「女子高校生のスマホ利用1日7時間」という記事の表現・主張は妥当か

女子高校生のスマホ利用1日7時間 NHKニュース というNHKの記事が上がりました。
タイトルは女子高校生のスマホ利用1日7時間 となっており、本文では、調査の概要と専門家のコメントが紹介されています。
この種の調査結果がマスメディアを通じて発表された場合には、その内容を鵜呑みにするのでは無く、出来ればソースに当たって確認してみるのが肝腎です。そして、当該調査の資料はこちらです⇒未成年者と保護者のスマートフォンやネットの利活用における意識調査について
こういう調査を考える場合に、いくつかの重要なポイントを挙げる事が出来ます。次のようです。

  • 調査した主体は
  • 知りたい対象は
  • 調べた人の採り方は
  • 調べた人数は
  • 調査した媒体は
  • 調べた対象から言及出来る範囲は
  • 質問の具体的内容は
  • 分布のしかたは
  • 結果の解釈は妥当か

これらについて、順に見ていきましょう

調査した主体は

ニュース、資料によれば、この調査を行ったのは、情報セキュリティー会社の「デジタルアーツ」Webフィルタリングソフトで情報漏洩対策|情報漏洩対策ならデジタルアーツ株式会社)です。事業内容の説明を見ると、デジタルアーツは、

インターネット社会の不安を取り除くソリューションの創出を目指し、インターネットアクセスに伴う危険を未然に防止する「Webフィルタリング」および「電子メールフィルタリング」を中心とする情報セキュリティ事業を、企業・公共(官公庁・学校)・家庭向け市場に対して展開をしています。
事業戦略・事業内容|デジタルアーツについて|情報漏洩対策ならデジタルアーツ株式会社

このような事に取り組む企業であるようです。調査において、フィルタリングの利用状況が問われている事を見ても、事業内容に関連した調査であった事がうかがえます。
また、調査のプレスリリース(≪未成年の携帯電話・スマートフォン使用実態調査≫女子高校生の1日の平均使用時間は7時間、0歳〜9歳の保護者64.0%が情報モラル教育や対策が不十分と回答|プレスリリース|デジタルアーツについて|デジタルアーツ株式会社
には、

教育現場における情報化を推進されていらっしゃる玉川大学 大学院 教育学研究科 准教授 近藤昭一氏監修の下、

とあります。つまり、調査にあたって専門家の監修を得た、という事ですが、この監修者である近藤昭一氏の名前、どこかで見た、と思いませんか? NHKの記事を見ると、

調査結果について、子どもの教育に詳しい玉川大学大学院の近藤昭一准教授は「多感な時期に間接的なコミュニケーションがメインになってしまい、人と人との多様で直接的な接触の機会が失われつつあることを非常に危惧している。スマートフォンを手放せない子どもはネット依存症に近い状態にあり、人間関係の形成などに影響が出かねない。家庭での使用の制限を年齢に応じて徐々に緩めるなど、適切にネットを利用できるようにする必要がある」と話しています。

こう書いてあります。実は、この子どもの教育に詳しい玉川大学大学院の近藤昭一准教授というのは、そもそも当該調査の監修者であるのです。NHK記事では、話していますという表現がある事から、私は、調査とは関係を持たない専門家にインタビューしてきたのか、と最初思ったのですが、そうでは無くて、そもそも調査に深く関わっている人物のコメントだったのです。デジタルアーツのプレスリリースのページには、近藤氏のコメントが載っていて、

今回の調査では、10歳〜18歳のスマートフォンの使用時間の長時間化と、未就学児の保護者が早い段階から子ども専用のインターネットに接続できる端末を与えていることが印象的でした。スマートフォンタブレットの登場により、非常に便利な時代になってきたのは事実ですが、どんなにITが進んで生活に浸透してきたとしても、ITはインフラやツールでしかありません。これらを当たり前に使いこなせる世代の子ども達が増えていく一方で、人格形成の一番大事な多感な時期に、メディアを介した間接的なコミュニケーションがメインとなってしまい、人と人との多様で直接的なコミュ二ケーションの機会が失われつつあることを非常に危惧しています。そのことは、相手の気持ちを感じ取ったり、適切な言葉で相手に伝えたりする情緒交流の能力やコミュニケーションスキルの未発達を招く恐れがあります。

このような内容です。当然ですが、NHK記事とほぼ同じですね。

知りたい対象は

調査においては、何について知りたいかを明らかにする必要があります。この調査では、未成年の携帯電話・スマートホンの利用実態を調べていますから、知りたい対象全体は、日本に居住する未成年全体とひとまず定める事が出来ます。

