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疫学における「原因」の考えかたと、指標について――前編

ご案内

本エントリーは、疫学における原因の考えかたと、それにまつわる指標について説明した連載記事の一部です。
連載は、以下の記事からなっています。

はじめに

d.hatena.ne.jp

これは、NATROM さんによるエントリーです。この記事は、胃がんの 99%の原因はピロリ菌であるという主張が正しいのかを、疫学の考えを紹介しながら検討していく、簡潔にまとまったものです。いくつかの疫学の用語の内容を勉強する事の出来る、良い記事だと思います。

それで、NATROM さんの記事は明瞭なものですが、それでも、疫学に不案内なかたには、まだハードルが高く感ぜられるかも知れません。そこで、僭越ながら私が、疫学の専門の考えを理解する、橋渡しのような記事を書こうと考えました。

本記事では、疫学のいくつかの基本用語について、なるだけ丁寧に書こうと心がけます。ですので、どうしても長くなってしまいますが、テキスト量と内容の詳しさはトレードオフであるという事で、ご容赦いただきたいと思います。

※以降、疫学用語の英単語に、Weblio 辞書のページへのリンクを張る場合があります。英語表現の辞書的な意味を確認する事によって、より理解が深まると考えたからです。

まず、曝露と帰結

要因・因子

私達は、どのようなものや事が病気と関わっているか、とか、どういった生活習慣が健康を害するか、といった事に興味を持っています。たとえば、タバコは何か特定の病気の原因になるか、などです。
着目する病気などの現象は、色々なものや事が絡み合って、その結果成立しています。それに関わる色々の要素をここでは、要因と言います。日常的にも使う言葉ですね。また、要因の中で特に着目したものを因子と表現する場合もありますが、本記事では、厳密に区別せずに用いる事とします。

曝露

ここで、タバコのような、それによる何らかの影響を確かめたいような要因を、曝露因子(曝露要因:exposeと言います。曝露とは文字通りには、何かに曝される事ですが、疫学で言う曝露は、かなり広い適用範囲があります。たとえば、解りやすい所では、タバコの煙が、何らかの病気を引き起こすかも知れない曝露因子である、と言えます。最近だと、放射線を浴びる事に着目する人も多いと思いますが、この場合は、放射線が曝露因子です(放射線に曝露される事を特に、被曝と言います)。意外に思われるものだと、性別年齢も曝露因子です。性別に曝される、とはいかにもしっくりこない表現かも知れませんが、疫学では、このような属性のような要因も、曝露因子の一種と捉えます。これらは、それに曝されると言うよりも、そのような性質を持っているのだと捉えると良いでしょう。
なお、曝露因子そのものや、曝露因子を受ける事などを、単に曝露と表現する場合があります。本記事でも適宜、そのような表現を用います。

帰結(アウトカム)

次に、病気など、曝露によって もたらされると考えているようなものを、帰結(結果:outcomeと言います。カタカナでアウトカムと言う場合も多いです。
この用語で、色々の、興味を持っている現象を指す事が出来ます。病気の発生であったり、交通事故の起きる程度であったりです。

ここで紹介した曝露帰結(アウトカム)は、疫学の議論で頻繁に用いられる最重要の用語ですので、まずこれらを憶えておきましょう。ここを押さえておけば、たとえば、タバコと肺がんとの関係について報道があったりした時に、ああ、タバコ(の煙)が曝露で、肺がんという帰結との関連について研究しているのだな、という風に、整理して捉える事が出来ます。

リスク(危険)は割合

医療に関する記事などではしばしば、○○という病気に罹るリスクはこのくらいだ、のような文章に出会います。リスクは日常的にもよく使われる言葉で、何となく意味を把握しながら読み進めていくものと思いますが、疫学という専門分野では、どのような意味で用いられているのでしょうか。

まず、着目する集団というものを考えます。たとえば、日本に住む成人女性であるとか、選挙権を持つ人々、であるとか。
いま、ある期間内にこういった人々が、何らかの特徴を発生させるとしましょう。日本に住む成人女性において、1年間に発生する子宮がん、といった具合です。また、選挙権を持つ人々であれば、投票期間中に投票という行動が発生する、というように考えるのです。
そして、リスク(危険:riskとは、

