数値の見かた――薬剤疫学の観点

news.tbs.co.jp

↑この記事の話。

記事は、新型コロナウイルス感染症に対するワクチンを接種した後に190人以上亡くなったという事の紹介と、亡くなったかたの遺族や主治医への取材とで構成されています。

本記事に対しては、批判もなされています。記事では、

 実は国内でワクチン接種後に少なくとも196人が死亡しています。副反応を検討する厚生労働省の専門部会は、分析を行った139人について「ワクチンとの因果関係が評価できない」としていて、これまでに死亡との関連性を認めた例はありません。多くの遺族が解剖を希望せず詳細な検査ができないことや、たとえ解剖しても因果関係の特定は難しいからです。

↑このような記載がなされており、196人が死亡の所が強調されています。それは題を見ても明らかです。批判はこの特にこの部分に対しておこなわれています。

そもそも、ワクチンを接種した後の死亡というのは、有害事象として報告されたものです。有害事象とは、ワクチン接種後に起こった好ましく無いもので、ワクチンとの因果関係を問わず報告されます。つまり、交通事故や料理中の怪我なども含まれます。ですから、ワクチン接種後に190人が死亡したというのは、ワクチンによって死亡した事を意味しません。

また、記事には、現在までの接種回数や、死亡した人の死因割合等も書かれていません。害の程度は割合によって測りますから、分母を知る必要があります。ワクチンを打たない場合の集団において死亡がどのくらいの割合で起こるのかも、示されていません。
それが無いと、増えたのかどうかの検討は出来ませんし、どのような死因がどのくらいの割合であったかを考慮しないと、それぞれの起こりやすさの程度を評価出来ません。にも拘らず、遺族や主治医の見解を前面に出すばかりで、不安を煽るものになっています。記事の構成として無思慮なものであると考えます。

これは、接種後に害が生じた(有害事象)のを報ずるべきでは無いと言っているのでは無く、

報ずるならば、害の程度を検討出来る情報を同時に示すべきである

との主張です。ワクチン接種後に害が生じた時に、ワクチンのせいではないかと思うのは、致しかたの無い事です。死亡のような最悪の事象であれば尚更です。それ自体は当然なのです。しかし、報道機関が、専門家に訊いて副作用(副反応)の評価の具体的方法を紹介する事も無く、死因の割合も検討せず、分母も示さず、ただ死亡数を出すような記事を出して、いったいそれが社会に何をもたらすと言うのでしょう。

ワクチンの副反応を把握するのは重要です。その頻度が稀であっても、死亡などの重大な帰結を生ぜしめる可能性があるので、検討はすべきなのです。と言うか、だからこそ、直接関係無さそうな有害事象をも副反応疑い事例として報告させる訳です。先に、明らかに怪しそうだと思われるものに絞ったら、取りこぼす可能性があるのですから。

薬剤の市販後に、実臨床(実世界:リアルワールド)においてそれがどのくらい有効性を発揮し、どのような害をどのくらい発生させるのか、というのを調べる分野を薬剤疫学と言いますが、その薬剤疫学の教科書に、この記事のごとき事例を検討する際に示唆的な記述がありますので、引用します(藤田利治編『実例で学ぶ薬剤疫学の第一歩』P63)。

 健康事象の量の測定は,対策を講じる必要があるかを考えるために必須である.また,講じた対策が健康事象発生に対して,どのような影響を及ぼしているのか評価する際にも必要となる.では,どのように健康事象の量を測れば良いのか.

「○○薬投与で5人が死亡」といった新聞記事を見かけることがある.こうしたなまの数(raw number)から,どのようなことを理解すればよいのだろうか.新聞に載るくらいであるから,「きっと5人の死亡というのは多いのだろう」と受け取るだけでよいのであろうか.理解を深めるためには,さらに次のような情報が必要であろう.

  • ○○薬は何人くらいに使わているのか
  • ○○薬はどのような患者に使われているのか.重篤な疾病に対してか,高齢者に対して使われているのか
  • 薬剤使用に関わる死亡報告の仕方に変更はなかったか
  • 類薬での死亡はどうか

 単なるなまの数(死亡数)のみでは限られた情報でしかなく,適切な理解に至らない場合が多い.特に,それが選ばれた逸話的情報(anecdotal information)であるとき,理解をひどく誤った方向に導くことがある.

 疫学は,まず検討している健康事象が発生した集団のサイズ(人数)を考慮することから始まる.数百人の使用者の中での5人の死亡と数百万人での5人の死亡ではまったく意味が違うのであり,曝露している集団サイズで規格化した頻度を使用する.健康事象の頻度を指標にして,集団における負荷を検討する.

 健康事象の頻度は,ある集団で健康事象の「状態」の頻度と,ある集団で新しく「発生」する健康事象の頻度の2種類に大きく分けることができる.

TBS記事への批判に対する反論として、少数の死亡であれば無視して良いというのかといった内容のものがありましたが、全くそうではありません。ほんとうに、全く違います。そうでは無く、

少数であっても死亡を生ぜしめるとすれば重大だから、沢山集めた事例からワクチンが原因と考えられるものを絞り込む

という話をしています。つまり、190人の死亡を無視するのでは無く、

190人の死亡の内、ワクチンが原因となるものはどのくらいあるのか

を検討するものなのです。先述したように、報告されるのは有害事象ですから、無関係そうなものも含められるのであって、報告されたもの自体が、ワクチンが原因とされたものではありません。ここは極めて重要な部分です。

数学ガール』の著者であり、数学やプログラミング関係の普及書を多く書いておられる結城浩氏が、次のようにつぶやいておられます。

・報道で比率が出ていたら絶対数も調べよ
・報道で絶対数が出ていたら比率も調べよ

↑これは、報道に出てくる数値を検討する際の心構えとして、重要なものだと思います。※ちなみに、疫学や医療統計では、比・割合・率は、それぞれ厳密には意味の異なる指標です

