《誤用の理由》のこじつけ

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1000円弱を《1000円以上》であると認識して使用する事を誤用と表現し、その理由についてあれこれ言う記事です。

例解学習国語辞典」などの編集委員で、NPO法人こども・ことば研究所理事長深谷圭助氏は、記号設置なる概念を用い、

 深谷氏は、記号接地がうまくいっていない人が「1000円弱」の意味を理解しようとする場合、「弱」「強」という言葉の感触から、自分の感性で「プラスアルファの中で、程度の強弱の違いを表す言葉」のように独自に解釈するのではないかと推察する。

などと主張しています。しかしこんなのはすぐに、若い世代にそういう傾向がある、と言えるものではありません。それほど強く関心を持たない語については、それまでに得た知識から類推して使う、なんて事は、世代関係無くある話です。深谷氏は更に、言語感覚や言語センス、察しの良し悪しの問題もあるとする。とか、

こうした背景には、インターネットや人工知能(AI)の発達があると指摘する。

などと主張しています。その根拠は一切示されていません。少なくとも、それらの発展や普及と、若い世代の言語習得と使いかたとに関連を見出す必要があるのに、です。そして、

言葉に対して「どういう意味なのだろう」と思わずに、勝手に解釈した意味で定着するのは言葉を類推する力が弱くなっている証だという。

このように、若者の傾向について、かなり踏み込んだ事を言っています。けれど、勝手に解釈した意味で定着するのが類推する力が弱くなっている事の反映とするのは無理があるでしょう。そもそも、日常的な用法から類推したから、いわゆる辞書的用法から外れて解釈した訳です。これは単に、習慣として

辞書的意味を重視する

かどうかの問題であって、それは類推の能力とは違う話です。だいたい、言葉を類推する力とは、かなり複雑な構成概念であり、それを上手く測るのには工夫が要る事でしょう。ってのは複雑な概念を類推的に表現するのに便利な語です。免疫力、とかね。

あるカテゴリーについて、それに何らかの量が付随していて、その大きさを示すのに、弱・中・強と分割して表現するのは、身近にあるものです。たとえば、ガスコンロの火の強さを、弱火・中火・強火と表します。ついている火の状態を分類する量的表現として用いている訳です。他にも扇風機の風量、炭酸飲料の炭酸の量*1、色々あります。これを踏まえれば、1000円台をカテゴリーとして、それを分割して1000円ちょっと1000円弱と表現するのは、全くおかしなものではありません。かく言う私も、1000円弱がどっちの意味か、というのを辞書的意味に即して憶えたのは、おそらく20代以降です。ちなみに、私は若くありません。

Xを検索してみると、震度がこの解釈に影響しているのではないか、との意見がありました。確かに可能性はあります。ただ、どっちが先か、と考えると、震度の憶えかたが金額の表現に影響している、といった順序関係があるとは限らないかも知れません。

震度はややこしい概念です。改めて調べてみましたが、旧の震度階級で用いられた震度5と震度6が、震度5弱・震度5強、震度6弱震度6強と分割された事が解ります。その事情に即して考えれば、まさに同一カテゴリー(階級)が弱と強に分割されたという見かたが出来ます。弱火・強火などの用法からの類推で自然に受け容れられるものです。ただ、ややこしいのは、これは計測震度なる、測定された連続量を分類した指標でもあり、それの対応を考えれば、震度5弱計測震度5未満を指す語となり、金額を示すの意味に対応します。意味が多重である訳です。震度7が計測震度6.5以上を指す所などにも着目すると、なかなか面白いでしょう。

私も含め、

  • 1000円弱を1000円未満と解釈し
  • 震度5弱を震度5カテゴリーの分割(震度5より上)だと解釈する

不整合を感じずにこう同時に認識している(た)人は、結構あるでしょう。試しに身近の人に訊いてみたら、全くそう認識していました。同じなる表現を、異なる意味を指すものとして自然に受け容れている訳です。そういう場合は、後者の表現を前者的に用いる事に違和感が生じたりします。語の解釈や用法とは、実に複雑ですね。

参考資料:

www.data.jma.go.jp

www1.odn.ne.jp ※httpのページ

【PDF】開発土木研究所月報 構造研究室『震度について』

世代により習慣や認知のありかたが異なれば、言語の扱いかたも異なってくる。そういう事はあり得るでしょう。それについて研究をおこなうのは意義がありますし、何らかの傾向なりが見出されば知見として重要となるでしょう。しかるに、いかにもキャッチーな専門用語を援用し、注意深い検討もおこなわずに、世代の習慣や科学技術の産が、着目している世代の言語習得や用法に影響を与える原因だと主張するのは頂けません。それこそ、現在の科学における知見はどのようになっているのかをきちんと参照し、実証的に確認するプロセスをおこなわずに、心理や社会について独自に解釈をおこなったものに過ぎないではありませんか。

*1:炭酸だと微炭酸のほうがポピュラーか