歴史修正主義関連と、穴を塞ぐ事
これまで私は、歴史修正主義というものに関して一切触れてこなかったのですが、先日、少しばかり、関連の議論において、はてなブックマークで発言をおこないました。
私が歴史修正主義などについて何も言ってこなかったのは、単純に、関心も知識も無いからだったのですが、先日の議論で、歴史修正主義などいくつかの分野について、ニセ科学を批判する者はそれの批判もおこなっているのか、という意見があったので、口を出したのでした。
また、単に、批判しているのか、と言っているだけで無く、恰も意図的に批判していないのではと指摘しているようにも見えたのでした。これは、批判しない事の動機に関わるものですから、決めつけられると困る所です。
良い機会なのか何なのかよく解りませんが、ここで改めて書いておきます。
私は、歴史修正主義というものに関して、現状では関心も知識も持っていません。将来どうかは知りませんけれども、少なくとも今は、興味がありません。従って、関連する知識を得た事もありません。
私は今後、それらの議論に一切言及も参加もする事はありませんし、ニセ科学を批判する者は歴史修正主義についても批判や言及をおこなうべきだという意見がもしあるのだとすれば(無いのなら良いですが)、ニセ科学を批判する者という集合に属する一個人として、その意見は完全に拒絶します。自身の持つ有限のリソースの使い道について、とやかく言われる筋合いはありませんので。
何かニセ科学的言説を見つけた時、これは批判していないの?とか、これも批判すれば?などと言うのは、建設的ではありません。
それらを見つけるというのは、いわば穴を発見したようなものでしょうが、私に出来るのはせいぜい、あそこに穴らしきものがあるので手の空いている人が塞いでくれると助かる、と言ったり、自分が塞げそうな小さな穴を塞ぐ、くらいです。
あそこに穴があるぞ、塞げよ、塞がないのか、とか、それ塞いでるのに何でこれは塞がないのか、みたいな事は、私には言えません。別に、穴を塞ぐ限定された集団とか穴塞ぎ職人みたいなものがある訳でも無いのですから、立場によらず、気付いた人が皆で助け合って穴を塞いで行こうというので良いと思います。