ゲーム脳の批判のしかた
経緯
前に、ニセ科学ファンの男の子(30歳独身)から「ゲーム脳はニセ科学だ!」という論証サイトを紹介されて読んだ。子を持つ母であるわたし「ゲーム脳がニセ科学っつーのは(コレ読まんでも)わかるんだけど、でもこの論証だけじゃ片手落ちだと思うんだよね」。彼、どこがだよ!と怒っちゃった。
http://twitter.com/akimaeno/status/298239289190408192
わたし「うまく言えないんだけど『ゲームすると脳がボケ老人みたいになっちゃいますよ、は科学的根拠がない』って言うだけでは、問題の解決にはならないわけで」、彼「なんだよ、問題って」、わたし「どうして『ゲーム脳』がもてはやされたか、って部分」。彼「それとこれとは話が別だろ」、別か?
http://twitter.com/akimaeno/status/298240377603895299
「なぜゲーム脳がもてはやされたのか」と「ゲーム脳はニセ科学です」は、確かに話が別である。ゲーム脳がニセ科学だと論証した人には、べつに子どものゲームしすぎを危惧する親に寄りそう義務も義理もないわけで。しかしながら、現実生活、「ゲーム脳はニセ科学です」とドヤ顔されてもなぁ。
http://twitter.com/akimaeno/status/298241734658359299
だったら「スイカの種を食べてもおなかから芽が生える」にも科学のメスを入れたらどうだ、と。 知らんけど、ニセ科学を徹底批判しオニのように愚民啓蒙活動をしている科学畑の御仁にとって一番の問題はニセ科学が『科学』のカオをしていることであり、それを信じる人の心はわりとどうでもいいような。
http://twitter.com/akimaeno/status/298242748811722752
訂正。「スイカの種を食べても」じゃなくて、「食べたら」だ。 「スイカの種を食べてもおなかから芽は出ません」とキャンペーン張ったらどうだ、と書きたくて字数制限で断念した残骸ね。
http://twitter.com/akimaeno/status/298243103259770880
というわけで。「スイカの種を食べるとおなかから芽が出ますよ」と日本人はえらく長いこと言い続けてきたんだと思うが、それで怒ったスイカ農家さんはいらっしゃらないわけですよ。アタシャ個人的には「ゲームばっかりしていると脳が老化しますよ」というスイカの種的言説が横行するのも悪くないなと。
http://twitter.com/akimaeno/status/298243887552663552
邪気邪気してたなー、あのニセ科学糾弾サイト。ニセ科学を信奉(?)している芸能人とか素人ブログとか叩きまくって。彼らにとって、ニセ科学が悪いのじゃなくて、ニセ科学者とそれを信じる人こそ『悪い』のかしら、とか、自分らの正しい科学が浸透しない社会が『悪い』のかしら、とか勘ぐっちゃう。
http://twitter.com/akimaeno/status/298245587931901952
ゲーム脳説を批判しているWEBサイトはいくつもあるので、上のつぶやきを書いた方がどのサイトを紹介され参照したのか、は解らないです。
私はだいぶ以前からゲーム脳説を批判してきていて、分量的にも相当量を費やしています。それで、上のような疑問等についても考えて来ましたし、答える準備があります。当該の説を積極的に批判してきた者がどのような認識で取り組んできたのかを説明する事は、事例の報告として意義のあるものと考えますので、本エントリーでそれを書きます。以下、着目する部分に強調を施して検討します。
すぐに解るかどうか
前に、ニセ科学ファンの男の子(30歳独身)から「ゲーム脳はニセ科学だ!」という論証サイトを紹介されて読んだ。子を持つ母であるわたし「ゲーム脳がニセ科学っつーのは(コレ読まんでも)わかるんだけど、でもこの論証だけじゃ片手落ちだと思うんだよね」。彼、どこがだよ!と怒っちゃった。
http://twitter.com/akimaeno/status/298239289190408192
ゲーム脳が科学的に妥当かどうかは、「ちょっとやそっとでは解らない」ものです。ゲーム脳説は、ゲームをやる事で脳や(その活動の結果としての)認知的機能に深刻な悪影響を与えると主張するもので、それは、「検討せずに棄て去って良い仮説」ではありません。ですから、現在の科学の知見を参照する事無しに、ゲーム脳説を非科学的なものと糾弾する事は出来ません。
ただし、森氏のゲーム脳本を読むと、その内部で明らかに矛盾していたりするので、その範囲で「言っている事がおかしい」と指摘する事は可能です。そこから、ゲーム脳説は妥当では無いだろう、と推察する事も出来ます。が、正確に、科学としてどうなのか、と評価するには、それなりの勉強と調査・検討を要するものです。
纏わる問題
わたし「うまく言えないんだけど『ゲームすると脳がボケ老人みたいになっちゃいますよ、は科学的根拠がない』って言うだけでは、問題の解決にはならないわけで」、彼「なんだよ、問題って」、わたし「どうして『ゲーム脳』がもてはやされたか、って部分」。彼「それとこれとは話が別だろ」、別か?
