森昭雄『ネトゲ脳、緊急事態 急増する「ネット&ゲーム依存」の正体』の検討
昨年たこやきさんに教えて頂いた、森昭雄氏の新著についてです。
twitter上でこの本に言及した人がいたらしく、togetterにまとめられています
森昭雄氏の新著『ネトゲ脳 緊急事態』に驚く人たち - Togetter
閲覧数等から考えて、ある程度の数注目を集めているようです。なにしろ「ゲーム脳」説の森昭雄氏が、「ネトゲ脳」という、ある意味キャッチーな言葉の入った本を出したのですから、関心も呼ぼうというものです。
私はこれまで、森氏のゲーム脳説について、批判的に検討してきましたし、基本的な姿勢として、この種の言説は、多くに注目される前に採り上げて言及しておくに越した事は無い、というスタンスですから、この本を検討する事にも意義があると考えます。
さて、本題です。リンクしたtogetterで、発端の一つとなったつぶやきの内容は、以下のようです。
最初の数ページで「科学的根拠が無いなどと言う人達もいますが、私に子供達1000人を対象に5年実験して証明しろとでも言うのでしょうか(意訳)」といきなり言い訳してて吹いた。
http://twitter.com/Rayme2341/status/287110110491320322
ここが一種の開き直りに見えたのでしょう、「5年」「1000人」辺りに特に着目した意見が見られました。つまり、「そうしろよ」という指摘と言うかツッコミです。たとえば、しないなら語るなと言いたい
( http://twitter.com/showya_kiss/status/287234710416023552 )
で、ですね。森氏はその部分で、「人数を沢山集めて長い期間かけてやればいいのか」という事「だけ」を言っているのでは無いのです。むしろ、そこの文脈においては主眼は別の所にあります。文脈を参照してもツッコミどころのある所なのですが、ちょっと指摘の仕方が違う。
そこで、togetterしか見ておらず原文を知らない方も多くいるだろうと思いますから、当該部分について、引用します。
ある人たちは新しいものを、便利で楽しいからといって手放しで受け入れ、批判する人間に対しては、「科学的な根拠がない」と一蹴します。
しかしこの場合の科学的根拠とは何でしょうか。
薬の有効性を調べる臨床試験のように、子どもたちを千人規模で二つのグループに分け、片方のグループには毎日、何時間もオンラインゲームをさせ、もう一方のグループにはまったくゲームをさせないという生活を数年間続けさせ、その人格形成の違いや脳に与えるダメージを観察分析しろというのでしょうか。
5年間観察したら、やはりオンラインゲームをやりすぎた子どもの人格形成に問題が生じましたという論文を学会に出せというのでしょうか。実験台にされ脳にダメージが生じ人格形成にゆがみが生じた子どもたちの人生については誰がどのように責任を取るのでしょうか。一人ひとりの人生や生存に関わる人格形成の問題を、生身の子どもたちを実験台にして明らかにすべきだとでも言うのでしょうか。
科学的な根拠が必要だという批判は理屈としては一見正しいように思えますが、あまりにも現実から乖離した机上の空論に過ぎません。それは単なる科学主義であって、問題の解決にはまったくなっていないのです。
『ネトゲ脳、緊急事態 急増する「ネット&ゲーム依存」の正体』P5・6
これを見て、「それをやれよ」とは言えないでしょう? 何故ならば、ここで森氏が言っているのは、「倫理的な問題」の話だから。つまり、実験的にここで「実験的」というのは、いわゆる実験室で行うようなものだけで無くて、引用部で森氏が想定しているようなものも含むとします。あまり適切では無いかも知れませんが、便宜上そうしますので、ご容赦下さい。「介入研究」とした方が良いでしょうか。子ども達を沢山集めて長期間観察し、それで得た結果を「科学的根拠」と言うのならば(そうしないのを根拠と言わないのならば)、もしそれに参加した子どもの人格に悪影響が出た場合、一体その責任は誰が取るというのだ、という倫理的な問題提起を行なっているのです。ですから、森氏の主張の主眼は、「年数」「人数」の事では無いのですね。
ポイントは、「薬の有効性を調べる臨床試験のように」という部分です。実験するみたいに行わなくてはいけないのか、と問うている。
ここで森氏に指摘すべきは、いや人数集めて長期間やれよ、という事では無くて、「科学的根拠」を求める人は、そのような実験的根拠(介入研究的根拠)をしか認めない訳では無いという事なのです。