着目している集団において一定期間に、興味を持つ現象が発生する確率

を指す用語なのです。
ちなみに、着目している病気なり投票行動なりの事を、イベント(事象:eventと言います。日常的には、イベントと言えば、何かポジティブな行事などを思い浮かべそうですが、科学の議論――確率論など――では、それがどのような価値で捉えられるかは問わずに、何らかが起こる事そのものをイベントと表現します。

リスクとは確率の事であると言いました。先の例では、1 年間で日本に住む成人女性中に子宮がんが発生する(子宮がん発生というイベントの)確率というようにです。
しかし、少し考えれば解るように、子宮がんが起こる確率、などというものは、容易には判明しません。そこで実際には、幾人かの人々を観察して、そこで着目するイベントの起こる割合を調べます。そして、その割合を、確率の近似として用いるのです。

実際には、観察や実験によって確かめられた割合がこうだったから、発生する確率はこのくらいからこのくらいの間辺りだろう、というように、数学的手法を用いて計算します。これを考えるのが、確率論や統計学、標本調査論といった分野なのですが、それ自体が大変複雑な話になるので、いまは、調べた割合を確率と看做して良いと仮定します。これはあくまで、議論を解りよくするための前提・仮定である事を、念頭に置いてください。

という訳で、疫学で言うリスクとは、一種の割合である、という事を押さえておきましょう。このような事情から、リスクは、累積罹患割合とも言います。罹患とは病気が発生(正確には発覚)する事で、一定期間の罹患を累積した数の割合を、累積罹患の割合と表現する訳です。

ちなみに、疫学ではリスク、日本語では危険と表現されて、いかにもネガティブな感じを受けますが、これは単に、イベントが発生する割合なので、文脈によって、ポジティブなものもネガティブなものも扱えます。たとえば、薬などで言えば、それによってリスクが減る事が望ましいとなりますし、薬によって生き残る割合が増える、という場合などだと、効果と表現されたりします。

比・割合

リスクは割合だと言いました。では、そもそも割合とは何でしょうか。直観的には、何かが何かに占める度合い、といった感じだと思いますが、もう少し詳しく考えるとどうでしょう。
実は、疫学において、割合とは極めて重要な概念で、他のなどの語ときちんと区別して用いられるのです。

まず、比(ratio ※訳に割合がありますが、これは日常的用法と考えてください)です。これは単純に、ある量を他の量で割った結果(商)です。医学分野では、性比などがあります。性比は、一方の性別の人数を、もう一方の性別の人数で割ったものです。男女比、などは日常的にも用いられるでしょうか。たとえば、男性の人数を女性の人数で割った結果が 1.068 であったとすれば、男性は女性の 1.068 倍の人数である、と言えます。

割合

次に割合(proportionです。これは、

比のうち、分子が分母に含まれる

ような量の事です。つまり、比でもあるが、分子は分母の部分でなくてはならないのです。たとえば、日本に住む女性の人数を、日本に住む人全体の人数で割ったとすれば、それは割合であると言えます。
割合と比の違いは、先ほどの性比を思い出すと解るでしょう。性比の場合は、一方の性別の人数をもう一方の性の人数で割ったものでした。当然、分子は分母に含まれません。
ただし、割合は比の一種ですが、通常は、割合で無い比を限定して、比と表現します(割合を敢えて比とは呼ばない)。

もう一つ重要な量に、というものがありますが、これは難しい概念で、本記事では言及しないものですので、ここでは説明を割愛します。ちょっと触れておくと、たとえば皆さんは、報道などで死亡率の語を見聞きされた事があると思いますが、実は、死亡率死亡割合は、厳密には異なるものなのです。

比と割合の違いがそんなに重要なのか、と思われるかも知れませんが、実際に重要です。この違いを把握しておく事は、後で疫学の色々の指標を勉強する際に効いてきます。厄介なのは、実際には割合であるのに、慣習的に率が割り当てられている用語があったりするのですが(たとえば、点有病率という用語がありますが、それは割合の指標です)、そういう事情もひっくるめて、把握しておくのが肝要です。多くの疫学・公衆衛生学の教科書では、最初のほうで、この区別を解説しています。