http://twitter.com/akimaeno/status/298240377603895299
ゲーム脳説に科学的根拠は無い、と言うだけでは無く、ゲーム脳説がある程度の数の人に受け容れられた事にも着目する必要があるのではないか、という視点。
それは実際重要な観点です。おかしな(その当時に妥当で無いと看做せる)説が受け容れられたとしたら、どうしてそのような現象が起こったかを検討するのも肝腎。それは、社会学や社会心理学的な問題でもあるし、認知心理学的な話とも繋がってくるのでしょう。ただ頭ごなしに否定を試みてもしょうが無い、という部分は確かにある。
ただしそれは、「レイヤの違う話」です。その事は、発言者自身が後のつぶやきで語っています。
レイヤの違い。ドヤ顔
「なぜゲーム脳がもてはやされたのか」と「ゲーム脳はニセ科学です」は、確かに話が別である。ゲーム脳がニセ科学だと論証した人には、べつに子どものゲームしすぎを危惧する親に寄りそう義務も義理もないわけで。しかしながら、現実生活、「ゲーム脳はニセ科学です」とドヤ顔されてもなぁ。
http://twitter.com/akimaeno/status/298241734658359299
発言者の意図としては、「確かに話は別だけど、現実生活(WEB上で無い、という含みでしょう)において、割り切られた話をいきなりされても戸惑う」という事なのでしょう。これはコミュニケーションの問題で、よく考えておく必要のある所だと思います。
「ドヤ顔」というのは、相手との人間関係、話の流れ、ものの言い方、表情、等の様々な要因が働いた結果の行動に対する評価の問題なので(それは必ずしも、文字通りの「顔(の表情)」への評価のみでは無い)、文脈に大きく依存する事です。
他の問題は? 批判する者の心の内側
だったら「スイカの種を食べてもおなかから芽が生える」にも科学のメスを入れたらどうだ、と。 知らんけど、ニセ科学を徹底批判しオニのように愚民啓蒙活動をしている科学畑の御仁にとって一番の問題はニセ科学が『科学』のカオをしていることであり、それを信じる人の心はわりとどうでもいいような。
http://twitter.com/akimaeno/status/298242748811722752
あれについて言うなら他のものについても、という主張。もう一つは、ニセ科学を批判する者の態度と立場についての斟酌。
スイカの種云々については、植物の科学や解剖学・生理学等の知識が関わってくるので、私には自信を持って判断をつける事の出来ない問題ですが、それはそれとして。
Aの事を言うなら他のBについても、と主張するものには、
- 問題と思った人が行えば良いのでは
- もう行なっている人はいるのでは
と問い返すかも知れません。何が他愛の無いものか、何が重大なものか、の評価は簡単なものではありませんし、「もしかしたらもうやっている人がいるかも」という事も考慮しておく必要があるでしょう。
私はゲーム脳説を積極的に批判していますが、批判する最初の頃から、「これがどうでも良い問題だと思っている人は沢山いる」と認識していました。と言うより、ゲーム業界はきちんと反論しないし、批判している人でも論点が足りないのではないか、と感じたから、自分でやろうと思った訳です。
ニセ科学を徹底批判しオニのように愚民啓蒙活動をしている科学畑の御仁にとって一番の問題はニセ科学が『科学』のカオをしていることであり、それを信じる人の心はわりとどうでもいいような。
という発言については、まず「御仁」が、
- ニセ科学を徹底批判している
- オニのように愚民啓蒙活動をしている
- 科学畑である
