「いじめじゃなく犯罪」ではない

違う。
それはもう、いじめなどでは無く犯罪だろう、というのは違う。
いじめとは、何らかの行為を受けた側が肉体的精神的苦痛を感ずるものを言うのだから、それが含み得る現象の範囲は広い。従って、いじめという現象や行為に犯罪行為が含まれる場合がある、という事だ。
もし、いじめ問題が取り沙汰されていて、そこに犯罪行為と看做されるものがあるとすれば、その行為は、「いじめかつ犯罪」と言うべきものだ。あるいは、対象が行なっているいじめは明らかに犯罪「でもある」、とするべきだろう。

いじめならば犯罪では無い、という事は無い。
犯罪と明確には言えないようないじめでも、深く深く、人の身体や心は抉られ傷つけられる。それは肉体的な暴力であったり、容姿の事を言われるものであったりする。
私は、その行為は犯罪だから、いじめという軽い言葉で言い逃れしたり誤魔化したりするな、といった主張自体に違和感を覚える。私にとって、「いじめ」という言葉で想起される概念、身体的・心理的に惹起される記憶がそもそもおぞましく醜いものだからだ。明らかな犯罪行為で無くとも、人に死を決意させたりする事は可能なのだ。
私には、それはいじめでは無い……と言う人自身が、そもそも「いじめ」という言葉を軽く見ているように思えてならない。「いじめを通り越して」という言葉も同じく。