ファクトチェック

ファクトチェックにまつわる話。

ファクトチェックは、

実際と異なった情報が流布される事による害

を懸念しておこなわれるものです。

ニセ科学を批判する方面では以前から、優先順位問題なる言いかたがされてきました。これは、誰かが何かをニセ科学と批判する際に、他のもののほうが重要だからそれをまず批判せよといった意見が出てくる事があり、それに対して、どれを批判するかはそれぞれの問題意識に基づいて自由になされるべきであって、まずどれを批判すべき、などといった優先順位を決めるようなものでは無い、のような議論がおこなわれた事を指します。

最近、日本ファクトチェックセンター(Japan Fact-check Center)が設立され、報道機関の出した言説を当該組織が採り上げない事が批判されました。

factcheckcenter.jp

(4)正確で公正な言説により報道の使命を果たすことを目指す報道機関として運営委員会が認める者が発信した言説ではないこと

JFCファクトチェックガイドライン(20220927).docx - Google ドキュメント

↑これは、対象言説の設定に係る条項の一部です。ここ自体が恐ろしく曖昧ですが(目指すとか運営委員会が認めるとか)、それはひとまず措いて、この部分が強く批判されています。要するに、マスメディアもひどいガセを流す事があるというのにそれを除外して何がファクトチェックか、といった具合です。

当該組織は、特定の専門分野を研究する団体(学会など)や、何かを愛好する個人や小規模の組織というのでは無く、それなりの資金が投入され、マスメディアに関わった者が構成員に名を連ね、採り上げる言説の性質は特に限定しない、というものですので、まずこれを批判しろよ、とか、それを除外するのはおかしいだろう、のような批難が加えられるのでしょう。まさに優先順位問題が、優先順位をきちんと決めるべきという内容でもって議論されている訳です。

話がそういう流れになると、あの言説を真っ先に批判すべきとか、この組織が流布するものを何故採り上げないのか、という指摘が出てきます(既に出ています)。問われてもしかたが無い所だろうと思います。結構な金をかけて、色々の言説をファクトチェックする、と宣言しているのだから、何をチェックするのかが厳しく問われるのは当然とも言えます。

しかし、です。じゃあどう優先順位をつけるかは、途轍も無く難しい事です。たとえば、先に引用したガイドラインには、

当該言説の流布が、個人、組織、集団又は広く社会一般に対して影響を及ぼす可能性があること

↑こうあります。個人、組織、集団又は広く社会一般に対して影響を及ぼす可能性というのをどう評価しますか? それは定量的におこなえるものですか。おこなえないとすればどのような根拠でもってそうであると主張しますか。

言説が流布されるのですから、それを検討するには

  • 言説そのものの有害さ
  • 言説が流布される規模
  • 流布された言説を信じる度合い

といった観点が必要と考えられます。これは、リスク評価において、危害の程度とそれの起きる確率を算出し、そのかけ合わせとしてのリスクを評価する、といったプロセスになぞらえる事が出来るでしょう。たとえば、ワクチン接種に関わるガセネタの場合、それを信じた結果の危害としては、最悪で人が死んでしまうので、それを重く見る、のように考える訳です。 日本ファクトチェックセンターのガイドラインに批判的な論者は、こういった観点を重視しているのだと思われます。HPVワクチンに関わる言説なども想定しているでしょう。報道機関であれば、情報が流布する速さも大きいと考えられます。

とは言え、日本ファクトチェックセンターもそれへの批判者も、全く定性的で直感的な主張に留まっています。日本ファクトチェックセンターは、自身が掲げるガイドラインが曖昧ですし、批判者は批判者で、こっちのほうが悪質だろう、とただ言っているに過ぎません。定量的な評価も何もありません(定性的な評価で良い事を正当化するロジックもありません)。これではずっと噛み合わないし、建設的な議論にはなり得ないでしょう。優先順位の話をするのであれば、どうやって優先順位を決めるのかを真面目に考えるべきです。

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ここからは、先日にはてなブックマークでも書いた事ですが、改めて考えてみます。

日本ファクトチェックセンターのガイドラインから、19条を引用します。

第19条
1.当センターは、広く一般からの要請及び日常的な調査により収集された言説のうち、以下の条件を満たすものの中から対象言説を設定する。
(1)不特定多数に公開された言説であること
(2)事実に基づき客観的に証明又は反証が可能な内容であること
(3)当該言説の流布が、個人、組織、集団又は広く社会一般に対して影響を及ぼす可能性があること
(4)正確で公正な言説により報道の使命を果たすことを目指す報道機関として運営委員会が認める者が発信した言説ではないこと
2.前項の規定にかかわらず、運営委員会は、特に必要と認める場合には、対象言説を指定することができる。

