疫学における「原因」とは
リンク先で、NATROMさんがニセ医者と評されています。その根拠はどうやら、NATROMさんが原因という概念を理解していないから、という事のようです。具体的には、タバコを吸わなくても咽頭がんになることもあります
という主張が、「咽頭がんの原因はタバコである」
の反例になっている、だそうです。
正直な所、リンク先の文章は、
「タバコ(喫煙習慣)」は「咽頭がんの原因」という集団に含まれる。これは正しいでしょう。
など、意味の解らない所が色々あり(含まれるのが正しいとは、どういう事でしょうか)、何を主張されているのか、だいぶ不明瞭なものがあるのですが、それはともかくとして、ここで、医学、あるいは疫学における原因というものについて見ておくのは重要だと思いますので、疫学の教科書を参照してみましょう。
原因とは
疫学で用いられている因果関係について理解を深めるには,さまざまなタイプの原因について考えてみるとよいだろう.必要な原因 necessary cause とは,特定の帰結が生じるのに必要な曝露のことであり,常に帰結と関連している.もし曝露がなければ,帰結が生じることはない.十分な原因 sufficient cause とは,それ自体で特定の帰結を生み出す曝露のことだが,帰結の唯一の原因ではない.そのため,もし他の曝露によって引き起こされていたとしたら,その曝露なしに帰結が生じることもあり得る.John Lastは,原因のこの2つの分類から4つの筋書きを考えた.
これは、以下の本より引用した文です(P126)。
参考文献によれば、そもそも原因なる概念が、2つに分類されます。そして、それぞれの原因を満たすかどうかという観点から、John Last は4つの組み合わせを考えたと言います。即ち、次の4分類です。
- 必要十分な原因 necessary and sufficient cause
- 必要不十分な原因 necessary but not sufficient cause
- 不必要十分な原因 not necessary but sufficient cause
- 不必要不十分な原因 not necessary and not sufficient cause
参考文献では、この4つの型について、概念の説明と具体例が紹介されています。これから、それを要約してみましょう(以下、引用文は、参考文献の P126-128 より)。
必要十分な原因 necessary and sufficient cause
- 概念
帰結を引き起こすのに必要な原因であり,それ自体で帰結を引き起こすことができる.
- 図式
- 曝露 X → 帰結 Y
- 具体例
- 鉛中毒、狂犬病
必要不十分な原因 necessary but not sufficient cause
- 概念
特定の帰結を引き起こすのに必要な原因であるが,それだけで帰結を引き起こすことはできない.他の原因が必要なのである.
- 図式
- 曝露 X + 他の原因 → 帰結 Y
- 具体例
- アルコール中毒
不必要十分な原因 not necessary but sufficient cause
- 概念
特定の帰結を引き起こすのに必要ではないが,それだけで帰結を引き起こすことができる原因である.これは,帰結の原因が他にあることを意味している.
- 図式
- 曝露 X → 帰結 Y;曝露 Z → 帰結 Y
- 具体例
- 多量の電離放射線 → 不妊、ある殺虫剤への大量の曝露 → 不妊
不必要不十分な原因 not necessary and not sufficient cause
- 概念
特定の帰結を引き起こすのに必要のない原因であり,現状ではそれ自体で帰結を引き起こすことはできない.したがって,その帰結には他の原因がある.不必要不十分な原因は,寄与原因 contributory cause として知られている.
- 図式
- 曝露 X + 他の原因 → 結果 Y;曝露 Z → 結果 Y
- 具体例
- 体を動かさないライフスタイルと冠状動脈性心疾患(CHD)
疫学では,原因は,特定の個人に起きるものとは対照的に,人間集団に起こるものによって決められている.フラミンガム研究によって,ある生活習慣で生活している人々は心臓疾患による死亡率が高くなるということを知っている.集団のデータに基づけば,生活習慣から個人のことを予測することができるが,常に正確な予測を期待できるわけではない.例えば,1日に4箱のたばこを吸い,高血圧で,浴びるように酒を飲んでいても,103歳まで生きる人もいることは周知の事実である.しかし,例外は常には起こりえないのである.
単純では無い原因概念
ここまで見てきたように、原因と一口に言っても、その内容には色々の分類があります。それで、この内で一番最初に出てきた必要十分な原因について、現実の世界ではあまり一般的ではない.
と書かれています。鉛中毒や狂犬病は、その一般的で無い例であるという訳です。
たとえば狂犬病について、狂犬病ウイルスに感染する事が必要だけれども、それに感染した人全てが狂犬病を発症する訳では無い事が指摘されます。そして、必要十分だと思われていた原因が、より正確に分類される場合がある事も指摘されています。たとえば、昔は、がんが単一の要因で引き起こされると多くの人に信ぜられていたが、今は、がんは他要因で生ずる事が知られている、というようにです。
参考文献では、この他にも、因果関係を直接的因果関係(直接原因)と間接的因果関係(間接原因)に分類する、という見方も解説してあります。
ここまでを踏まえて見れば、発端のNATROMさんの発言
タバコを吸わなくても咽頭がんになることもありますし、タバコを吸っていても咽頭がんにならないこともあります。それでも、「タバコは喉頭がんの原因だ」と言っていいんですよ。
http://twitter.com/NATROM/status/687925994699780097
これが、何らおかしな主張では無い、という事が判るでしょう(ところで、咽頭がんの話を最初に持ちだしたのは、どちらでしょうか)。先に紹介した4分類で言えば、たばこ(喫煙)は、喉頭がんの不必要不十分な原因である、という事になりましょう。別にNATROMさんは、鉛中毒の話をしていて「鉛に曝露しなくても鉛中毒になる事がある」と主張する、というような事を仰ってはいないのです。