根拠

自尊心の拠り所としての疑似科学 - バッタもん日記
※強調は引用者による

                          • -

2013年3月5日追記

よくよく読んだら(読まなくても)ただのヨタ話だったので、記事は一時凍結します。
数日中には加筆修正の上、再度掲載します。加筆は文献からの引用が中心になると思います。

との事です。本エントリーは、凍結前のリンク先エントリーを参照して書いたものですので、ご承知の上で続きをお読み下さい。
追記終了

                          • -

私の趣味は疑似科学信者ウォッチングです。大層な経験を積んでいるわけでは全くありませんし、そもそも心理学や精神医学の素養などありません。したがい、単なる憶測や予断に過ぎません。それでも、疑似科学信者には様々な共通する傾向があるように思えます。例によって何の根拠もありませんが。以下に列挙します。

このように、関連領域(ここでは心理学等)の知識を持ちあわせておらず、憶測混じり、根拠無し、という事を表明しているにも拘わらず対象の集合の一般的な傾向を論ずるのは、一体どのような了見なのだろう、と思わざるを得ません。
ここでは、ある思想なり理論なりを信ずる人の心の動きを論じている訳ですね。どのような認知や信念があってそうなったか、そうなるのか、と。
それが、ある個人の主張を精査して周到に分析がなされているのなら事例の報告として興味深い題材となる場合もあるでしょうが、大した根拠も無しに(何しろご自分でそう書いている)共通する傾向を云々する事の説得力は、果たして何によって確保されるのでしょうか。
と言うか、根拠が無い、憶測である、と表明している時点で、「そうで無い人もいるではないか」という反論をまず防いでいる(防ごうとしている)ではないですか。「そうかも知れない。しかし自分はこう思った。」と言えば良い。何しろ主観なのだから。
こういった、根拠無しの意見を見て得られる肯定的な反応は、「そうだよね」という共感でしょう。色々の特徴を列挙しているから、読者は自身の経験に照らして、「特徴が一致した例」を探して納得する。あったあった、と。
それで、そういった「共感の塊」を生み出す以上のどのような意義があるのですか。どんな知見に結びつくのでしょう。

ここに縷々述べたことは全て私の主観に過ぎないので、読者の方々の批判を期待します。罵倒でも大いに結構です。

「憶測」「予断」「何の根拠もありません」「主観に過ぎない」という言葉が散りばめられている文章について、「どのような指摘」が「批判として成立する」とお考えなのですか?
たとえば……。
「自分の趣味は科学信者ウォッチングである。その信者達を見ていると、一定の傾向があるように思う。それは次のようなものである。」
と言って、

  • 科学者は既存の理論に固執している。
  • 科学者は持説を批判されると感情的に反発する。
  • 科学者は科学を理解しない者を見下す。
  • 科学者は実験をしないと何も解らないと考えている。
  • 科学者は理論を重視して現象の観察を蔑ろにする。
  • 科学者は科学を絶対視して他の思想等を排除しようとする。
  • 科学者は世界を解明し尽くしたと自惚れている。

みたいに色々な特徴が並べられ、
「ただし、これはあくまで憶測であって、根拠は無い。書いてある事は主観に基づくものだが、批判があれば甘受する。」
と結ぶような文章があった時に、それを真剣に検討しようとするでしょうか。根拠が提示してあれば、「その示された根拠は適切では無い」「それは妥当そうに思う」と各部について評価する事も出来るでしょうが、初めからそんなものは無いと宣言しているのでは、建設的な「批判」などやりようが無いではありませんか。
従って、私がこの意見に批判(疑問と言った方が良い)を投げかけるとするならば、
憶測であり主観に過ぎないと言いつつ一般的な傾向を論ずるものに対し、「まず根拠を示すべき」という以外のあり得る妥当な「批判」を示して欲しい。
となるでしょう。
それからもう一つ。

したがい、単なる憶測や予断に過ぎません。それでも疑似科学信者には様々な共通する傾向があるように思えます。

このように主張なさっています。この後には、根拠は無いが、と続きますね。で、根拠は無い、憶測や予断に過ぎない、それでも傾向があると思う、と言うのは、
根拠は無いが、それでもホメオパシーレメディは多くの場合に効くと思う、と言うのと、どのような質的な差異があるでしょうか。これは、言っている事は同じだろう、と非難しているのでは無く、「違うとすればどこが違うのか」という問いです。

                          • -

locust013さんはご自分で、

疑似科学は恐ろしい魅力を有しているので、私もいつ何時引っ掛かるかわかったものではありませんが。

と書いておられます。文脈を考慮して言葉遣いを拝借すれば*1、これは、locust013さんが疑似科学信者になる事があり得るという意味です。果たして、そうなった時にlocust013さんは、ご自身が列挙なさった疑似科学信者には様々な共通する傾向をいくつ備えているのでしょうか。

*1:私はこういう文脈で「信者」という言葉を使わない