調べた人の採り方は

知りたい対象は、未成年全体です。で、対象の数が多いと、現実的に、全部を調べる事が不可能になります。ですから、その一部を採ってきて調べます。
そして、今回の調査は、インターネット調査です。つまり、インターネットを利用している人に対して呼びかけて調査を行った、という事です。ここから言えるのは、調べる事が出来たのは、
調べたい全体の内、インターネットを利用している人の内、調査の呼びかけに応じた人
であると言えます。

調べた人数は

知りたい対象の規模が大きいと、調べ切る事は出来ないので、調査出来た人数を意識する事が必要です。PDF資料を見ると、

1,213サンプル(子ども:618サンプル、親:595サンプル)

こうあります。プレスリリースに

携帯電話・スマートフォンを所持する全国の小・中・高校生男女618名、及び0歳から9歳の子どもを持つ保護者層595名、合計1,213名を対象とした、第7弾となる利用実態調査を実施しました。

とあり、今はひとまず、小・中・高 の人達を全体と考えるとして、調べる事が出来たのは、618人であった、という事です。

調査した媒体は

PDF資料によれば、調査を実施したのは、株式会社マクロミルだそうです。WEB調査では知られた企業ですね。つまりこの調査は、マクロミルの調査を通じてデータを得た、と。
ところで、マクロミルは、モニタ登録した人に、メールなどで回答を募る、という形式ですから、上で書いた
調べたい全体の内、インターネットを利用している人の内、調査の呼びかけに応じた人
は、より具体的には、
調べたい全体の内、インターネットを利用している人の内、マクロミルを利用している人の内、調査の呼びかけに応じた人
と表現出来ます。
参考資料:マクロミルの対象とするモニタの情報⇒T

調べた対象から言及出来る範囲は

まず、統計的調査の基本の部分の話をします。
先にも書いたように、知りたい対象全体の規模が大きくなると、全体を調べる事は出来ず、一部を採って調べる事になります。この場合、

  • 知りたい対象全体:母集団
  • 調べる一部:標本

と表現します。
それで、ある知りたい集団があるが、調べられたのはその一部であった、という場合でも、知りたい対象について解りたい訳です。その場合には、標本が確率的に採られている必要があります。具体的には、知りたい対象の構成員それぞれに番号をつけておいて、くじ引きでいくつかの番号を集めて、その番号を持つ構成員について調査する、というようなやり方です。そうする事で、母集団がこういう様子だった場合には、標本は確率的にこのようになるという理論的な所にもとづいて、母集団はこのような様子なのであろう、と推測する訳です。
前の節で見たように、調べる事が出来たのは、
調べたい全体の内、インターネットを利用している人の内、マクロミルを利用している人の内、調査の呼びかけに応じた人
です。ここから、標本は、
調べたい全体から確率的に選ばれた人達が対象では無い
事がうかがえます。調べたい全体が超大規模になると、まずその全体を層に分けて、段階的に選んでいく、という手法も用いられますが、少なくとも資料にはそのような情報はありませんし(調査において超重要な情報なので、行っておいて書かない、というのは考えにくいのです)、そもそもマクロミルを通じて行ったインターネット調査で、そのようなやり方は出来ないと思われます。
という事は、この調査結果を踏まえて、知りたい全体、つまり、小・中・高 校生全体について一般的な傾向を云々するのは、控えめに言っても、極めて難しい、と考えられます。

質問の具体的内容は

調査において重要な事に、質問のしかたというのがあります。質問文の内容によって、答え方が異なってくるという事があり得ます。質問文における言葉の選び方を、調査論ではワーディングと言いますが、その内容をよく検討する必要があります。たとえば、スマートホンの一日あたり使用時間と言う場合、それがどのような範囲まで含んだものであるのかを考えます。現在のスマートホンは極めて多機能であり、通話のみならず、WEB閲覧、音楽・動画再生、電子書籍閲覧、TwitterInstagram、LINEなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス系アプリケーション、ゲーム、等々、その利用目的は多岐にわたります。それらのどのような範囲まで含んで利用・使用と言っているかによって、答え方も変化してくるでしょう。
ここまでを踏まえて、実際の質問内容はどのようなものだろうか、と資料を見てみると、具体的な所は掲載されていないようです。あるのは、使用時間の結果であって、どの範囲までの使用を指しているのかは、資料からは判然としません。動画閲覧や音楽プレイヤーとして使うのも含めて使用と言っているのかが、はっきりとしません。たとえば、ドック付きスピーカーにスマホを接続して音楽を楽しむ、というのは使用・利用に入るでしょうか。実際には、あなたはスマホを使っていますかというような質問の答えを集計しているのでしょうか、それとも、使用アプリの範囲を限定して、そのアプリを使っているのを使用の定義としているのでしょうか。
PDF資料の使用頻度の高いアプリの所を見ると、動画・音楽とあります。という事は、少なくとも、動画や音楽の視聴に用いるのを除外はしていないようです。かなり広い範囲を対象としていそうだ、とは言えます。