科学の方法の内、動物を対象とする研究を扱うテキストでしばしば言及されるのが、この辺りの倫理的問題です。解りやすいのが、煙草の影響を確かめる事について。こういう、「害を与えるかも知れない」と考えられるものの影響を確かめたい時に、人を沢山集め、「与える」「与えない」群に分けて比較する事に問題がある、というのは簡単に解ると思います。簡単に解る事だから、教科書等には普通に書いてある。で、あるものの効果を確かめる時、実験的(介入的)な方法が扱えるとは限らないから、観察や調査によって因果関係を探っていく、というように説明が進む。要するに、動物を対象とする科学においては、そういう倫理的問題を孕んでいるのは、当然の事として把握されている訳です。
にも拘らず森氏は、「科学的根拠」を求める人々は、大規模・長期間の実験研究(介入研究)によって得られたものしか認めないのか、と非難する。要するに、科学的根拠を求める人は、倫理的に問題を含む実験的(介入的)なものしか認めない、非現実的な事を要求する者達なのだ、という印象誘導です。
これは、別にそんな事を言っている人はそれほどいないだろうに、仮想的な存在を実際に多くいるかのように仕立ててそれを尤もらしい理屈で非難し(実際、倫理的な所の指摘はいかにも尤もらしい)、持説の強化を試みる(共感を得る事を、と言う方がいいかも知れない)と共に、自身への批判者の印象をネガティブな方向へ誘導する、という構造と言えます。いわゆる藁人形論法に類似するでしょうか。
このように、確かに森氏の文章は批判に値するけれども、そのアプローチは、「それをやれよ」というものでは無い、と私は考えます。批判は結構ですが、引用文でも無いものをクローズアップして、それに基づいて評価する事には危険な場合もある、という事は心得ておきたいです。
ちなみに、ここで話題にした部分については、以前たこやきさんにご紹介頂いて、コメント欄で感想を書いています。そのやり取りを載せておきます。
とりあえず、森昭雄氏の新刊、入手し、とりあえず一通りは目にしました。
一言で言うと、海外を中心とした研究者の「ゲームは悪」という主張を紹介して、「ゲーム脳説はその通りだ」と無理やり結び付けているだけの本、という感じですね。とにかく、前書きからしてツッコミどころ満載です。
新しいものを愛好する人は、批判を「根拠がない」と一蹴するが、この場合の科学的根拠とは何だろうか? 薬効の臨床試験のように子供を相手に人体実験をし、細かく観察をしろというのか? そして、その結果、人格形成に問題が生じたという論文を出せというのか? その子供についての責任は誰がとるのか? 科学的な根拠を示せ、というのは一見、正論に見えるが机上の空論に過ぎない。問題の解決にならない。
という内容(上の文章は、私の要約です)を述べたうえで……
すでに主義主張を超えた極めて危機的な局面に、私たちや子どもの脳がおかれているのです(6頁の文章まま)
と、勝手に危機的状況を作り上げてしまっている、という状況です。
はっきり言って、森昭雄氏の主張というのは、矛盾だらけでその主張だけで信頼に値しないデタラメということを批判者の多くは指摘しているのですが……ちなみに「ネトゲ脳」について、森昭雄氏は、インターネット、テレビゲーム、ネットゲーム、ソーシャルゲーム、携帯電話のネット接続……など、ありとあらゆるものについての区別を一切しておらず、ぐちゃぐちゃに語っています。
たこやき 2012/12/14 22:17
たこやきさん、今晩は。ご紹介頂いてありがとうございます。
いやこれはまた、興味深い内容ですね……もちろん悪い意味で。
最初に要約下さった所を見るに、森氏は疫学であるとか社会心理学であるとかの方法について全くご存知無い、もしくは無視しておられるようですね。実験的研究につき纏う倫理的問題を考慮し、観察的に研究を行い物事を明らかにしていく事は、当然専門家は認識している訳で。
▼ 引 用 ▼
ちなみに「ネトゲ脳」について、森昭雄氏は、インターネット、テレビゲーム、ネットゲーム、ソーシャルゲーム、携帯電話のネット接続……など、ありとあらゆるものについての区別を一切しておらず、ぐちゃぐちゃに語っています。
▲ 引用終了 ▲
相変わらずだな、という感じですね。いずれ目を通してみるつもりですが、なかなか読み応えがありそうです。
ublftbo 2012/12/14 22:49
たこやきさんの紹介は、要を得たものですね。だから、私の返答も、科学における倫理的問題に焦点を当てたものとなっています。
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追記
ちょっと砕けた感じで要約してみると、森氏が言っているのは、「科学的根拠って言って大規模な実験研究(介入研究)しか認めないのってハードル上げ過ぎだし倫理的に問題もあるし、机上の空論じゃない?」て事ですね。だから、それに対する反論は、「いや、それちゃんとやれよ。」では無くて、「いや、そんなにハードル上げて無いから。大体、そんな事言ってる人がどんだけいるの?」とすべきでしょう。