菊池誠氏は《ヘルシンキ宣言には殆ど触れていない》のか

ツイッターでは「医学研究倫理に反する」と何度も書いているけど、ヘルシンキ宣言には殆ど触れていないはずです

(強調は引用者)さすがに、これはあまりにも酷い、と思ったので。

下をご覧ください。

twilog.org

いくつか貼ります。

福島での甲状腺検査は本当にヘルシンキ宣言の精神に沿ったものなのか、きちんと検証するべきだし、それまではいったん取りやめるべき

、いっぽう福島での甲状腺検査には医学研究の面があるので「受診者に利益のない検査を行うべきではない」という原則(要するにヘルシンキ宣言)を考える必要があります

↑伊勢田さんも指摘しているように、受診者に利益のない検査を行うべきではないというのは当てはまりません。山崎・小出『臨床研究いろはにほ』より引用します(P35・P36)↓

 では,このような(引用者註:ヘルシンキ宣言やGCP)倫理規定に守られた患者さんは,試験に参加するメリットがあるのでしょうか。試験を行う側にとって常に思い描いておかなければならないことは,臨床試験に参加する患者さんに直接のメリットはない」ということです。明確なデメリットは排除したとしても,メリットを前提に臨床試験を行ってはいけないし,メリットを強調した説明を行うことも厳禁です。

。福島での甲状腺検査がヘルシンキ宣言に反するというのはそういうことです。

、そもそも福島での甲状腺検査がヘルシンキ宣言に反するのではないかということです。僕は反すると思います。

ヘルシンキ宣言が理解できないなら、人体実験の論理に絡め取られてるんですよ。

↑相当に強い主張

個人的には三県調査はヘルシンキ宣言に反すると思います。

。福島での甲状腺検査が事実上人体実験になってしまっているなら、表向きの目的の如何に関わらずヘルシンキ宣言の精神に反するのですよ

これだけ語っておいて、ヘルシンキ宣言には殆ど触れていないなどという主張が成り立つはず無かろう、と私は思いますが、皆さんはどうですか?

追加↓

別にヘルシンキ宣言に該当しようがしまいがそんなことはどうでもいいんですよ。そんな馬鹿みたいな形式の話じゃないでしょう、問題は

主題の、殆ど触れていないと共に、上記引用文のような事も言っていたので、この記事を書きました。どうでもいいのなら何で何度も触れるんだよ、となるでしょう? そこが重要だから何度も触れているのだろう、と。

伊勢田哲治氏による、福島における甲状腺がん検診が《ヘルシンキ宣言》に照らして《人権侵害》にあたるかの検討。および、それの見られかた

伊勢田哲治氏による菊地誠氏への批判

科学哲学や倫理などを専門とする哲学者である伊勢田哲治氏(伊勢田 哲治 - 研究者 - researchmap)が、物理学者の菊池誠氏による主張、

福島における甲状腺がん検診は、ヘルシンキ宣言に照らして人権侵害である

を、実際にヘルシンキ宣言を引いて検討しておられます。

blog.livedoor.jp

人権侵害とは、日常的にも用いられる表現ではありますが、いまのような議論においては、より人文・社会科学的な知も踏まえてきちんと考えるべきものだと思います。また、ヘルシンキ宣言が、具体的にどのような所まで許容し、または禁止しているか、も精細に検討する必要があるでしょう。その意味で、倫理も専門とする伊勢田氏による考察は、興味深いものだと思います。菊池氏は、採り上げられている意見を主張の柱としているのだから、伊勢田氏の指摘に、明確に反論出来るはずです。

