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端折り過ぎ

科学とニセ科学のあいだにはっきりした線を引くには「科学とは何か」を決めなくてはならない。それは科学哲学の大問題なので、簡単に答が出るはずがない。ニセ科学問題ではそんなふうに科学哲学の問題になるようなボーダーラインに敢えて切り込む必要はなくて、誰がどう見てもニセ科学な題材を考える
http://twitter.com/kikumaco/status/567490110417940480

強調は私です。
えっと、誰がどう見てもニセ科学であるのなら、そういうものに騙される人はいないはずじゃあないですか。だって、誰が見ても解るのだから。文字通りに読めばそうでしょう。
多分、科学の基礎部分が解っていれば容易に判別出来るとか、説明されれば比較的簡単に了解されるというような意味合いの事を仰りたいのでしょうけれど、だとすると、端折り過ぎですよ。
前からそうだと思っているのですが、菊池さんは、キャッチーに、twitter上の短文で主張を表現しようとしていますね。だから色々省略されてしまう。もうちょっと具体的に説明した方が良いのに、と思う事が多々。
もちろん、世の中には、何をどう説明しても聞き入れないような論外な人もいて、そういう人の事まで考えて表現すべき、とは全く思いませんが、今の書きぶりは、解っている人・好意的な人による文脈の把握を期待し過ぎているように思えます。要するに、内側向きな表現。
もしも、解っている人が解ってくれれば良いというような認識があるのだとすれば、それは一種の開き直りですから、改めるべきだと私は思います。何も言わない方がマシなのですし。
菊池さんは、訳の解らない人から意味の解らない事を言われたりもし、それについては大変だろうな、とは思いますが、だからといって、乱暴気味の表現を振るって良いという道理は無いのであって。
たとえば、
科学と非科学のあいだにはっきりと線を引くには、まず科学とは何かを考えなくてはならず、そこは専門の科学哲学上の難問。ニセ科学の議論では敢えてその境界に近い部分を対象とせず、科学として確立された所から判断出来るものを扱う。
というような表現も出来るでしょうか。