《リスク》《根拠》の解釈と《メッセージ》

mainichi.jp

↑興味深い記事です。

ここで重要なのは以下の事項。

  • 最新の論文等を参照し、科学の観点から、健康な若年成人においてマスクの着用が熱中症のリスクを上げる根拠が見いだせなかった
  • それ以外の層についてはデータ自体に乏しい
  • マスクを外すのを促すのは、マスクをしない事が熱中症リスクを下げるかのようなメッセージ発信になりかねないので気をつける

当該学会が取りまとめた手引きは↓

www.jaam.jp

手引きのクリニカルクエスチョンQ-2を参照すると、

そこで、国際医学情報センターの協力を得て、マスク着用と熱中症の関係を直接検討した文献を追加で収集することとした。「熱中症」と「マスク」を含む検索式でMEDLINEより34件、Cochraneより4件、医中誌より8件を追加の一次選択とした。「マスクを着用すると熱中症の発症が多くなるか?」について、少なくともタスクメンバー3名が抄録を検討し、1名でも必要と判断した場合は追加の二次選択とすることとしたが、実際に必要と判断された文献はなかった。

↑このようです。つまり、PubMedやCochrane、日本では医中誌を検索して関連の論文を探し検討するという、医学研究上の標準的手法をもって評価しています。同時に深部体温やPVIを測った実験研究も参照されていますが、それは代理指標を用いた傍証と捉えられるものです。そして、現段階における評価は、

マスク着用が熱中症リスクを上げる明確な証拠は無い

というもの。しかしここで注意すべきなのは、これは

マスク着用が熱中症リスクを上げない証拠がある

のとは異なるという所です。よくデザインされた研究があって、それによって、マスクを装着してもリスクが高くなっていないのが示されれば、それはマスクが上げない事の証拠と言えますが、そういう研究に乏しく、実験研究があっても代理指標を用いたものに限られていたりすれば、それはリスクを上げる証拠は無いとしか言えない訳です。

手引きは、現状の証拠を検討した後で、次のように書いています。

マスク着用にかかわらず暑熱環境における運動が深部体温に及ぼす影響は大きい。マ スクを着用しなかったからといっても、暑熱環境においては熱中症のリスクが十分に軽減されるわけではないと解釈して、特に暑熱環境において運動をする場合や高齢者や小児、肺疾患がある傷病者は、エアコンや水分補給などの熱中症対策は継続するべきである。

つまり、マスクしようがしまいが、とても暑い所で運動をしたら深部体温に大きく影響するから、

マスクをしない事が熱中症リスクを下げる

かのような判断をすべきで無く、結局は既知の熱中症対策を怠ってはならない、としています。これらを踏まえて、記事中での学会メンバーの談に繋がっているのでしょう↓

学会の横堀将司・日本医大教授は「『熱中症予防のためにマスクを外しなさい』というメッセージは、国民をミスリードする可能性がある。場面に応じて着用を判断し、(感染対策との)両立を考えてほしい」とした。

この記事についた、はてなブックマークに張ります。

b.hatena.ne.jp

手厳しい意見がたくさんありますが、ちゃんと理解していないものも散見されます。たとえば、マスク着けてその辺全力疾走してみろよ。とか、炎天下でのマスク着用マラソン大会を自分たちでやるべき。といった意見は論外です。そもそも手引きでは、マスクしようがしまいが暑い所での運動は熱中症リスクが高いと言っていて注意喚起しているのですから、的外れも良い所です。

また、いや、それなら学会らしく、マスクを付けたまま運動した際の呼吸とか酸素取込み状況とかを実験して論文で堂々と「根拠なし」と言えよ。との意見も的を外しています。先述のように、手引きが検討したのは、上げる根拠が無いのであって、上げない根拠があるではありません。既存の研究を総合的に見て、現状からどう言えるのか、を主張しているまでです。それに対して実験せよと言うのは全く当たりません。文献を検索して総合的に検討するのは、メタ解析や系統的総説等で用いられる標準的方法です。

このような意見が出る事には、リスク根拠などの語をどういう意味で解釈するか、が関係しているかも知れません。

まずリスクとは、起こる度合い(確率)の事です。いま考えているのは、マスクが熱中症リスクを上げるかどうかなので、暑い所でマスクをする場合としない場合とで熱中症になる確率が変わるかを考えます。

根拠は先程から言っているように、現状の研究からどこまで言えるかを考えるものです。そもそも研究に乏しく、上げる強い証拠も下げる強い証拠も無ければ、リスクを上げる根拠は無いと言えます。上げる根拠が無いのは上げない根拠があるのとは違います。そこを押さえておかないと、話は噛み合いません。

ここまでは、科学あるいは医学におけるリスクや根拠をどう解釈するか、を見てきましたが、学会メンバー横堀氏の

熱中症予防のためにマスクを外しなさい』というメッセージは、国民をミスリードする可能性がある。場面に応じて着用を判断し、(感染対策との)両立を考えてほしい

↑この言いかたにも問題があります(ただし、記事にするにあたって要約等がおこなわれた可能性もあります)。

横堀氏の意見は、

マスクを外す事を促すのが熱中症リスクを下げるというメッセージになる可能性がある

のを危惧するものです。つまり、手引きではマスクが熱中症リスクを上げる根拠は無いと結論している事から、

国民が、マスクを外せば熱中症リスクを下げると判断する

のを懸念しています。しかしこれは、ちょっと変な話です。と言うのは、

そもそも、マスクを着けたらリスクが上がるかを検討する時その基準となるのは、マスクをしない場合です。だから、マスクをしないで良いよと言われた時に、

マスクをしなければ、より熱中症リスクを下げる

と解釈したり、

マスクを外せば、他の熱中症対策を疎かにして良い

などとすぐに結びつけるようなものでは無いからです。つまり、読み手に対して、いや、そんな判断しないよと思わせる主張になっている。要するに、専門家が見くびって大上段からものを言っているように受け取られる。もちろん、横堀氏が懸念するように解釈してしまう人も中にはいるのかも知れませんが、単に可能性に基づいて社会全体の反応を危惧するのは、それはそれで乱暴な意見であると言えます。あるいは、心理学的や社会学的な観点からは、メッセージをどのように受け取るかという事自体が研究対象となり得ます。ですから、横堀氏の意見自体が、それを懸念する根拠はあるのかと問われてもしかたの無いものです。なぜあなたが国民の意見総体について物が言えるのか、となるのでしょう。

この問題は、

  • リスクとはどのような概念か
  • 根拠とはどのように検討・評価されるか
  • 行動や現象について何かを発信した場合に社会全体がどのように受け止めるか

これらの観点から総合的に捉える必要があります。それぞれの用語の意味を共有し、丁寧に対話していかなければ、建設的な議論にはなりません。