がん検診の効果

がん検診による効果とは、がんによる死亡を回避する事のみを指しません。

いまはQOLの話はしていません。死亡の事に絞っています。それを前提にして、がん検診による効果は、

がんによる死亡を遅らせる

のを指します。これをもたらした場合、死亡する原因は問いません。つまり、がんで死亡しても死亡しなくても、がん検診が効果を発揮したのに変わりありません。

こういう意味で、

がんで死なないようにする

のは、あくまでがんで死ぬ時期が延びた結果として別の原因で死亡するようになるのであって、がんで死なない事に限定して効果とするものでは無い訳です。

がんで死なない、がん死を回避する、などの表現で指すのを、

その時点で起こるはずだった、がんによる死亡

と考える場合もあるでしょうが(つまり、がんで死ぬか否かは問わない)、検診の議論に明るく無い人に対しての表現としては、省略し過ぎのきらいがあります。表現の問題ではありますが、表現は大事です。

ちなみに、もっと突っ込んで考えると、がん検診による効果を

がんによる死亡を遅らせる

とするのは、実は充分ではありません。たとえば、

がんでは死ななかったが、他の原因よって同じ時点で死亡した

としたら、それは検診が効果を発揮したと言えますか? 検診なる介入が、実は別の死亡リスクを高めるのは論理的に否定できないので、ちゃんと考えるとこうなります。たとえば、検査や薬、手術等が別の疾患等の発生リスクを高め、結果的に死亡のリスクも高める、といった場合です。エンドポイントを総死亡にして評価すべき、等の意見はここに絡んできます。

死亡の原因が色々あって、それによる死亡の起こりやすさというのは競合(competing)しています。つまり、どれかが起きたら他のどれかは起きません。それは裏を返すと、ある死亡リスクを下げてそれによる生存期間が延びた場合、他の死亡リスクによる死亡を考える必要があるという事です。しかるに他因子死亡の種類は無数にあって、それぞれを詳しく検討出来ません。どのリスクが上がってどれが下がるかを、ことごとく調べられはしません。

そうすると、がん検診の効果とは、

あらゆる原因による死亡を遅らせる

と書いたほうが良いでしょうか? そうとも言い切れません。なぜなら、Aなる原因による死亡とBなる原因による死亡とCなる原因による死亡と……色々の原因による死亡を、全く同じ価値と考える訳にはいかないからです。死亡する時点が同じでも、AよりBで死んだほうがマシと価値づけられるかもしれません。死亡時点が同じだとしても、それにいたる経過は全然違いますからね。死ぬまでの長さが一緒でも、こっちで死ぬよりはまだ良い、との認知に至るのだとすれば、それも効果を発揮したと言えるかも知れないのです。

こうすると、死に至るまでのプロセスから目を逸らせません。結局の所、本質的にはQOLの問題が関わってくるという事ですね。医療介入の評価にDALYやQALYが重要になる理由です。最初にQOLの話はしていないと書きましたが、それは評価をシンプルにし、議論を解りやすくするためでもあります。

前立腺がん検診や乳がん検診ではQALYも評価されています。福島の検診でも、推進者はQALYを無検診より良く出来る、と主張していますが、その主張自体は重要なものとして考えるべきであって、乱暴に否定してはなりません。検診では死亡率減少効果が真のアウトカムだ、とただ言うのでは無く、検診においてQOL改善(疾病罹患や処置がQOLを下げるのを前提すれば、低下抑止)は確かに重要だが、それには全く証拠が足りないではないか、とちゃんと理詰めで指摘すべきなのです。十数年以上の病悩期間延伸によるQALY低下vs臨床期発見後のQALY低下 の比較など全く容易ならざるものなのであって、DPCPが相当に長い疾病に対し早く介入すれば良い、などと単純に言えるはずが無いというのを、ここに書いたような論理に基づいて共有しておく必要があります*1

詳しく考えていくと、言葉の表現の問題や、どのような指標で評価するかなど、色々と気をつけるべき所があるのが解ります。

*1:死亡時点は変わらない:集団的に見れば死亡率が変わらない という事を共有しているが故にこういう難しい議論になる