↑1は、直前の18条にあるように、主にSNS掲示板等に書き込まれるものを想定していると見られます。

第18条
 当センターは、SNS掲示板等インターネット上において意見の発信や情報交換が行われる公開の場を中心に、それぞれの場において流通する情報や利用者の意見等の他、誤りの可能性がある言説として当センター以外の者により提示されている言説についても調査し、ファクトチェックの対象とすることが設置規程に定める目的の達成に資するものと認められる言説を収集する。

その上で、正確で公正な言説により報道の使命を果たすことを目指す報道機関として運営委員会が認める者が発信した言説ではないことと、報道機関の発信するものを除外しています。ここがまず合理的ではありません。現在は、各報道機関も積極的にSNSを活用しており、Twitterなどで各記事を紹介し、リンクを張って誘導しています。つまり、SNS発信で情報が広く流布されるという意味で、全く同じような形態を取っていると言えます。インターネット、SNS、報道機関、といったものは、それぞれ隔絶した存在ではありません。それなのに、報道機関として運営委員会が認める者が発信した言説ではないとして除外するのは実態に合わないと考えられます。また、先述のように、

正確で公正な言説により報道の使命を果たすことを目指す報道機関として運営委員会が認める

↑ここが極めて曖昧です。目指す事は確保されるのを保証しません。認めるとは何をもって判断するのでしょう。対象の報道機関がそう宣言していれば良いのでしょうか。しかも、当該組織は広く一般からのファクトチェックの要請を受け付ける訳です。当たり前ですよね、組織で調査をおこなうと言っても、リソース的に対象を網羅的に検討出来るはず無いのだから、怪しげなのはあるか、と募るしかありません。であれば尚更、報道機関を除外する意味が解りません。要請を受ける時点で、ある種のスクリーニングを受けたものが集まるのだから、あらかじめ報道機関を除外するとしたら、却って重大なものを見逃す可能性もあるのですから。少なくとも当該機関は、なぜそのような条項を設けたのかという事について合理的に説明出来なければならないでしょう。

もちろん、報道機関の発信するもののほうがガセの割合が小さいなんてのは根拠足り得ません。いま書いたように、意見を募るという意味でスクリーニングを受けたものを検討するのですし(その段階で相対頻度の問題では無い)、敢えて割合云々を言うのなら、SNSにおけるガセ言説の割合などどうやって測るのか、となります(分子も分母もどうやって決めますか)。

害と正味の便益、正味の害

福島の甲状腺がん検診にまつわる議論*1の流れで、余剰発見等の好ましく無い結果をもたらすのを害・ハーム(harm)と呼んだり、検診が推奨されるかの指標として正味の便益(net benefit)を使い出したのは、おそらく私が最初のほうだろうと思います。

余剰発見(世間的には過剰診断)が取り沙汰されるようになった頃、そのような現象あるいは結果自体を指す言葉として、リスクが用いられていました。たとえば、がん検診のリスクのひとつは、「過剰診断」です。といった具合です(過剰診断とは何か?――福島の甲状腺検査の問題点 - SYNODOS)。これは3年前の記事ですが、比較的新しいものでもこのように用いられているという事例です。

しかし、疫学など検診の議論に関わる専門分野においてリスク(risk)とは、着目する結果の起こる割合や確率を指す用語です。我々が興味を持つのは、着目する結果がどの程度の確からしさで起こり得るのかの所であり、それを指す用語としてリスクが定義されているので、そこをきちんと分けて語を使ったほうが都合が良かろう、と考えた訳です。

では、生ずる結果の内で好ましく無いものを指す語として何があるかと言えば、それが害・ハームでした。

検診等の医療介入がもたらす効果を指す指標として、NNTがあります。これはnumber needed to treatの略で、好ましい結果をもたらすためにはどのくらいの数の介入が必要となるか、を表したものです*2。いっぽう、好ましく無い結果でそれに対応するのは、NNHです。それは何の略かと言うと、

number needed to harm

です。ここにharmが出てきます。検診に興味を持つ場合に着目するのは、

  • どのくらいの人に検診をすればどのくらいの人が助かるのか
  • どのくらいの人に検診をすればどのくらいの人に余剰発見や誤陽性が生ずるのか

といった所であり、それらを評価する指標の用語にharmがあるので、表現として都合が良かったのです。また、専門の文献を見ると、benefitharmを比較して検診の是非を論ずるものが多くあります。そういう事情があったので私は、harmの訳であるを積極的に用いるようになった次第です。

