書評『世論調査の真実』

社会調査のエキスパートである鈴木督久氏が力を入れて執筆した本という話でしたので(鈴木氏のtwitter鈴木督久 (@pollstok) | Twitter)、読んでみました。

端的に評すると、

  • とてもためになる本である
  • 世論調査の仕組みや理論的部分については、必ずしも解りやすいとは思えない

このように感ぜられました。

まず、鈴木氏は実際に世論調査に携わっているかたですから、調査の手順や方法に関する具体的な所の記述が、とても参考になります。また、電話調査の一種であるRDDに関する説明をしたり、質問文の言葉の選びかた(社会調査におけるワーディング)を、マスコミは調査を用いて世論を誘導しているのでは という疑問を検討する文脈で説明していたりして、それらも興味深く読めます。RDDに対しては、時に的外れな批判や評価(既にマスメディアが対応しているのに欠点として挙げるなど――たとえば、携帯電話を調査対象とするかや、オートコールとRDDの単純な同一視)もありますから、そこを念頭において鈴木氏は説明したのかも知れません。

コールセンターにおけるオペレーション(オペレーターの質問手順や集計の流れ)の説明もあり、これなどは、なかなか外部の者は知る事の出来ない所ですので、やはり参考になります。

本書の始めのほうでは、世論調査の結果と、内閣支持や政党支持、また日経平均の推移とを同時に見てその傾向を論じていて、政治と世論調査の関係に興味を持つ人にとっては、面白く読めると思います。

このように、色々と興味深いトピックが採り上げられている本ではありますが、世論調査の理論的な根拠である社会調査、また、その社会調査の体系を数学的に支える統計学的な部分の説明は、あまり解りやすいものでは無いと感じました。特に、

専門的な説明を極力廃しているのに、専門用語を散りばめている

所が気になります。たとえば、何の説明も無く、信頼率有意差という言葉が出てきたりします。かと思えば、妥当性信頼性に関しては、その意味合いが説明されます(ただし、1文で)。おそらく、後者は日常的にも用いられる表現であるから改めて簡単に定義を書いたのでしょうけれど、そういう説明を要する読者層であれば、信頼率や有意差といった語を説明無しに書いても、理解されないでしょう(読み飛ばされるかも)。期待値も日常的にも使われる表現なのに、特に説明はせず出てきます。

有権者から無作為抽出した確率標本と、思い切り専門的な表現がさりげ無く出てきたりもします(無作為抽出の説明は、後のほうでさらりとなされる)。理論的説明は省略してと断りつつ信頼区間の用語を使っているのに、信頼率(信頼係数・信頼度)が確率では無い事を敢えて説明しています。ここ、信頼区間を知らない人は、何を言っているかも解らないでしょう。

もちろん、紙面の都合上、専門用語の説明を一々やっていられないのは解ります。本書は新書でページ数も少ないですから。けれど、それであるなら、敢えてある程度の紙面を割いてでも用語集を設けるなり、専門用語自体を徹底的に廃して噛み砕いた表現に徹するなどしたほうが、読者にとって優しい構成になったのではないかと思います。

ちなみに本書では、会話調の説明が用いられている所があり、その中で登場人物が、

www.nikkei-r.co.jp

↑上記の用語集を参考にしてみると良い、と話しています。これは、本書の著者である鈴木氏が監修する用語集のサイトで、私も以前より時折参照していますが、説明が詳細で社会調査方面の用語も充実しており、極めて有用です。参照を勧めます。

他に、第4章では世論調査の起源と題して、日本において世論調査が取り入れられた経緯・歴史の説明に充てられています。本書の傾向として、世論調査の歴史や運用実態、結果の解釈のしかたに重きが置かれていて、その基盤となる理論的な部分の説明は主で無いようですので、そこを期待して読むと、いくらか当てが外れたように感ぜられるやも知れません。歴史的の所を知りたいと思い手に取ったのであれば、かなり参考になるでしょう。5章・6章では、調査にまつわる知られた逸話(ギャラップvsリテラリー・ダイジェストの選挙予測)の詳細や、日本で起こった世論調査の不正事件などの説明があり、読み物としても興味深いものでした。

と、このように色々と書いてきましたが、改めて総評を書くと、

世論調査の実態や裏側を知る事が出来る、読んでおいて損の無い本。ただし、文章は硬めで、統計用語については説明不足が否めないので、都度ほかの入門書を参照するのが良い

このようになるでしょうか。文章が硬めと言うのは、たとえば、以上は「抽象的記述」です。思弁的な概念分析に過ぎません。(P18)のような記述です。こういった言い回しが抵抗無く読めれば、すんなり読み進められるでしょう。
参考になるお勧めの本ですが、もし統計や社会調査の用語に不案内であれば、他の本を参照するのが良いと思います。たとえば、大村平『統計のはなし』や、井垣章二『社会調査入門』などを挙げておきます。前者はとにかく読みやすい本です。後者は、古くて文は硬いが極めて明瞭な本で、本書を読む手助けとなるでしょう。

