【メモ】13種類のがんへの検査
昨日の続き。
13種類のがんのいずれかに罹っているかもという意味での陽性を出す検査の意義。
名取さんの言うように、一つのアプローチとしては、網羅的検査を一次検診にして、後にがん腫特異的な検査をおこなう、のが考えられる。高感度の一次検診で対象者を絞り込んで保有割合を高め、その後に個別のがんをターゲットにした検査をおこなう、という寸法。
もちろんこれは、各がんについて他のがん腫および非罹患者、と判別出来る検査の実現が前提。卵巣がん等ではその研究がなされているけれど、全体的に充分な性能が確保されている、という意味で実現されているとは言い難いはず。この時点でも、東芝の発表まわりの報道は拙速・過熱であったと思う。
で、もし、個別判別の(性能の良い)検査が実現されていると仮定して、対象者に結果をどのように知らせるか。一次検診の陽性を伝え、13種類の内のどの二次検診を受けるか選択させる? それとも、一次検診陽性者の検体には自動的に二次検診をおこなうようにする?
もし前者だとしたら、受けた人には選択の手がかりが全く無いからよろしく無い。最初から個別の検診を受けたほうが良い、となる。
では後者とするか。費用は? 検体の量は? 一つの検体に、一つの機器で、13種類を判別出来るmiRNAのセットを抽出・解析する? もちろん研究者はそれを目標にしているし、PSS/JBICの資料などでも謳われている事だが(JMACシンポジウム資料参照)、技術的実現、費用を含めた見通しはどうなっているのか。
もし、安価短時間(体液生検だから侵襲は低)の13種類同時検査が可能だと(かなり楽観的希望的に)仮定して、その結果を対象者にどう知らせるのか。13種類全てのがんについて、陽性/陰性 の情報を表示する? 対象はがんである。その陽性判定のインパクトはものすごい。心理的にも社会的にも、一般の健康診査における血液検査で表示されるような指標とは、まるで重みが違う。
13種類同時に検査をおこなう。それぞれの検査に誤陽性リスクがある。がんは命に関わる疾病だから、誤陽性は重大。だから、精検以前でも特異度の高さも(感度は言うまでも無い)要求される。
年齢が高くなれば、がんの保有割合も高まる。がん腫によっては隠遁がんの割合も高い(13種類の中に甲状腺がんは無いが、前立腺がんはある)。様々ながんについて、自然史が未解明な所もあるから、ステージ0のがんに反応するような検査を短インターバルでおこなえば、臨床発見では予後の悪いがん腫でも、隠遁がんが結構見つかるのかも知れない。そうすると、複数で陽性になるのは充分考えられる。
がん検診で無い検査でも、再検査を促されるのは、心理的に結構負担になる。いわんや、がん検診においてをや。がんを高精度(正しくは高性能)で見つける(正確には見つけるのでは無いが)と気軽に言うが、がん疑いを言われた場合の衝撃をどうするのか。それに、複数で陽性であった場合、他の陰性は合っているのか?と懐疑的になるのも心理だろう。
検診の論理では、命を救う(寿命を延ばす)事をもって、陽性評価に伴う心理的負担などの害が許容される、と考える。あくまで死亡リスク低減の効果があってこそ。しかるにがん検診において、寿命延伸効果が認められているものは、ほとんど無い。早く見つけて処置すれば効果が出るだろうというシンプルな見かたは、がん検診の議論では(ごく理想的な条件を複数設定しない限りは)通用しない。
こういった事情があるから、当該検査法に対し、検査としての有用性と有望さは評価出来るが、それを用いて検診をおこなう事には慎重であるべきだ、と主張する。
付け加えると、現在発表されているのは、あくまで性能試験下での成績、つまり、バイオバンクにて冷凍保存された血清等を検体として用い、臨床情報と突き合わせて研究した結果であるから、がん保有割合が低い、健康者(がん非保有の意)含めた一般集団に検査をおこなった際にどの程度の性能を確保出来るかは、未知数である(臨床研究は現在進行中)。
検診以外の利用目的としては、がん患者の再発モニタリング等の用途も考えられるので(というか、研究プロジェクトも謳っている)、現時点では、むしろそちらの研究に注力したほうが良いのではないか。
検診の効果研究は難しい。そもそも効果が保証出来ないし、害(検査侵襲、ラベリング効果や余剰発見)の発生する知見があるので、臨床研究としておこなわなければならない(だから効果が得られないかも知れない事の同意が必要)。また、がんは罹病期間が長く、疾患特異的死亡割合などで効果を測らないと、評価の正確さを損なうので、十数年からのフォローアップ期間が必要。当然、コスト甚大になる。もし高性能検査を検診に応用したいなら、これらをクリアする必要がある。
このように、受ける側の観点も含めて考えるべき事は多く、問題は山積している、と思う。希望の光ではあるかも知れないが、それがどこまでを照らせるのか、現段階で、あまり大げさに吹聴すべきでは無い。