微小がんの経過観察は過剰診断を抑制しない

簡単な話です。

がんという診断をされたら、その がんは、将来症状が出るか出ない(出る前に他の原因で死ぬ)かのどちらかです。

ですから、その がんの内、小さいもの(微小がん:最大径1cm以下のがん)について、経過観察をおこなうとしても、がんと診断されたという事実は無くならない訳です。もし、患者が死ぬまで経過観察をして、対象のがんによる症状が出なかったり、がんが消えてしまった場合、それは、過剰診断である事が判明する例ですから、経過観察によって過剰診断が減るはずがありません。

微小がんの経過観察が過剰診断を抑制する、と主張していた論者は、いつの間にかこの論理に気づいたのか、経過観察を別の意味で、つまり、次回検査への持ち越しの意味で使い出しました。しかし当然、そのようにした時点で、微小がんの経過観察という主張自体が成り立ちません。がんという診断がなされていない訳ですからね。

その時点で破綻しているのですが、もし、経過観察を、精密検査に回さず次回検査に持ち越す事だと考えるとしても、問題があります。その場合、がんの過剰診断数は減るでしょうが、それは、がんという診断自体が減るからです。
検診は、無症状の内に疾病を見つけ、それによって、有症状での診療よりも良い予後をもたらす事を期待する、という介入です。検診に効果を期待するのならば、そう簡単に、診断の閾値を上げる、つまり、がんを見つけにくくする事を支持は出来ないはずです。要するに、がんの人をがんと診断するという性能(感度)を下げるのですから。

現状、診断閾値を上げて、検診の性能を低下させても、検診による延命効果を上げないという心配は、特に無いと思われます。何故なら、そもそも、甲状腺がん検診は効果をもたらさない蓋然性が高いから。それを認識する立場なら、感度を下げる事で延命効果が下がる、とは考えないのですが、検診による延命に期待する人が、検診性能を下げるのをよしとするのは、どういう理路からなのでしょうね。

ところで、検診の延命効果が無いだろうと考える立場の人は、検診の性能を下げても問題無いだろうと考える、と書きましたが、それは、検診の延命効果にフォーカスすればの話です。トータルで見ると、検診の性能を下げ、それを沢山の人に対し、長年実施する事によって、病気かも知れないあるいは病気であると悩む期間(病悩期間)を延ばし、その悩みを持つ人を増やします。自分は がんかも知れない、とか、甲状腺に できものがある、と何年も悩む訳です。

がんの退縮があるので、過剰診断の程度を抑えられる、という意見がありましたが、とんでも無い話です。
まず、過剰診断の程度というのは、診断数(発見人数)の事です。がんが退縮したとしても、それで減るのは、その時点で がんを持っている人の数であって、がんという診断ではありません。当然ですね。骨折と診断された人が、しばらくして治ったとしても、骨折という診断が覆る訳ではありません。あまりにも当たり前です。ですから、がんが消えても、過剰診断は減りません。と言うより、その例は、過剰診断の判明の例です。

あるいは、精検に回さず次回検査に持ち越しをしている最中に、B判定からA判定相当になる事、もしくは消退する事をもって、過剰診断を抑制出来る、という主張もあるようです。これもおかしな話で、まずそれは、がんの過剰診断とは違う話ですし、もしB判定がA判定になった所で、B判定だった、という事実は変わりません。また、検査によって消退が判明し、結節や嚢胞が無くなったから安心、となったとしても、検査から検査の間は、がんかも知れない、できものがある、と悩む期間です。そういう例がよくあるのなら、そもそも検診しなくても良かったのではないか、となります。もとより、甲状腺がん検診に救命・延命効果があるという証拠は無いのですから。早期発見によって救命するのでも無く、しかも、必要の無い病悩期間を増やす訳です。

まとめると、

  • 微小がんの経過観察は過剰診断を抑制出来ない
  • がんの診断閾値を上げる事は、検診の性能自体を下げる
  • 診断閾値を上げて、がんの診断数を減らしても、別の病悩期間を生ぜしめる
  • そもそも甲状腺がん検診という、若年者に効果があるという証拠は無く、成人については効果が無いだろうという証拠があるようなものについて、敢えて性能を下げ、病悩期間を増やし延ばすような事を、どのような根拠でもって支持出来るのか

このようになるでしょう。