過剰診断の《程度》

、仮に過剰診断でないとしても、甲状腺癌に早期治療が有効というエビデンスはないので、有害無益な検査なのは間違いないんですよね。

以前、上記の菊池誠氏の主張に対して私が、

あ〜る菊池誠(反緊縮) on Twitter: "福島の甲状腺検査が相当数の過剰診断を生んでいるのは間違いないだろうし、仮に過剰診断でないとしても、甲状腺癌に早期治療が有効というエビデンスはないので、有害無益な検査なのは間違いないんですよね。 受診者に利益があるかのように言って検査を進めた人たちはきちんと反省するべきですよ"

“、仮に過剰診断でないとしても、” あの本を出した以上、もはやこのような仮定での展開は通用しないでしょう。発見したほぼ全てが余剰発見と強く主張した本を出版したのだから、それに基づかないと整合しません。

2021/08/10 16:50
b.hatena.ne.jp

“、仮に過剰診断でないとしても、” あの本を出した以上、もはやこのような仮定での展開は通用しないでしょう。発見したほぼ全てが余剰発見と強く主張した本を出版したのだから、それに基づかないと整合しません。

↑このように書きました。それに対し菊池氏は、

第6章には過剰診断でなく超早期発見だとしても有害であるとはっきり書いてあるのだが、ちゃんと読んだのかね

↑こう反応しました。

私は本を全部読みましたから、その記述があるのは当然知っています。しかし私は、そういう話をしていません。

発見したほぼ全てが余剰発見と強く主張した本を出版したのだから、それに基づかないと整合しません。

↑このように、本で強く主張されている内容と整合しない、と言っています。もう一度、本のあとがきから引用します。

私の担当した第1~3章ですが、従来の本にあるような、「こんな可能性もあるよ、あんな可能性もあるよ」という書き方はやめました。例えば、「若年者の甲状腺がんの早期診断は有害」とか「甲状腺がんは悪性化しない」とかいう話は、外国ではともかく国内の学会で出したら相当な反発を受けるでしょう。しかしこと福島の甲状腺検査に関する限り、専門家たちが科学的な確からしさよりも自分たちの立ち位置を優先したポジショントークを繰り返したことが混乱を招いてしまったのです。これらの章では、現時点で最も確からしい解釈しか書いてありません。

そして、年月がたって明らかになってくる事実は必ず本書に書いてある通りの様相を呈してくるであろうと断言しておきます。逆に言うと、そのような自信がないことは書いておりません。そして、福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。

特に重要な部分を抜粋します。

  • これらの章では、現時点で最も確からしい解釈しか書いてありません。
  • そして、福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。

つまり、著者を代表して(そうで無いとすれば、著者間で最も重要の論点についての主張が合わない事になります)高野氏は、福島で発見された甲状腺がんは全て過剰診断であって、それは最も確からしい解釈に基づいていると言っている訳です。

上でも触れたように、福島の甲状腺がん検診の議論において、過剰診断の程度(割合)は最重要です。なぜなら、もし見つかった全てが過剰診断だと言えるのであれば、検診の効果の議論を一切しなくて良くなるからです(過剰診断と寿命延伸は一般に、両立しないから)。しかるに、そこまで言えないのであれば、議論として、検診に効果があるのではとの問いを考慮しなくてはなりません。そうすると、

検診の有効性とは何か。どう測るのか

の論点を議論から欠かす事は出来ません。検診を実施すべきか否かを考えているのですから、そもそも検診が有効であるとはどういう事か、の部分から丁寧に論じていかないと、説得力を持たないからです。

それであるのに高野氏は、福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。と断じています(断言しておきます。)。これは、本文で何が書かれているかの話ではありません。と言うか、あとがきでこう書かれているのだから本文もそれを踏まえるか、本文において全てが過剰診断かは断定できないのを思わせる主張をするのであれば、あとがきにこのような内容の文を書くべきではありません。だから私は、整合しません。と言っています。

じゃあ、実際に菊池氏は、高野氏による福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。との記述をどのように捉えるのですか。あの本は、ほぼ過剰診断であるとの見解に基づいて書かれているでしょう。だから、がん検診の有効性に関する具体的な説明は無いです。もしも、過剰診断だけで無く、有症状のものを先取りで発見している可能性を考慮するのであれば、有効性確認の説明は必須です。つまりこれは、本全体の方向性に関わる重要な論点なのです。全部過剰診断だと本に書いているのに、今更超早期発見だとしてもなんて主張が通用するのか? と言っています。もしその可能性を本当に論ずるのならば、高野氏の主張、ひいては本そのものの方向性を問わざるを得ないのではありませんか?