忽那賢志氏による血液型性格判断否定の説明について
2020年10月18日:改題しました。説明はコメント欄に書いてあります。
↑感染症専門医の忽那賢志による、血液型によって新型コロナウイルス感染症の罹りやすさや重症化のしやすさの程度に違いはあるか、という問いを検討した記事です。内容は、これまでの研究によって得られた知見が紹介されていて、興味深いものです。
ところが、本題では無い部分において、科学の議論上で看過出来ない記述が見られます。それは、いわゆる血液型性格判断に関するものです。導入で、話の枕的に書かれています。引用しましょう。
日本では血液型と性格との関連がよく言われます。
私はB型ですが、そのことを伝えると「ああーやっぱりねー」とよく言われます。「いや、何がやっぱりなんだよッ!」って思いますけどね。だって血液型によって性格が違うわけないじゃないですか。
テレビとかでも「血液型占い」とかあって、私なんかは「血液型で運命が変わるっていうエビデンスがあんのかよッ!?」と斜に構えて見てしまいます。
だって血液型って単に赤血球の表面の糖鎖っていう糖が鎖状に繋がったものの構造の違いであって、そんなもので性格やら運命やらが変わるわけないじゃないですか。
↑このような内容です。日本で言われる事のある血液型性格判断的な話を導入で持ってきて、では同じく血液型と、忽那氏が専門とする感染症の罹りやすさや重症化とではどうだろうか、と説明しています。
で、どこが問題かというと、
だって血液型って単に赤血球の表面の糖鎖っていう糖が鎖状に繋がったものの構造の違いであって、そんなもので性格やら運命やらが変わるわけないじゃないですか。
この部分です。と言っても、ぱっと見ただけでは、どこが変なのだ、と思われるかも知れません。
ここで忽那氏が書いているのは、
既知の生物学的な機構から、ある訳が無いと導いている
という事です。いま考えているのは、血液型と性格に強い関連はあるかという問いですが、忽那氏はそれについて、これまで解っている生物学的な知識からはあり得ない、だから血液型と性格に関連は無い、と言っている訳です。この理路がよろしく無いのです。
科学では、何らかの現象について、関連のある無しを問う事があります。つまり、ある特徴 A を持っているものは、他の特徴 X を持っている割合が高い(そして、A を持っていない場合には、X を持っている割合は小さい――このような事を、関連があると言います)、といったような問いです。いまの話で言うと、血液型と性格に関連があるとか、血液型と感染症の罹りかたに関連があるといったものです。
で、こういう、関連についての問いを評価する際には、
仕組みは措いて、まず関連を検討する
事が、とても重要です。つまり、
今まで得られた知見を鑑みれば、そのような関連は生じない
のように考えない(考えるにしても、そこを結論としない)訳です。と言うのは、これまでに知られていない機構によって、関連が生じる可能性はあり、それを無視してはならないからです。
科学とは、色々の現象(自然的でも社会的でも)について、観測や実験、観察などによってデータを得て、それを解析・評価する事で、仕組みや説明の体系を構築していく営み(および、構築された知の体系)です。したがって、常に未知の部分があります。ですから、関連について何らかの問いがあった時、今まで得られた知識の体系からただちに、あり得ないと断じてしまってはいけないのです。
たとえば、ホメオパシーなる療法があります。それは、原料を水やアルコールでもって、元の物質がなくなるまで
薄め(希釈。それに振盪なる操作を加える)、砂糖玉に染み込ませるなどして(レメディと言う)与えれば、自己治癒力が活性化され治癒に至る、と主張されるものです(参考⇒ホメオパシーとは|日本ホメオパシー医学協会)。
現在の自然科学的に考えれば、このようなものが、病気の治癒を促すという意味で効く事など、あるはずがありません。なにしろ、原料が残らないほど薄めるのですから。
では、科学者や医学者が、単に仕組み的にあり得ないから効かないと断じたかと言うと、そうではありません*1。確かに、物理学や化学等の観点からは効くようには思われないものですが、科学者はそれだけでは済まさず、臨床研究をおこなってきたのです。そこでは、薬剤等の効果を検討する際の最も厳密な方法とされる、プラセボ対照二重遮蔽RCTもおこなわれており、それらを総合的に検討した結果、実質的な効果が無いであろう、と評価されています(参考⇒ホメオパシー | 海外の情報 | 一般の方へ | 「統合医療」情報発信サイト 厚生労働省 「統合医療」に係る情報発信等推進事業)。
このように、自然科学的にはあり得ないと断じて良さそうなものであっても、それをきちんと臨床的に評価し、効果が無さそうだと言えるようになってきたのは、ようやく2000年代に入っての事だったのです。
話は戻って、血液型性格判断です。何度も言うようにこれは、血液型と性格に関連がある(関連とは程度問題であるから、実際には高低を考えます)という問いです。ホメオパシーと同じように、既知の体系から想定される機構から、それがあり得ないとすぐに断ずるべきではありません。
現状、血液型と性格には関連が無い(あるいは、実質的に――いっぽうからもういっぽうを高い確率で推測出来るほどの――意味が無いほど小さい)とされています。けれどもそれは、仕組み的にそう考えられるから(だけ)では無く、実際に調べたから解ってきたものです。たとえば、下記を参照ください↓
上記研究は、大標本を用いて、積極的に関連の無い事(正確には、実質科学的に意味が無い)を論証したものです。血液型と性格に関する研究はいくつもおこなわれてきており、それを補強する内容でもあります。これら研究によって、実質的に意味のある関連は無いだろう事が示されています(ごく慎重に言っても、強い関連を示す確実な証拠が示されていない)。つまり、これだけの実証研究がおこなわれてきているという背景があってこそ、血液型性格判断が否定される訳です。
ここまでを踏まえると、忽那氏による、だって血液型って単に赤血球の表面の糖鎖っていう糖が鎖状に繋がったものの構造の違いであって、そんなもので性格やら運命やらが変わるわけないじゃないですか。
との否定のしかたが、科学的にはかなり不用意である事が、解って頂けるのでは無いでしょうか。実際には、いくつもの研究で血液型と性格との関連を調べていて、その結果に基づいて、当該の論は否定されているのですから。これは、忽那氏が後のほうで説明している、血液型と感染症との関連を見出す研究と、方法的に共通している訳です。つまり、(ここから、ちょっと専門用語が入ります)疫学的に言うと、血液型性格判断では、血液型を曝露、性格を帰結と看做す。また感染症の話では、曝露は同じく血液型で、帰結を感染症罹患や重症化の程度として、それぞれの関連を検討している訳です。
忽那氏は、血液型性格判断を否定するのに、既知の生物学的仕組みからある訳無い(変わるわけないじゃないですか。
)と断ずるのでは無く、
既にいくつもの実証研究がおこなわれており、その結果に基づいて否定出来る
と説明すべきであったのです。そうで無いと、後のほうでの、血液型と感染症との関連を慎重に検討している事と、知的態度が整合しません。そもそもこれは、科学の議論の流れなのですから(もしかしたら、忽那氏は血液型性格判断の研究について把握しているのかも知れませんが、もしそうであるとすれば、書かずにメカニズム的理由で否定するのは、全くフェアではありません)。血液型性格判断も、それに関わる専門領域(パーソナリティ心理学や社会心理学)があり、そこでの実証的方法が用いられ、知見が積み重ねられてきているのです。