最後に、私自身の、ワクチンに関する情報周知についての考えかたを示しておきます↓

interdisciplinary.hateblo.jp

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参考文献

実例で学ぶ薬剤疫学の第一歩

実例で学ぶ薬剤疫学の第一歩

  • レーダー出版センター
Amazon

www.mhlw.go.jp

↑副反応疑い報告に関する厚労省のページ。有害事象について、

○副反応疑い報告では、ワクチンと関係があるか、偶発的なもの・他の原因によるものかが分からない事例も数多く報告されます。透明性の向上等のため、こうした事例も含め、報告のあった事例を公表しています。

↑このように説明されています(強調は引用者)。

疫学の知識を有しており、薬剤が市販(製造販売)された後に有効性や害をどのように評価するか、という所に関心を持っておられるかたは、次の本を参照するのが良いと思います。

【メモ】検査について

現段階での整理。

特異度
おそらく特異度は超高い。検査実績からそう言える。他の検査では例を見ないくらい高い。しかも期間あたりの件数も尋常では無い。
感度
疾病の自然史に依存すると思われる。前臨床期では高めにくい。検体を採取する箇所も関わる。
誤陽性
判明した事例で見ると、保有者検体とのコンタミネーションが主原因と思われる。もしそうだとすると、保有割合が低いほど特異度も高くなると想定される(誤陽性の原因となる保有者検体の割合が小さいから)。
いわゆる陰性証明
証明の語が持つ印象を考慮する。これは実態としては検査で陰性が出た事の証明だが、社会的には保有の証明が期待されている。
陰性適中度
いわゆる陰性証明(書)は、検査がどのくらいの性能であれば機能するか。それは陰性適中度がどの程度かによるし、医学的(疫学的)要請に依存する。以前から、季節性インフルエンザの陰性証明は実際的に役に立たないのではないか、という批判があった。
事後確率
検査の有用性は、事前確率と事後確率の差異を評価する。非保有判定であれば、事後の陰性確率が、事前のそれより高くなるのを期待する。※通常の文脈では、事後確率は陽性適中度を指す
検査対象
無症状者も対象にするか。対象にするとしてどの範囲にするか。濃厚接触者に限るか、イベントの入場者全員なども対象とするか。それによって事前確率(保有割合)も変化する。
再び陰性適中度
もし、他の条件を考慮しない無症状者も対象にするとすれば、おそらく、陰性適中度は高い。何故なら、そういう対象は保有割合が低く、従って特異度も高くなる(誤陽性の原因たる保有者が少ない)と予想出来るから。また、保有割合の低さ自体が陰性適中度を高める(適中度は保有割合に強く依存する)。
じゃあ検査すべきか
すぐにそうはならない。検査は事後確率を高めるかどうかが重要であるから。そもそも他の条件を考慮しない無症状者は、その時点で保有割合が小さいと考えられる。そこから事後陰性確率をどの程度高めるのを求めるかによる。
誤陰性
自然史の初期(特に無症状時)の時点で誤陰性割合が高い(感度が低い)というのは、その人が保有者である場合の話(保有の条件が与えられた場合の条件付き確率)であって、そもそも集団全体においてどのくらい誤陰性が発生するか(保有と陰性の同時確率)、とは別の話。ここをあまり考慮していないのではないかと思われる意見を見る場合がある。
検査をしないほうが良いという論拠
濃厚接触者であるかや、近隣の保有割合は考慮せずに、特定の集団(たとえば、企業の構成員全員)なりシチュエーション(たとえば、大規模動員数のイベント)なりを想定し、その対象に幅広くは検査をしないほうが良い、という意見があった場合、その論拠は、検査の感度が低いからなのか、そもそも保有割合が低いからなのか。よく考える必要がある。理由として、取りこぼすだろうと言うのと、そもそも割合が低いだろうとするのとは異なる。
ベイズ
新型コロナウイルスに対するRT-PCR検査に対し、感度特異度や適中度等の指標を当てはめる意見に対し、ベイズ推定は使えないといった批判が見られる。
診断学的指標と正規分布
ベイズが使えないと言う人の中に、測定値が正規分布状にならないからと主張するものがある。意味不明。各診断学的指標は測定値の分布に関係無く求められ(陽性陰性が判定出来、参照基準があれば可能)、その性能を評価する事で疫学的や公衆衛生学的の役割を考える事が出来るし、いくつもの研究にて指標は算出され推定されている(PubMedなどを見れば良い)。
正規分布
そもそも、現在用いられている検査の中で、測定値が正規分布状になるものがどれだけあるのか。そうならないものには本来診断学的指標を用いてはならないと言うのか。統計学や、信号検出理論を扱う教科書で正規分布曲線が表現されているのは、ある種の理想的情況を図示しているのであって、別にそうなっていなければならないというものでも無い。
ベイズ推定
基本の診断学的指標は、簡単な条件付き確率を用いるもので、それを敢えてベイズ推定と表現する必要は無い。また、各指標を推定する研究において、信用区間を求めるなどの意味でのベイズ推定は、実際に用いられている。その観点からも、検査の議論にベイズ推定は使えないとの主張は誤っている(二重に的を外している)。
スクリーニング
狭義のスクリーニングは1次検査を指す。公衆衛生上、検査は人口における感染制御が目的の場合があるので(新型コロナウイルス感染症対策は、まさにそう)、理想的には、自然史初期において感度が高い性能が要求される(スナウトの性能が高い)。他には、安価迅速で、手順も簡便であり、対象者に負担が少ないほうが良い(肛門スワブよりは唾液採取のほうが楽)。