伊勢田哲治氏による、福島における甲状腺がん検診が《ヘルシンキ宣言》に照らして《人権侵害》にあたるかの検討。および、それの見られかた
伊勢田哲治氏による菊地誠氏への批判
科学哲学や倫理などを専門とする哲学者である伊勢田哲治氏(伊勢田 哲治 - 研究者 - researchmap)が、物理学者の菊池誠氏による主張、
福島における甲状腺がん検診は、ヘルシンキ宣言に照らして人権侵害である
を、実際にヘルシンキ宣言を引いて検討しておられます。
人権侵害とは、日常的にも用いられる表現ではありますが、いまのような議論においては、より人文・社会科学的な知も踏まえてきちんと考えるべきものだと思います。また、ヘルシンキ宣言が、具体的にどのような所まで許容し、または禁止しているか、も精細に検討する必要があるでしょう。その意味で、倫理も専門とする伊勢田氏による考察は、興味深いものだと思います。菊池氏は、採り上げられている意見を主張の柱としているのだから、伊勢田氏の指摘に、明確に反論出来るはずです。
伊勢田氏による批判は、それ自体をよく検討すべきものだと考えるとして、ここから採り上げるのは、伊勢田氏の記事に対する反応です。
伊勢田氏の記事への反応
過剰診断となるスクリーニングはヘルシンキ宣言に違反するか?https://t.co/H0X3z9PhY0
— 地味影参上 (@jimikage4) 2019年8月31日
↑キクマコさんが使った「人権侵害」の言葉に視野狭窄な
「甲状腺検査がヘルシンキ宣言に違反するか否か、人権侵害と言えるか否かの検証」
としかわたしには読めません。
↑キクマコさんが使った「人権侵害」の言葉に視野狭窄な 「甲状腺検査がヘルシンキ宣言に違反するか否か、人権侵害と言えるか否かの検証」 としかわたしには読めません。
↑伊勢田氏の指摘を、視野狭窄
と表現し、具体的な検討等はおこなっていない。
twitter.com過剰診断となるスクリーニングはヘルシンキ宣言違反となるか、についてきくまこさんの記事と照会しながら検討したブログを拝見しました。どう言えばいいんでしょう。いろんなところで???となっております。
— ナオミ (@nao73714) 2019年8月31日
過剰診断となるスクリーニングはヘルシンキ宣言違反となるか、についてきくまこさんの記事と照会しながら検討したブログを拝見しました。どう言えばいいんでしょう。いろんなところで???となっております。
越智先生の記事でも思ったけど、やはり健康見守りのための検査のデータの二次利用、観察研究、介入なし、と捉えられてしまうんですかね。すでにあるデータを利用する形の後ろ向き解析にはなっているけど、その観察手法に問題があることがわかってきていて、それが現在進行形。本当に問題なし?
— ナオミ (@nao73714) 2019年8月31日
越智先生の記事でも思ったけど、やはり健康見守りのための検査のデータの二次利用、観察研究、介入なし、と捉えられてしまうんですかね。すでにあるデータを利用する形の後ろ向き解析にはなっているけど、その観察手法に問題があることがわかってきていて、それが現在進行形。本当に問題なし?
↑伊勢田氏は、菊池氏の主張はヘルシンキ宣言なる文書に照らして妥当かと具体的な検討を加えているのであって、
をおこなっているものでは無い。別な話なので、本当に問題なし?
などという疑問自体が的を外している(伊勢田氏は、検診が問題無い、などとは言っていない)。
人権侵害、ヘルシンキ宣言違反という用語の使い方や断定的な部分を修正すれば、菊池さんの主張はだいたい納得のいくものだと思います。 https://t.co/mAzF5IPji9
— shun (@shun148) 2019年8月30日
↑こちらの意見は、幾らか建設的。しかし、
人権侵害、ヘルシンキ宣言違反という用語の使い方や断定的な部分を修正すれば、
と書いているが、そもそも、断定的な意見こそが菊池氏の主張のコアの部分なのだから、そこを修正するとなると、主張全体を変更せざるを得ない。菊池氏や高野氏は、ヘルシンキ宣言に拠って人権侵害であると(検診に関わる諸々を)批判しているのであるから(参照⇒◆Welcome Page ◆福島の甲状腺がんの過剰診断―なぜ発生し,なぜ拡大したか―)。
キクマコ先生の過剰診断に関する記事に対して、伊勢田先生が批判するブログ記事を公開したが、さっそく過剰診断の理解がアレな人達に利用され始めている。
— 園芸家 (@engeikana) 2019年9月1日
↑過剰診断の理解がアレな人達に利用
などと言っている。利用
も何も、伊勢田氏の指摘が適切であるのならば(そうで無いのなら、具体的に反論をおこなえばよろしい)、どんな立場であれ、それを言及したり紹介したりする事に、どうこう言う筋合いでは無い。着目している人たちが、余剰発見含めた検診の論理を解っていないのであれば、それを具体的に検討・批判すれば良いのであって、その人たちが伊勢田氏の論に言及しているのを利用などとただ言うのは、物事をこちらかあちらかで考えているのを示している。
伊勢田氏の指摘が妥当であるのなら(繰り返すが、妥当で無ければ、具体的に反論をおこなえばよろしい)、
確かに菊池氏の主張は適切で無い所がある。そこを批判されるのはしかたが無い
と何故ならないのか。
菊池氏に修正を促し、主張を精密にする事を援ける
方向に何故行かないのか。
確り評価する事
先にも書きましたが、あちらかこちらかとか、あらかじめ持っている主張や信念に合わせるような読みしか出来ない人がいる、という事です。
もし菊池氏の主張が妥当だと思うのなら、それこそ、ヘルシンキ宣言を詳細に引いて検討し、論を組み立てれば良い。もし伊勢田氏の論考に甘い所があるのであれば、そこを採り上げ、具体的に検討・批判をおこなえば良い。そういう話でしょう。それもせずに、利用されるとか、そんな事を考えるからいけないのです。
実際、私は伊勢田氏の記事の、検診の疫学に関わる部分の問題のある箇所に気付き、直接コメント欄で指摘してきました。今の所は修正されていませんが2019年9月2日追記:伊勢田さんの記事に、修正が入れられました、私が指摘した所は、
検討対象が主張している事を捉え損なっている
という意味でクリティカルなので、早く直されるべきだと思っています。伊勢田氏が仰るように、ヘルシンキ宣言を参照しての検討という意味では本筋でなかった
(伊勢田氏の記事コメント欄を参照)のは確かですが、別筋での議論の基盤および、批判対象解釈の誤りに関する部分だからです。
前節で紹介した人びとは、こういった読み込みも碌にしていない訳です。もう少し、きちんと検討なさってはいかがですか。