「リスク」とは「害」や「不利益」の事では無い

このような意見を見かけました。

NATROMせんせい、リスクじゃなくて「害」という言葉をつかうのはナンデなのかしら。

このかたは、疫学におけるリスクの概念について、ご存知では無いようです。

疫学においてリスク(危険:risk)とは、

好ましく無い事象の起こる確率

を表す用語です。疫学の教科書から引用してみましょう。

risk リスク(危険) あらかじめ規定された期間内に特定の事象が生じる確率.疾患発症のリスクは累積罹患率で測定される.

これは、『しっかり学ぶ基礎からの疫学』の用語解説の文です。また、『今日の疫学 第2版』では、

一定時間の罹患者数を母集団の人数で除したリスク(riskあるいは累積罹患率:cumulative incidence)

とあります(P15)。ここでは、一定期間における、母集団に占める罹患者(※新規の発生)の割合とされています。つまり、リスクというのは、先にも言ったような、好ましく無い事象が起こる確率、あるいは、それが起こった割合、と言えます。

これを踏まえて、NATROMさんはtwitterで、すべての検診には害があります。と発言しています。ここでとは、医学的な介入を受けた際の、対象者が被る何らかの、身体的・心理的等の不利益を一般的に表したものである、と読むのは、簡単な事です。疫学において、害そのものが用語として定義されているのはあまり見ませんが、たとえば、NNHという用語のHは、害:harmの頭文字です。ちなみにこの用語は、何人に介入をおこなえば1件の害をもたらすか、というのを表す指標です(NNH:Number Needed to Harm)。

このように、疫学の用語と文脈を知っていれば、なぜリスクで無く害の語を用いるのかという問い自体、出てこないようなものなのです。何故なら、疫学的に当たり前の用法であるのですから。

たとえば、下記をご覧ください。

www.cdc.gov

これは、CDC(アメリカ疾病管理予防センター)の文書で、前立腺がん検診に伴う便益とを検討したものです。タイトルが、そのものずばり、What Are the Benefits and Harms of Screening?であり、Possible Harm from Screeningという節もあります。

また、

科学的根拠に基づくがん検診推進のページ

上記サイト(日本における検診の評価について、最も重要なサイトです)の用語集には、

利益・不利益(benefit・harm)

↑このような、利益・不利益(benefit・harm)の項もあります。

以上見てきたように、検診に伴う不利益を表現するのに、の語を用いるのは何らおかしくは無い、否、より適切な用語選択である、と言えるでしょう。むしろ、生じ得る不利益そのものを指してリスクの語を用いるほうが、不正確な用法と考えられます。疫学の定義を踏まえるならば、ある不利益の生ずるリスクはどの程度かといった使いかたをしなくてはならないのですから。

菊池誠氏の主張 “甲状腺検査で見つかった癌は殆どが無症状の微小癌」” は誤っている

菊池さんが、次のような発言をなさっていました。

甲状腺検査で見つかった癌は殆どが無症状の微小癌ですから、

端的に言って、これは誤っています。論証は簡単です。

www.jstage.jst.go.jp

↑これは、鈴木眞一氏による、福島県における検診発見の甲状腺がんの取り扱いについてのまとめです。

ここに、次のような文があります。

術後のTNMでは T1 59.2%(T1a 34.4%,T1b 24.8%),T2 1.6%,T3(EX1)39.2%,T4 0%,N0 22.4%,N1 77.6%(N1a 60.8%,N1b 15.8%)であった。

T1a 34.4%←ここに着目してください。
このT1aTというのは、がんの病期を分類する指標(TNM)の一つであり、その内のT1aは、

甲状腺に限局し最大径が 1cm 以下の腫瘍を示します。

※上の文は、甲状腺癌取扱い規約7版からですが、リンクが張りにくいので、適当に検索してPDFを見るか、下リンクなどを参照ください(下記ガイドラインの記述は6版による)

がん診療ガイドライン│頭頸部がん│診療ガイドライン

次に、以下をご覧ください。

甲状腺がん 治療:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

ここに、腫瘍の大きさが1cm以下(微小乳頭がん)とあります。つまり、甲状腺乳頭がんにおける微小がんとは、腫瘍の大きさが1cm以下のものである、という事で、TNM分類でT1aを示します。

これらを踏まえると、鈴木氏によれば、125例が術後甲状腺癌と確定した内、微小がんは、35%程度であった、と言えます(T1a 34.4%であるから)。

従って、ここから、菊池さんの言うような、

殆どが無症状の微小癌

などという主張をおこなう事は、到底出来ません。

以上より、菊池さんの発言は誤りである、と評価出来ます。