なお、割合の事を、比率と表現する場合がありますが、明らかに、比、および率という別指標と紛らわしいので、私は用いません。

因果関係

因果

私達が興味を持つのは、何を原因として現象が起きるのか、という事です。NATROM さんが検討しているのも、ピロリ菌の持続感染が、胃がん原因のどのくらいを占めるのか、でした。
これは表現を換えると、ピロリ菌と 胃がんとに、因果関係があるのを意味しています。

いまから考えていくのは、ピロリ菌感染が 胃がんの原因であるとして、それがどの程度であるか、という事です。これは、両者が因果関係にあるのを前提としています。取り敢えずはそれを認められたものとして、ではその程度はどれくらいか、と考えます。ですので、そもそも因果関係にあるのかの議論は、ひとまず措いておきます。

とは言え、疫学において、因果関係は最重要のトピックでありますから、全く触れない訳にもいきません。ここでは、大まかに、因果関係をどのようにして見出していくか、を紹介します。

要因の絡み合い

私達が、○○の原因は△△だ、というような事を話題にしたり、報道で接したりする場合、大抵それは、一対一の関係、つまり、ある事 A が起きれば必ず B が起き、それ以外では B は起こらない、というような、シンプルで厳密な関係は扱いません。たとえば、特定の病気の原因は、といった場合、いくつかの要因が総合的に働いて、病気の発生という現象に結び付く、といった具合です。

原因の型

ある現象を惹き起こす原因は、大別して 2 つの観点から分類出来ます。つまり、必要条件十分条件です。これはそれぞれ、

  • それが無くては絶対にならない
  • それがありさえすればなる事が出来る

というようなものです。そして、この 2 つに当てはまるかどうかによって、

  • 必要、十分
  • 必要、十分で無い
  • 不必要、十分
  • 不必要、十分で無い

このように 4 つに分類出来ます。しかしこれだけでは解りにくいので、例を出しましょう。

必要で十分な原因:それが無くてはならないし、それさえあればなる
狂犬病ウイルスと恐水期症候(液体に対する恐怖):狂犬病ウイルスが無ければ狂犬病にはならないし、狂犬病ウイルスがあれば狂犬病になる
必要だが十分では無い原因:それが無くてはならないが、それさえあればなる訳では無い
感染症アルコール中毒:アルコールが無くてはアルコール中毒にはならないが、アルコール摂取だけでは中毒は起こさない
必要では無いが十分な原因:それが無くてはならないという事は無いが、それさえあればなる
致死量の毒物→死亡:多量の毒物を摂取すればそれだけで死ぬが、毒物以外でも死亡はする(例:交通事故で死亡)
必要でも無いし十分でも無い原因:それが無くてはならない訳でも、それさえあればなる訳でも無い
喫煙と肺がん:肺がんになるためには喫煙しなければならないという事は無いし、喫煙しさえすれば肺がんになる訳でも無い

このような具合です。尤もこれは、あくまで、原因について形式的に分類したものに実例を当てはめているものですから、今後研究が進んで、異なる分類に振り分けられる、という事もあるでしょう。病気の定義に関する問題もあります。特に、一番最初の、必要で十分な原因というのは、あまり実際的ではありません。疫学の教科書にも、現実では一般的では無いとか、実例は無い、というように書かれています。
ですので、いまは、原因というものは、大体このように分けられるのだ、という事を押さえておくのが肝要です。

そして、ここまで見ればお察しの事と思いますが、これから扱うのは、一番最後の例、つまり、必要な訳では無いし、あれば十分なものでも無いという原因についてです。例でも出したように、がんなどがそうです。

the web of causation

前のほうで書いたように、多くの現象――いまは、特定の病気に罹る、などの現象――は、原因と結果が単純に結びついているようなものでは無く、色々の要因が絡み合って、ある原因が何らかの結果を及ぼし、その結果が他のものの原因となって……その結果として、着目している現象が起こる、と考えるのが現実的です。つまり、因果関係とは、連なった鎖のようなものであり(因果の連鎖――連鎖機構:the chain mechanism)、それらがいくつも絡み合って、全体として織物のようになっています。疫学では、このような様相を、因果の綾(因果の網:the web of causationと言うのです。

