診断閾値を高めているから過剰診断を抑制出来ている、という主張について

診断閾値を高める事によって、余剰発見(過剰診断)を抑制出来る、という主張を見ます。

実際、診断閾値を高めるのは、がんを見つけにくくする訳ですから、症状が出ない がんも見つけにくくし、結果的には余剰発見が抑制される事が期待出来ます。

ところで。

福島における大規模検診を推進する立場の人は、たちの悪い甲状腺がんが流行している事を懸念していますよね? であるとするならば、ほんとうは、余剰発見を増やしてても がんを見つけるのを志向せねばならないはずです。

検診を、網で蟹を捕獲する(久道茂氏による喩え)と考えるとすれば、診断閾値を高めるのは、網目を大きくするのに相当します。という事は、網にかからない(網目より小さい)蟹(がん)は掬えなくなります。

福島における がんの流行を懸念する人は、がんを早く見つけないといけないと思っているはずです。だって、見つけた時に小さくても、すぐに大きくなって悪さをしてしまうのではないか、と考えているのでしょう? それであるのに、診断閾値を高める事で余剰発見を抑制している、と強調する事の意味がよく解りません。小さいからと言って放っておくべきでは無い、とはならないのですか?

検診の第一ステップでは、がんで無いものも拾い上げるのも含め、疑わしいものを拾う事が重要です。つまり、間違う危険をある程度許容しつつ、なるだけがんである人をがんであると診断する、のが、必要とされる性能なのです(この性能の事を感度と言う)。

福島での甲状腺がん流行を懸念し、かつ、福島では診断閾値を高めているので余剰発見は抑制出来ている、と主張する論者に対しては、主張の整合性はどのように考えているか、と問いたい所です。ほんとうに流行を懸念しているのなら、余剰発見を増やしてでも見つけるべきと主張するほうが、筋が通っているのではありませんか?