伊勢田氏による批判は、それ自体をよく検討すべきものだと考えるとして、ここから採り上げるのは、伊勢田氏の記事に対する反応です。

伊勢田氏の記事への反応

↑キクマコさんが使った「人権侵害」の言葉に視野狭窄な 「甲状腺検査がヘルシンキ宣言に違反するか否か、人権侵害と言えるか否かの検証」 としかわたしには読めません。

↑伊勢田氏の指摘を、視野狭窄と表現し、具体的な検討等はおこなっていない。

twitter.com

過剰診断となるスクリーニングはヘルシンキ宣言違反となるか、についてきくまこさんの記事と照会しながら検討したブログを拝見しました。どう言えばいいんでしょう。いろんなところで???となっております。

越智先生の記事でも思ったけど、やはり健康見守りのための検査のデータの二次利用、観察研究、介入なし、と捉えられてしまうんですかね。すでにあるデータを利用する形の後ろ向き解析にはなっているけど、その観察手法に問題があることがわかってきていて、それが現在進行形。本当に問題なし?

↑伊勢田氏は、菊池氏の主張はヘルシンキ宣言なる文書に照らして妥当かと具体的な検討を加えているのであって、

伊勢田氏自身による、福島での甲状腺がん検診の倫理学的評価

をおこなっているものでは無い。別な話なので、本当に問題なし?などという疑問自体が的を外している(伊勢田氏は、検診が問題無い、などとは言っていない)。

↑こちらの意見は、幾らか建設的。しかし、

人権侵害、ヘルシンキ宣言違反という用語の使い方や断定的な部分を修正すれば、

と書いているが、そもそも、断定的な意見こそが菊池氏の主張のコアの部分なのだから、そこを修正するとなると、主張全体を変更せざるを得ない。菊池氏や高野氏は、ヘルシンキ宣言に拠って人権侵害であると(検診に関わる諸々を)批判しているのであるから(参照⇒◆Welcome Page ◆福島の甲状腺がんの過剰診断―なぜ発生し,なぜ拡大したか―)。

過剰診断の理解がアレな人達に利用などと言っている。利用も何も、伊勢田氏の指摘が適切であるのならば(そうで無いのなら、具体的に反論をおこなえばよろしい)、どんな立場であれ、それを言及したり紹介したりする事に、どうこう言う筋合いでは無い。着目している人たちが、余剰発見含めた検診の論理を解っていないのであれば、それを具体的に検討・批判すれば良いのであって、その人たちが伊勢田氏の論に言及しているのを利用などとただ言うのは、物事をこちらかあちらかで考えているのを示している。

伊勢田氏の指摘が妥当であるのなら(繰り返すが、妥当で無ければ、具体的に反論をおこなえばよろしい)、

確かに菊池氏の主張は適切で無い所がある。そこを批判されるのはしかたが無い

と何故ならないのか。

菊池氏に修正を促し、主張を精密にする事を援ける

方向に何故行かないのか。

確り評価する事

先にも書きましたが、あちらかこちらかとか、あらかじめ持っている主張や信念に合わせるような読みしか出来ない人がいる、という事です。

もし菊池氏の主張が妥当だと思うのなら、それこそ、ヘルシンキ宣言を詳細に引いて検討し、論を組み立てれば良い。もし伊勢田氏の論考に甘い所があるのであれば、そこを採り上げ、具体的に検討・批判をおこなえば良い。そういう話でしょう。それもせずに、利用されるとか、そんな事を考えるからいけないのです。

実際、私は伊勢田氏の記事の、検診の疫学に関わる部分の問題のある箇所に気付き、直接コメント欄で指摘してきました。今の所は修正されていませんが2019年9月2日追記:伊勢田さんの記事に、修正が入れられました、私が指摘した所は、

検討対象が主張している事を捉え損なっている

という意味でクリティカルなので、早く直されるべきだと思っています。伊勢田氏が仰るように、ヘルシンキ宣言を参照しての検討という意味では本筋でなかった(伊勢田氏の記事コメント欄を参照)のは確かですが、別筋での議論の基盤および、批判対象解釈の誤りに関する部分だからです。

前節で紹介した人びとは、こういった読み込みも碌にしていない訳です。もう少し、きちんと検討なさってはいかがですか。