有害さ

血液型でもそうだが,迷信とか「ニセ科学」とかを「論理の構造」とか「科学的正誤」とか「信じる仕組み」とかから批判するのは筋が悪い。あくまでも「結果が有害であること」から批判すべきだと思うし,有害でないなら批判する必要はあまりない。
http://twitter.com/ynabe39/status/517139219475492864

一見尤もらしく思えるかも知れませんが、この種の主張の何が問題かと言うと、

  • 誰がどのような基準でもってどのように有害さを評価するか
  • 有害さが評価出来るとして、有害である事を批判の優先すべき条件と看做すと、有害である事が判るまで批判を待たなくてはならない事になり、予防的に批判を展開出来ない

という点です。どうやって、どのような基準で有害である事を確かめるかというのと、何らかの実害が出るまでわざわざ放っておくのか、という所。「結果が有害であること」から批判すべきなのであれば、批判をするのは有害であるという結果が判明してからでなくてはならない、となります。