分布のしかたは

平均値のような指標は便利ではありますが、それだけでは全体のデータの分布は解りません。ですので、より具体的なデータが参照出来る場合には、それを見ておくに越した事はありません。
PDF資料にそのデータが載っています。
それを見ると、女子高校生での分布は、9時間以上の人で3割を占めている事が解ります。ここが、平均値を引っ張り上げているようですね。他のカテゴリを見ると、9時間以上使っている人というのはほとんどいません。先に書いた、この調査結果を知りたい対象全体に一般化して語る事は難しいというのを考え併せると、ここで得られた平均を、そのまま用いて議論するには、ちょっと慎重になっておいた方がいいと考えます。

結果の解釈は妥当か

まず、今回得られた標本の結果から、調べたい対象全体についてものを言えるようなものでは無いだろう、というのは、これまで見てきた通りです。従って、そこで得られた平均をもって全体的な傾向を云々する事も出来ません。
プレスリリースには、調査監修者の近藤氏の言を、今回の調査結果についてという小見出しの下に置いてあるので、その解釈を、調査の結論と考えている、と看做しても良いでしょう。その言は

玉川大学 大学院 教育学研究科 准教授 近藤昭一
今回の調査では、10歳〜18歳のスマートフォンの使用時間の長時間化と、未就学児の保護者が早い段階から子ども専用のインターネットに接続できる端末を与えていることが印象的でした。スマートフォンタブレットの登場により、非常に便利な時代になってきたのは事実ですが、どんなにITが進んで生活に浸透してきたとしても、ITはインフラやツールでしかありません。これらを当たり前に使いこなせる世代の子ども達が増えていく一方で、人格形成の一番大事な多感な時期に、メディアを介した間接的なコミュニケーションがメインとなってしまい、人と人との多様で直接的なコミュ二ケーションの機会が失われつつあることを非常に危惧しています。そのことは、相手の気持ちを感じ取ったり、適切な言葉で相手に伝えたりする情緒交流の能力やコミュニケーションスキルの未発達を招く恐れがあります。

インターネットは、楽しい趣向やきれいな演出もあって嵌ってしまう気持ちはわかるのですが、そこが子ども達の居場所になってしまわないようにする必要があります。保護者の皆さんには、お子さまの周囲に多くの“大切な人”と出会いの場を作っていただき、しっかりと人と向き合える交流をさせてほしいと思います。その体験が子ども達にとって生きていく自信になります。幼少期から、ネット中心の生活を送らせないで、親子での会話や遊び、地域活動や自然との触れ合いをさせて、バランス良く、多くの体験をさせてあげてください。そして、インターネットを使う時は、端末の制限機能や家庭内でのルールづくり、フィルタリングソフトの活用など、環境整備をお願いしたいと思います。お子さんがインターネットを道具として使いこなす逞しい大人へと成長されることを期待しております。

このようなものです。
まず、今回の調査結果から、より一般的な部分について言及しています。しかし、当該調査から社会的に大きな範囲についてどうこう言うのは、今まで見てきたように、早計な事だと思われます。
次に近藤氏は、人格形成コミュニケーションの機会に触れています。これは、仮に当該調査の結果が一般化出来たとしても、そこから導く事が出来ない部分です。つまり、未成年のスマホ使用の実態と、それが及ぼし得る影響は、別の話である、という事です。前者は社会調査的な、誰が何にどのように使っているか、という情況を調べるものであるのに対し、後者は、ある機器や文化に触れる、あるいは、それに触れる事で他のものに接する機会が減る、という事の心理学的な影響(主に発達心理学的な)のメカニズムの話だからです。
すなわち、ここで近藤氏は、

  • 調査を過度に一般化している
  • 調査目的から直接的に導けない所に言及している

という意味で、踏み込み過ぎた言及をおこなっていると言えます。これは、スマホの使用情況と、使用者の行動の傾向、との関連を調べたような調査ではそもそもありません。そして、スマホをこの目的でこのくらい使えば、人間の心理や行動にこのような影響を与え得る、というのは、未だ研究途上の事柄であり、既に明確な結論の出ている問題ではありません。ですので、想像や推測が多分に入った結果解釈である、と見る事が出来るのです。