ゲーム依存対策に関する条例についての意見や主張を、書かない訳
香川県の話。ここや前のブログを読んでおられるかたであれば、私がその問題について何か書くのではないか、と思ったかも知れません。
もちろん、興味はあるのですが、現在の所、書いていません。関連記事に はてブもつけていません。
理由は、難しいからです。関連する分野、考慮すべき事柄が広過ぎて、それをきちんと満遍なく押さえて上手く繋ぎ合わせ、それなりのレベルの主張に仕上げる事が、今の私にはリソース的に無理なのですね(たぶん、能力的には可能)。
ざっと考えるだけでも、下記のような論点があります。
- 依存とは何か
- ゲームとは何か
- ゲームによる依存がもたらす害はどのくらい深刻か
- ゲームは、それによる依存をどの程度引き起こすか(リスクと言う)
- ゲームの与える影響(好影響・悪影響ともに)に関する研究は、現状どのようであるか。古い研究による結果をそのまま適用して良いか(コンソールゲーム主体だった頃とは、構造がだいぶん変容しただろう)
- 条例とは何か
- 規制とは何か
- ゲームに害がある事が解ったら、それを規制するのは社会的に許容されるか
- どの程度の害があれば規制が正当化されるか
- 公衆衛生上の脅威としてタバコなどがあるが、それらは現状どのように制限されているか。それを規制と呼べるか。ゲームはタバコに比較してどのくらいの害があるか
- 他の、飲食物や薬物などとゲーム(いわゆる電子メディアの一種としての)とを、同様に見て良いか。良いとすれば何故か。良くないとすれば何故か
- ゲームを規制せんとする論者の依拠するものは何か(今の所、首唱者に影響を与えたであろう事が確認されているのは、脳内汚染とゲーム脳。まあ解りやすいものではある)
- 首唱者が依拠する論は、現状どのように評価されているか
- 首唱者は、依拠する論についてどのように勉強・解釈・批判的検討してきたか。参照した当時のまま信じ続けているか。何かしらの洗練・複数の論の組み合わせ、等を試みた上で主張を展開しているのか
少なくともこれくらいの視座を備えた上で、各関連分野の最新の知見を押さえつつ整合的に仕上げていかないと、ゲームを規制する事の是非について、強靭で的を射た(論理的・理論的・臨床的・社会的な観点からの鋭い批判に耐え得る)主張は出来ません。方法的には、
- ゲーム文化に関する歴史および、現状の構造についての知見(各ゲームジャンルの発生と細分化、ゲームプレイ環境、オンラインゲームの隆盛、月額課金やアイテム課金モデルの浸透、いわゆるガチャ的な仕組み、等)
- 依存症に関する知見(主に精神医学)。疾病・疾患概念の議論やケアの方法はどうなっているか
- 集団に対する影響を評価する学問的方法の習得(疫学・公衆衛生学・保健統計や社会心理学。いわゆるEBMの方法の援用)
- 疫学等の方法に関連して、因果関係についての知見(つまり因果推論の方法。科学哲学や統計的因果推論が関わる)
- 規制なる社会的意思決定に関わる、人文・社会科学的分野の知見
これらの分野および、関連の最新の知見を得る必要があります。方法的な知識を有していたとしても、最新の研究による知見(エビデンスとも言う)を押さえておかなければ、話になりません。対象(ゲーム文化)の構造もめまぐるしく変容するし、それに関する研究の知見も、どんどん蓄積されていくでしょう。そこの勉強を疎かにしたままものを言うと、足をすくわれます。
こういう事情があり、現在の私は明らかに、ここで示したような事をしっかり押さえて論を展開出来る水準に達していないので、残念ながら、書く事が出来ません。この種の議論は、
ものを知るほど語りにくくなる
類の話だと思います。あまり細かい所に意識を向けず、大きな声を出す人のほうが、影響やインパクトを与えやすいのかも知れませんが、だからといって、それに対抗すべく、自分も不勉強なままに大きな声を出す訳にはいきません。