ナイフ

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ナイフという道具の特性を考えると、それは、日本刀等の武器に比較して非常に軽量であり、長さも小さく、驚異的な切れ味を持つ、というものですから、いわゆる短剣取りの技法が実戦においてどの程度汎用的なものとなり得るのか、という疑問は、真剣に考えてしかるべき所であろうと思います。

これは同様に、近代格闘技における極めて洗練された近接の打撃技のテクニックにどう武術は対処出来るのか、という所とも繋がってくるでしょう。

黒田鉄山氏の言われるが如く、「型は実戦の雛形ではない」という主張は、武術の型を、身体制御機構を練磨するものと考えれば確かに尤もな部分もありますが、しかし、「じゃあ実戦ではどうするの?」という問いかけは、武術の目的、即ち、理不尽の暴力から身を護る術ということに照らしてもシビアなものです。実際、なに、型を極めておればいかようにでも対応出来るさ、などという応えは、合目的性という観点からは、無意味と言っても良いと思われます。ここには、「武術」という文化にそもそもいかなる役割を期待するか、という根本的な問題も関わってきます。その見方で言うと、黒田氏のような論者は、そもそも現代社会における暴力からの回避、という目的を設定していないのでしょうから、それはそれで立場として尊重すべきとは考えています。

しかるに、やはり短めの刃物を合理的に遣ってくるものにどう対するかというのは、むしろ現代社会であるからこそ考えておく重要性が増している、とも見ることが出来ます。
もちろん、世界的に見て治安が非常に良いであろう日本での日常生活という情況と、紛争や戦争が身近な社会とでは具体的な問題意識が大いに異なってはいます。であるからこそ、日本の武術においてはナイフ対応の技術の洗練がさほど出てこないのに対し、軍隊格闘術等では積極的にそれが練磨され、重要なテクニックとして位置づけられる、という図式が見られるのでしょう。

さて、具体的な所に戻って、ナイフの遣い方ですが。
ナイフという武器は、短いとはいえある程度の刃渡りを持ち、日本刀のような長尺の刃物からすると遥かに軽量で、しかも軽く撫でるくらいの動作で容易に切れる、という特性を持っていると思われます。ですから、物理学的に見ても、非常に疾く武器を(持った手・腕を)振ることが可能です。ということは、かなり短い時間で大きく移動させることが出来、従って、時間当たりに移動させられる範囲が極めて多様になるという訳で、それは、長尺で重量の大きい刀で切ってくるものを想定する日本武術における太刀取り的な技法で対処するというのは、直感的に考えても無理があるでしょう。

日本武術における一般的な短刀取り技法について、そのように見ることが出来ます。
ところで、ここについては一つ疑問があります。なぜ日本武術の短刀取りというのは、受け(攻撃する側)がほぼ太刀取りと共通した運動なのでしょうね。これは町田さんも書いておられる所ですが、短刀を持って正面打ちや横面打ち、あるいは中間からの突きを行なっていくというのは、剣術の対処をベースとして技法体系が構築されているにしても、不可解な所がある。これは、私が武術史に詳しくないこともあり素朴な疑問ですが、実際、短刀を細かく動かして攻撃していくというのは、実戦性を追求する熱心な会派(武田流などはそうでしょうか?)以外にはほとんど見られないように思います。

で、短刀を大きく振り上げて攻撃する、というのは、武器の特性から言っても相当不合理であり、より少ない運動でめまぐるしく切っていくのが有効であるのは、明らかです。にも拘わらず、そういう攻撃への対処は技法体系にしっかり組み込まれていない。これは明らかに、武器術への対応法としての汎用性を欠いている、と私は見ます。なにしろ、ナイフという武器自体が極めて汎用的な武器なのですから。

それを踏まえると、日本武術以外で洗練されたナイフ術の技法を積極的に勉強して取り入れれば良い、と考えられそうですが、それもそう簡単にいかない所があります。
と言うのも、そもそも日本武術は、剣術ベースに組み立てられているものが多いですし、そういう体系に無理に組み入れようとすると、技法体系自体が崩壊してしまう虞があります。
たとえば合気道は、体術・剣術・杖術が一体となって構成されている武術ですが、これにナイフ術系の技法を融合させるのはとても難しい。では、比較的独立した別体系として同時に習得する、という風に出来るか、というと、これも困難でしょうね。現代において頻出しそうな攻撃のバリエーションへの対処に特化するよう、体系自体を変容させるしかないのかも知れない。
しかしそうしようとすると、たとえば剣術自体を棄てなければならない、となる可能性もあります。体系の整合性を保とうとすれば、論理的にはそれも見なくてはならない。その場合には、伝統的に超絶に洗練されてきた、日本刀を用いた技法体系の保持という観点とぶつかってくる。
つまり、あらゆる攻撃パタンに対処出来るような汎用性を備えた武術の体系を創出するのは、もしかすると原理的に不可能である、という可能性すら想定しておかねばならないということです。もしそうであれば、コンピュータゲームで限られたスロットにスキル発動のアイテムを装着するがごとく、いくつかの技法体系を選択してその他はオミットせざるを得ないのかも知れない。
であれば、先に困難と言ったような、異なった技法体系を並存させ、相手の暴力に応じて「スイッチ」するかのように技法と身体操作を変更する、みたいな解も一応考えることは出来ます。当然その場合は、そんなことが現実的に可能なのかとか、出来るとして、それを護身的技法体系として広く普及させるようなものとして構築し得るのか、などの問題も考えられるでしょう。ここらへんは、高岡英夫氏が初期の著作で色々考察した所でもありますが。

と、こういう難しさはあるとはいえ、ナイフ術等に注目して勉強しておくこと自体は重要でありましょう。細かい所で、身体操作や武器の扱い方について色々ヒントが得られる場合もあるでしょうから。