意外に思われるかも知れませんが、疫学やリスクマネジメント方面では、リスクは必ずしも好ましく無い結果の生ずる確率を表すものではありません。そこで日常的用法とも乖離しているので、害に限定するかのようにリスクを用いるのも避けたいのです。この議論をほんとうに真剣に考えたいのなら、専門分野の知識(術語など)に直結するので、疎かに出来ません。

検診の是非について、害の話しかしない、または害の話ばかり先行させる論者がいます。甲状腺がんは過剰診断が起こるのでやるべきでは無い、的な言いかたをする人びとです。しかしそれは、極めて乱暴です。そもそも検診とは、集団に対し実施され、その結果としての便益と害の程度とを比較し推奨が検討されるものです。それを蔑ろにして、害があるからやるべきでは無い、かのように言うのは、検診の議論の性質を無視した主張と言えます。

以前から、内科医の名取宏氏などが、検診実施に慎重になる理由として*3効果が認められていないからというのを挙げていました。この点で、害ばかり言う論者と一線を画していました。ここで効果とは、死亡率低減やQOL維持(低下の抑制)などの結果をもたらす事を意味します。便益とも言い換えられます(便益はもう少し広い概念でしょうが)。

検診の是非は、効果や便益と、害との比較で検討されると言いましたが、効果が認められていないのであれば、その時点で実施を推奨出来ません。これは、害があるからを理由とするのとは違います。

  • 良い影響が無いから
  • 悪い影響があるから

この両者は異なるでしょう。後者は良い影響をもたらす事と排反では無いからです。これについては以前書きました↓

interdisciplinary.hateblo.jp

話を簡単にし、便益をプラス、害をマイナスと表現して、そのトータルを考えます。便益が無いのであれば、トータルは必ずマイナスです。その時点で検診の実施は正当化されません。いっぽう、マイナスがある事が知られているとしても、プラスのトータルが検討されなければ、マイナスがある事をもって検診の非実施を正当化出来ません。

便益をもたらす証拠が無い事は、検診の実施が正当化出来ない充分の理由になります。その意味ではけっこうシンプルな話です。しかるに、これだけだと、

便益と害の程度を比較する

との一般的論点が着目されにくくなります。一般論としては、それらを比較し、

トータルで便益が上回れば実施が正当化される

というのが重要であるからです。そして、その便益が上回る部分を、正味の便益(net benefit)と言います。これは、USPSTF(United States Preventive Services Taskforce:米国予防医学専門委員会)などの専門的機関による評価で最も重視される概念です。それを踏まえれば、検診が推奨されるかどうかは、

正味の便益があるかで決まる

のであり、甲状腺がん検診にはそれが認められていないので推奨されない、と言えます。更に言えば、甲状腺がん検診では効果をもたらさないであろう証拠*4があります。もし便益が無いのであれば、検診はただ害のみをもたらします。したがって、検診が生ぜしめるのは正味の害:net harmである、とも表現出来ます。それを踏まえるならば、甲状腺がん検診が推奨されないのは、

  • 正味の便益をもたらす証拠が無い←比較的慎重
  • 正味の害をもたらす証拠がある←比較的大胆

上記のような理由から主張する事が可能です。

ここまでの話を考え合わせると、害があるから検診すべきで無いかのように表現するのが、いかに乱暴なものかが解るでしょう。対して、効果をもたらす証拠が無いから検診すべきで無いというのは妥当です。ただ、先ほどから言っているように、後者の表現では便益と害との比較の観点が意識されにくいので、さいきん私は正味の便益なる概念をよく使うようにしている訳です。

検診とは、

  • 集団におこなう
  • 便益と害が個人レベルで両立する場合もあるし、しない場合もある

という介入です。ワクチンなどの介入も同様ですが、そういうものをトータルに評価するには、複雑な知識と議論を要するのです。ですから、用語の使いかたにもその事が踏まえられてしかるべきです。それをしなければ、話が噛み合わなくなりますし、実際に噛み合ってないのをたびたび見かけます。もしほんとうに、真剣に議論をして知識を高める志向があるのであれば、これは好ましく無い事です。

*1:専門的文脈以外の、SNS等を含めたもの

*2:介入が検診の場合には、NNS:number needed to screenやNNI:number needed to inviteも用いられる

*3:現在はともかく、名取さんは明示的に検診に反対はしていなかったはずです

*4:間接的だが安定した証拠