統合医療とRCT

id:NATROMさん
一応、専門家による専門家、という表現はあたらないかも知れないので訂正します。論文的なものがあったので、お知らせします。
統合医療の現状と課題(PDF)
RCTとダブルブラインドテストの説明があって、その後に、統合医療の評価にRCTが向かない理由らしきものが書かれています。引用します。※改行は適宜修正

ランダム化と二重盲検によって主観性の排除と客観性の保持を担保し、プラセボによって真に薬効を持つ物質を同定するというのが RCT の基本的なデザインである。
上でみたように、RCT を支える主たる二つの思想は、主観の排除と特定の効果を持つ物質の確定である。しかしながら、CAM 的治療の評価においてはこれら二つの考えはあまり役に立たない。というのも、一般にこれらの治療においては完全に主観を排除することは出来ないしまた特定の効果を持つとする治療技術を抽出することも難しいからである。
これらホリスティックな視点を持つ療法は一般に文脈依存型でそれを構成する各要素に分解することは不可能なことが多いのである。一般に、CAM 的治療においては、治療と診断は同じ一つのものであり、それらを明瞭に弁別することは難しいと思われる。また、評価方法というものは現場の都合によって決められるものではなくて、背景にある哲学やイデオロギーによって決せられるものである。それゆえ、評価方法の研究はいずれ哲学的な問いへと収束してゆくことにならざるをえない。
(2)RCT の背後にある二元論と還元主義
臨床試験の場から厳密に主観を排除し、特定の効能を持つ物質を同定することにより、より正しい評価に至ることが出来るとする思想の背後には二元論的な世界観と還元主義的なものの考え方が横たわっている。そこにおいては病気の本体はある特定の部位、すなわち身体におけるある器官、ある特定の組織の器質的な壊変であるとされる。あるいは、ある物質の過剰/不足が病理的な本態であるとされる。つまり、病気は人体を離れ、それ自身観察されうる「モノ」として捉えられることになる。その「モノ」としての病を癒すものはやはりまた物理的な実体である「モノ」(この場合は薬)であり、病を癒すとはすなわちある組織の壊変を修復することでありまた不足している/過剰な物質を加える/取り除くことに他ならない。
しかしながら、一般的な CAM 的な治療はこのような二元論的、還元主義的な考え方からはフリーなものが多い。そこでは、病と患者を全体として捉え、心身一如のもとホリスティックな施術を行うというような考え方の方がより支配的である。CAM 的療法は一般に文脈依存型であり、術者と受け手、病と人との間のダイナミックな間主観的なやり取りが常に意識され、その間主観的なやり取りそのものをコントロールしようとするものさえあるのが CAM 的療法のひとつの大きな特徴であると言える。そういった療法を今見たような分析的で実証主義的な RCT といった評価法を用いて判断するのは、いささか難しいのではなかろうかとも思えるのだ。実際、これら CAM 的療法に RCT のようなものを無理矢理あてはめてその療法の持つ医療的効果を測ろうとすると、本来分割してはいけないものを強いて各構成要素に分割してしまい、それら療法において本質的に重要な有機的連関を外部に押しやって、その結果上手く効果を評価しえない、ということになってしまいがちである。CAM 的療法の臨床効果を RCT で定量するというのは、近代科学が成立してゆくその過程で科学が自身の埒外に放擲してしまったものをその枠組みの中で再度捉えなおして分析しようとする、そんな試みであるとも言えるだろう。

このようです。これが統合医療に関わる人の典型的な見方なのかは判りませんが、専門的に論ずる人の一例ではあります。
ちなみにこれは、私がここで想定した論そのものでした↓

ublftbo 「どう」難しいんだろか。まさか、ホリスティックだからとか構造主義的だからとか言わないよね。
はてなブックマーク - 覚え書きみたいな - 2012年4月27日

というかまあ、この種の論は何回か見ていたので、もしかしたらそんな事言わないよね? という意味で書いた訳です。
この後には、鍼治療の効果研究におけるRCTの活用の仕方が紹介され、そして批判されている訳ですが、これは真面目に鍼治療を研究している人にとってはガッカリな言い方では無いでしょうか。そういう人々はむしろ反対方向の志向で、現状のシングルブラインドのRCTでは不充分であるからダブルブラインドの鍼を発明して、より細かく条件を統制してRCTを行おうとしている、といった姿勢です。それは、ここで紹介した論文にあるような見方からすれば、「要素還元主義の極致」とでもなるのでしょうか。

この、RCTは統合医療の評価に向かない、という論をいくつか見ましたが、個人差があるから、とか、状況に依存するから、みたいな観点が結構共通していました。私はあまり納得が行きません。と言うのは、個人差が大きく、RCTのような方法で集団を対象にして行う研究は適さないというのであれば、ほとんど「誰に効くか解らない」という宣言のようなものなのではないか、と思うからです。少なくとも、療法として広く普及させるのなら、安定して多くの人に効果がある事が示されるのは必要なのでは? シングルケースの研究も重要だ、という意見もあり、それはそうですが、同時に集団を対象とする研究も重要でしょう。臨床心理学なんかもそうなのではありませんか?

