問題と同型です。
効果の大きさ
水素水やコラーゲンの話では、メカニズム的に効果を否定するのは危険、重要なのは臨床的・疫学的証拠である、と書いてきました。とはいえ、それが充分集まっていないからといって、効くかも知れない→効くだろうと短絡するのは危険です。コラーゲンの議論だと、効くかも知れない知見があるのは事実ですが、そこからコラーゲンが肌に良い証拠が出てきたといきなり言うのは適切では無い訳です。記事でも伊与原氏は、
断っておくが、コラーゲンが美肌に効くという強いエビデンスは今も得られていない。商品の宣伝文句に使うべきではないだろう。
このように述べておられます。ここはきっちりと押さえておくべきです。で無いと、大げさな宣伝、詐欺的行為に利用されてしまいかねません。場合によっては、実験的な研究は無くても、観察による証拠(肌が綺麗な人とそうで無い人を集め、コラーゲン摂取の有無を比較する、などの、相対的に弱い証拠)は存在する事もあり、その際には、効果はあるかも知れないが、あっても小さいであろうと判断するほうが適切であるかも知れないのです。ここは重要です。
証拠と主張
ある言説がニセ科学的かどうか、を考える場合は、主張の強さも検討する必要があります。現状、コラーゲンの効果は、実は異なる経路で肌に影響を与え得るかも知れない、といった所です。それをそのまま紹介すれば良いですが、これが、やっぱり効くのだなどと言ってしまっては危ない。つまり、ニセ科学かどうかとは、証拠と主張とのズレに関わってくるものなのですね。
まとめ
ここまでをまとめると、
- 科学には限界がある
- 科学は強力である
- 科学はメカニズムが完全に解っているのでは無い
- 言説をメカニズム的に検討して結論するのは必ずしも正しく無い
- メカニズムが解らなくとも、それを隠蔽したまま因果関係を解明する方法がある
- 効果の大きさを考える
- 得られた証拠と、主張の強さ、とのズレを検討する
これらの事が重要である、となるでしょうか。何か耳目を惹くような言説があった場合、こういった所に着目して、丁寧に検討をおこなっていきたいものです。