因果関係を見出す

このように、実際には、様々な要因が複雑に絡み合って現象を織りなしています。では、そのような複雑な現象について、着目している要因(曝露)と結果(帰結)に因果関係があるかを見出すには、どうすれば良いのでしょうか。

そのための方法は、曝露の有無以外を揃えた集団を比較するというものです。つまり、たとえば、物質 A が病気 甲 を惹き起こすか、に関心を持つ場合は、全く同じ集団を用意し、物質 A を与えるかどうかだけを変え、それで、病気 甲 の起こる度合いを比較すれば、曝露が帰結を変化させるという事、つまり、曝露と帰結の因果関係が判明する、という寸法です。他の要因が全く同じで、曝露因子だけを変えて与えれば、その変えたものの影響の程度を測れる、という事なのです。

しかしこれは、理想的な設定です。そもそも、全く同じ集団を複数用意出来るはずがありません。SF のように、複数の世界線があって、その全体を観る事の出来る観測者がいるのならともかく、現実にはそれは不可能です。ですので実際は、沢山の人々を集め、その人達を、くじ引きによって複数の集団に分けて、それぞれの集団の曝露因子だけを変化させ、帰結の程度を見るのです。くじ引きで、どの集団に振り分けられるかを完全に偶然に任せれば、結果として、同じような集団が出来る事が期待できます。ですから、薬剤の効果を確かめる場合などは、このような方法が採られます。

もちろん、これは、それが出来れば一番良い、という方法であって、実際には、費用がかかり過ぎたり、倫理的に不可能であったりします。たとえば、これは害があるであろう、と予想されているものであれば、それを与える事は、害を及ぼす可能性を受け容れさせるのを意味する訳ですから、倫理に悖ります。タバコの害を(人間対象に)実験的に明らかにしがたいのは、このような事情からです。

そこで、次善の策としては、あらかじめ特定の集団に着目しておいて、その中の、曝露因子を持つ群と持たない群(たとえば、タバコを吸う群と吸わない群)とを追跡調査して、何年か経って、病気に罹る程度が異なるか、と比較します。
なぜこれが次善の策かと言うと、集団の分けかたが異なるからです。先ほどのくじ引き条件は、偶然に任せて分けられるので、より似たような集団になる事が期待出来るのですが、いま見ているような方法(先ほどのような、人為的に曝露を変化させる方法を、実験研究介入研究と言い、いまのような方法を観察研究と言います)では、着目している曝露因子以外の要因が偏る可能性があります。この偏り(バイアス:biasはどういうものかと言えば……たとえば、食べ物 A という曝露因子の影響を調べるべく観察したら、それを食べる人のほうが、病気 甲 に罹りやすかった(リスクが高かった)とします。そうすると、曝露 A が原因となって 甲 になる程度を高めたのか、と考えそうですが、実は、食べ物 A が好きな人は、別の飲み物 B も好む傾向があり、その B こそが、病気 甲 になる程度を高める原因だった、とすればどうでしょう。
この場合、A を好む人に B も好む人が多い、という偏りが生じているのです。ですから、原因を見出す証拠のレベルとしては、くじ引き分けの介入研究よりは落ちます。
この偏りは奥が深く、これをどう制御し解釈していくかが、必ずしも実験をおこなえない疫学研究 における勘所と言えます。本ブログでも、それについて紹介した記事がありますので、興味があるかたは参照ください。

interdisciplinary.hateblo.jp

実際には、これらの、観察的や実験(介入)的の方法を用いた研究を総合して因果関係を見出す、というのが疫学の営みである、と言えるでしょう。

原因の程度、へ

さて、ここまでが、疫学において、原因因果関係をどう見出していくか、という事の説明でした。冒頭で紹介した NATROM さんの記事は、原因程度はどのくらいであるのか、というテーマから書かれたものであったのですが、その背景には、この記事で説明してきたような事情があったのです。

ではこれから、因果関係が判明したという前提のもとで、その程度をどう測っていくか、を考えていきましょう。

中編へ続く