アブダクション
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20111015/1318638033
ブクマコメントを書いたけども、それだけではなんなので、関連しそうな所から引用をば。
自分自身、形式論理の勉強が不充分で、踏み込んだ解説は出来ないので、よしなに。自分の勉強の意味でもまとめておく、みたいな感じで。
まず、魚津郁夫『現代アメリカ思想』の5章、”パースの「アブダクション」と可謬主義”よりいくつか引用(P80-)。
パースが,もっとも初期に書いた論文「4つの能力が欠けていること……」で私たちのあらゆる心のはたらきは推論作用であるゆえ,心のはたらきを妥当な推論形式に還元しなければならないと主張して,ディダクション・インダクション・ハイポセシスという3つの推論形式を提示したことは前章で述べた。
ハイポセシスは,後に(1890年代後半)「リトロダクション(retroduction)」といいかえられ,さらに1900年代には「アブダクション(abduction)」ともよばれるようになった。ディダクションは,アリストテレス(Aristoteles, 384-322 B.C.)によって,インダクションはJ.S.ミル(John Stuart Mill, 1806-73)によって,それぞれ定式化されたことはよく知られているが,アブダクションを定式化したのはパースが最初である。
しかし「私たちは,インダクションによって,観察された事実と似た事実が,まだたしかめられていない事例についても真である,と結論する。また私たちは,ハイポセシス[すなわちアブダクション]によって,まだまったく観察されていない事実が存在すると仮定し,そうした事実から,すでに知られている法則にしたがって,観察された事実が必然的に結果したのであろうと考える。インダクションは,特殊な事実から普遍法則への推論であり,ハイポセシスは,結果から原因への推論である」とパースはいう。
以上にのべた推論の3つの形式について,パースは,1903年ハーヴァード大学哲学科主催のもとに同大学でおこなわれたプラグマティズムにかんする7回にわたる連続講演で,再度とりあげている。その第6講「推論の3つのタイプについて」では,3つの推論形式の関係を次のように要約している。
「アブダクションは,説明のための仮説を形成する過程である。それはなんらかのあたらしい観念を導入する唯一の論理的な操作である。というのは,インダクションは,真偽の値を決定するだけであり,ディダクションは,たんに仮説の必然的な帰結をみちびきだすにすぎないからである。
ディダクションは,あるものがこうでなければならない(must be)ことを証明し,インダクションは,あるものが現にこうである(actually is)ことをしめし,アブダクションは,あるものがこうであるかもしれない(may be)ことを暗示する。アブダクションを正当化するものは,ディダクションがアブダクションの暗示からなんらかの予測をみちびきだし,その予測がインダクションによってテストされるということである。そしてまた,そもそも私たちがなにかをまなび,現象を理解することができるとすれば,こうしたことの実現はアブダクションによるしかない,ということもアブダクションを正当化するのである。」
以上からわかるように,現象を理解するために,私たちはまずアブダクションによってそれを説明する仮説をつくり,ディダクションによってその仮説をもっともテストしやすいかたちに変形し,そこから予測される有限個の事実をたしかめることで,インダクションによってその仮説が正しいことを推定するのである。したがってアブダクションは科学的探求の第1段階であり,ディダクションは第2段階,インダクションは第3段階である,とうことができる。
章末の註より
伝統的論理学の用語でいえば,本文のように定式化した場合、インダクションは「小概念不当周延の誤謬」をおかしており,アブダクションは「媒概念不周延の誤謬をおかしているゆえに,誤謬が生じるのである。
※引用者註:この部分は、インダクションとアブダクションが誤謬をおかし得ることを示した本文についての補足。
次に、野家啓一『科学の哲学』より引用。P69-
仮説演繹法はたしかに近代科学の根幹をなす優れた方法論ではあるが、それは「いかにして仮説を発見するか」については何も教えてはくれない。その意味で、仮説演繹法は新しい仮説を発想するための方法、すなわち「発見法(heuristics)」とはなりえない。そのため、発見法につながる論理に関しては、さまざまな考察がめぐらされてきた。その中でもプラグマディズムの創始者C.S.パースは「アブダクション(abduction)」という方法論を提唱したことで知られている。これは日本語には訳しづらい語であるが、「仮説設定」や「仮説発想」といった訳語が当てられている。パースはこの発見的方法について以下のように述べている。
「帰納法は決してなんら新しいアイディアを生みはしない。演繹法も同様である。科学のすべてのアイディアはこのアブダクションの仕方によって生まれるのである。アブダクションとは諸事実を研究し、それらの事実を説明すべき理論を工夫し作り出すことである。」(C.S. Peirce, Collected Papers, vol.V, §146, 参考文献6-3)
パースは演繹法と帰納法に代わる第三の方法をアブダクションと呼んでいるが、これだけでは何を言っているのか、少々わかりづらい。アメリカの科学哲学者N.R.ハンソンは『科学的発見のパターン』(1959)において、パースのアブダクションの方法を高く評価し、それを現代的な形で再定式化している。ハンソンによれば、アブダクションの手続きは次の三つのステップから成り立っている(参考文献6-4)。
(1)ある予期していなかった現象Pが観測される。
(2)もし仮説Hを真とすれば、その帰結がPとして説明される。
(3)ゆえに、Hを真としてみる理由がある。
このように「P」という第一前提と「HならばP」という第二前提とから「H」という結論を導き出す推論は、演繹法の観点からすれば「後件肯定の誤謬」と呼ばれてきた誤謬推理の一つである。すなわち、そこで導き出された結論は必然性をもたない。したがって、アブダクションは演繹的には誤った推論であるが、実際の科学研究の現場においては、しばしばこのような方法によって仮説が発想され、提起されることが少なくない。それゆえ、アブダクションは論理的には正しい推論ではないが、発見法としては大きな実践的価値をもつのである。
追加:資料。これはかなり明瞭。
『アブダクションの論理』
http://www.umds.ac.jp/kiyou/r/R24-1/115-130.pdf(PDF)