という条件を備えている事が前提となっているので、「そうで無い人も多数いる」という所を押さえるのが肝要でしょうね。私の事で言えば、1以外には当てはまりません(「科学畑」の定義にもよるけれど)。ですから、その後の斟酌の部分にもすぐには繋がっていきません。
その斟酌の部分は、それを信じる人の心はわりとどうでもいいような。
というものですが、ここについては明確に、「そんな事は無い」と言えます。信じる人の心などどうでも良いと考えていたのなら、ゲーム脳批判の一貫としてゲーム脳Q&Aを作成する事は無かったでしょう。
キャンペーン
訂正。「スイカの種を食べても」じゃなくて、「食べたら」だ。 「スイカの種を食べてもおなかから芽は出ません」とキャンペーン張ったらどうだ、と書きたくて字数制限で断念した残骸ね。
http://twitter.com/akimaeno/status/298243103259770880
これはもう、個別に判断して行えば良いのでは、という事以外は言いようが無いですよね。もしそのようなキャンペーンが張られたら私は、正確な知識を広めようとする事に感心するかも知れません(そんなのを信じる奴は馬鹿だ、のような言い方がなされていなければ)。
スイカ農家は怒るか
というわけで。「スイカの種を食べるとおなかから芽が出ますよ」と日本人はえらく長いこと言い続けてきたんだと思うが、それで怒ったスイカ農家さんはいらっしゃらないわけですよ。アタシャ個人的には「ゲームばっかりしていると脳が老化しますよ」というスイカの種的言説が横行するのも悪くないなと。
http://twitter.com/akimaeno/status/298243887552663552
実際、そういう説でスイカ農家が怒ったという話は私は知りません。いるかどうかも判りません。
この発言には、その事でスイカ農家が怒るのは馬鹿馬鹿しい、というような含みがあるように思いますが、私は、「そういう話にスイカ農家が憤ったりする」事は別におかしく無いし、誤りがあれば正すという事もあって良いと考えています。
「ゲームばっかりしていると脳が老化しますよ」というスイカの種的言説が横行するのも悪くないなと。
という意見については、ゲーム脳Q&Aの中盤から後半で触れています。「悪くない」というのはどの立場からの主張だろうか、と思いますし、ゲーム脳説は教育問題とも絡んでいるから、なかなか軽々しくものを仰ってくれるなあ、というのが率直な感想。
邪気邪気。何が「悪い」のか
邪気邪気してたなー、あのニセ科学糾弾サイト。ニセ科学を信奉(?)している芸能人とか素人ブログとか叩きまくって。彼らにとって、ニセ科学が悪いのじゃなくて、ニセ科学者とそれを信じる人こそ『悪い』のかしら、とか、自分らの正しい科学が浸透しない社会が『悪い』のかしら、とか勘ぐっちゃう。
http://twitter.com/akimaeno/status/298245587931901952
批判のやり方と言うか、ものの言い方と言うか、そういうのは重要だと思います。説のどこがどうおかしいか、という所と全く同じように重要だと考えます。開き直って、言い方とかどうでもいいとか、説の論証さえ行えば良い、といった主張には与しません。そして、そういう意見はそんなに見ません(見た事実が多くは無い)。見た時には、直接意見を言ったりしますけれど。
信じる人が「悪い」かどうかという所ですが、それは人によるし説にもよるのでしょう。効きもしないものを、重病を罹った人に与えて取り返しの付かない状態にさせる、という人がいれば、日常的な表現として、「悪い」と評価する事に、特に躊躇はしません。それをそのまま発言するかどうかは別の話ですが。その人の社会的な立場等によって、「悪い」は「責任」等との関連によって論じられる事でしょう。