厳密に条件を統制した実験研究で解った事は、必ずしも実際の日常的な状況においては当てはまらない、というような意見も一理はあると思います。心理学などで生態学的妥当性の議論もあります。かと言って、上記引用文のごとき論でもって、統合医療とRCTの相性の悪さを指摘するというのは、どうなんでしょうか(私は相補的なものだと思っています)。

そもそも、RCTが要素還元主義的な方法である、的な指摘もよく解らないものがあります。と言うか、療法として確立されたものであると言うのならば、どういう条件をどのように操作すれば……という所は はっきりしていないとおかしいですよね?

RCTは、ある要因を変化させる事がどのような効果をもたらすか、というのを、内部のメカニズムはともかく入力と出力の関係を評価して見出すという方法だと思いますが(無作為化は、着目した因子以外の要因の影響を誤差として確率的に評価出来るようにするために行う)、そこでは、「<ここの所>に意味はあるのか」と見ていきますよね。鍼なら打つ位置や深さであったり、ホメオパシーならレメディという物体。で、統合医療と言っても、「この方法や道具を使う事に意味がある」と考えて行うはずです。そうで無ければ、他の療法との区別が出来ませんし、療法としての体系を構築する事も出来ません。更に、伝承・教育も出来ません。だから、その「意味があると考える部分」を変化させて効果の出方の違いを見る、という方法を否定する論理がよく解らないのです。

ところで、

ランダム化と二重盲検によって主観性の排除と客観性の保持を担保し、プラセボによって真に薬効を持つ物質を同定するというのが RCT の基本的なデザインである。

二重盲検はRCTの基本的なデザインである、と言って良いのでしょうか。可能なら望ましい手法、というくらいじゃないのかな。そもそもRCTの重要な所は「無作為化(確率化)」と対照を取る事ですし(文字通り)。

ここから追記。
せっかくなので、参考資料を置いておきます。

 このような心理実験では,被験者が実験室に到着すると,実験者は被験者に挨拶をし,実験課題を説明し,実際に実験課題を実施し,最後にお礼を言って実験室から送り出すことになる。この実験に参加する被験者にとっても,そして実験者にとっても,実験室という空間,実験者や被験者という立場の人間と向き合うという経験,実施される実験課題の内容,これらすべてが人工的に作り出された状況の中での非日常的な体験である。このような人工的な非日常性の中で生み出された心理学的知見は,人びとの自然な日常世界を理解するための約に立つのだろうか。
 この質問は心理学的研究が生態学的妥当性を備えているかどうかということである。生態学的妥当性は,心理学の理論や実験が人びとの日常的な状況における心理事象を扱っているときに高いといわれる。心理実験の生態学的妥当性を高めるために,実験室を離れて人びとの日常生活が営まれている現場(フィールド)で実験を行ったり,実験室の中でも実験設定をできるだけ日常的な状況に近づけたりすることはできるだろう。心理実験が高い生態学的妥当性を備えているにこしたことはないが,しかし,それは必要条件というわけではない。なぜなら,元来,心理実験は,冒頭で述べたように,日常的な自然の状況では見えにくい心理事象を取り出して非日常的な実験室の中で人工的に再現するものだからである。日常性や自然の導入がその心理事象を見えにくくしてしまうようであれば,わざわざ心理実験を行う必要はないだろう。それだけでなくもっと積極的な理由は,非日常性や人口性を導入することによってはじめて,それらと比較することによって日常性や自然が理解できることも多いからである。実験状況の非日常性人工性は,その実験が目標としている心理事象を適切に捉えてさえいれば,それが非日常的で人工的であるというだけで致命的な問題になることはない。それが致命的な問題になるのは,その非日常的な人工性が,その実験が目標とした心理現象や心理過程に影響を及ぼし,それらを歪めてしまうときである。そのような人工性について,以下では実験状況の問題,次の2つの節では被験者の問題と実験者の問題をそれぞれ解説する。
南風原朝和・市川伸一・下山晴彦[編著]『心理学研究法('03)』P152・153 ※引用部の著者は岡 隆

私はこの辺りの議論は把握していますので、そこはよろしく。この引用した部分は重要ですが、これは科学(心理学)の研究法について書かれた本の一節であり、当然、量的研究法の様々な実験計画が紹介されていますし、ホリスティックだなんだと言ってそれらの方法を蔑ろにするような事は書かれていません。一事例研究とメタ分析が同じ所で紹介されていたりもします。