左巻健男さんへの質問:「愚民をつくる教育、愚民になっている教員」という意見の根拠について

教育界のEM汚染の深刻さ - samakitaの今日もガハハ 左巻健男/SAMA企画
後半に、『論座』所収記事の再録があります。引用します。強調は引用者によります。

左巻健男(以前『論座』誌に書いたものの一部):
愚民をつくる教育、愚民になっている教員
 斎藤貴男カルト資本主義』(文春文庫)の第5章「「万能」微生物EMと世界救世教」に、「TOSSに参加する小学校教師たちは、有害な微生物をバイキンマン、EMをアンパンマンになぞらえて、「EMXは超能力を持っている」と、子供たちに教えている。」という記述があります。向山洋一氏推薦の授業です。EMは八百度でも死なないからセラミック(陶器)に焼き込めて超能力を発揮できるというのです。なお、ぼくは、「八百度で死なない」というのは比嘉照夫氏の実験のミスかインチキの部類であると思います。
 斎藤貴男氏は、「EMを超能力だと教える向山のやり方の本質を表現するのに、多くの言葉は必要ないと思った。わずか一言で事足りる。愚民教育。」と喝破しています。
 “愚民教育”は、この20年余続いてきた「ゆとり」教育の“隠された”目標でもあった。そういう教育行政の流れと一体化してTOSSは、教員をも愚民化してきたと言えないでしょうか。愚民教員は、子どもを効率的に管理し、教祖の思うことを効率的に注入する教育しかできないのです。この改善の必要性こそ、「水伝」授業がもたらしたことなのではないでしょうか。

左巻さんは、『カルト資本主義』に言及し、著者である斎藤氏の意見に賛同するようなかたちで、愚民教育なる語を用い、持論を展開なさっています。
ここで、左巻さんの意見に対する疑問、かつ質問を箇条書きにして述べます。

  • 愚民の定義は何か
  • 愚民教育なる概念の内容は何か
  • 「ゆとり」教育の“隠された”目標という文章は、「ゆとり」教育愚民教育を志向していた、つまり、意図的に行っていた事を示唆する意見の表明であるととれるが、それが目標であったと言える根拠は何か。

……と、ここで、左巻さんがTOSSは愚民教育を目指すと発言したつぶやきを参考資料として載せようとしたら、左巻さんは一連のつぶやきを削除していた事に気付きました。ひとまず、はてなブックマークのページを貼ります(冒頭が確認出来るので)⇒はてなブックマーク - Twitter / samakitakeo: TOSSが目指すのは愚民教育というのは言ってもいいのでは。 ...

  • 愚民教員とはどのような概念か。単に、左巻さんが考える所の「愚民」かつ「教員」という属性を持つ者なのか。
  • 教祖の思うことを効率的に注入という文の、教祖とは誰を指すのか。比嘉氏か、向山氏か。あるいは、その他の個人や組織の事か。
  • 教祖なる語は、いま考えている教育等の構造を、宗教のアナロジーとして捉えた上での表現であり、かつ、文脈を考慮すると、そこにネガティブな意味合いを込めていると推察出来るが、具体的にどのような部分が構造的に似通っているのか。
  • 上に関連して。注入という表現から、そこに、信者――教祖 というような図式を想定していると考えられ、そこには、盲信・盲従、等の連鎖を仮定しているように思われる(左巻さんの言う、教祖→愚民→愚民 といった連鎖的構造)。しかるに、ニセ科学の問題の重要な点として、色々な経由で信ずるという事がある。様々な事を勉強し、色々な試行錯誤をした結果、ニセ科学的な言説に親和的になってしまうというケースもある(科学という方法と制度への知識と認識が足りない、というちょっとした違いで)が、そういった複雑な所を蔑ろにして、教祖が愚民に注入する、という単純な図式に落としこんで考察する事は妥当なのか。妥当だとすれば、どのような根拠によるのか。対象を限定して、TOSSにおいてはそういう複雑さは無い、と言えるのか。

いつも言う事ですが、自然現象に関する主張には、それを支持するに見合う証拠の提示が必要だが、社会現象についての言及においてはそれは要らない、などという道理は無いので、左巻さんは、ご自身の主張を(それを、茶飲み話くらいの重みだと考えないのなら)、証拠をもって補強出来ねばなりません。愚民教育の語で言うと、それは、教育を施す側が、その権力なりを維持するために、意図的に、教育を受ける者を愚民化させるという意味合いでしょうから、それは相当に強い主張です。その主体は教育行政であり、隠された”目標と表現しているので、これは端的に陰謀論の一種です(国が目的を隠して、国民にとってネガティブな事を行っている、という主張だから)。陰謀論の主張に証拠が伴わなければ全く説得力を持たないので、その主張に釣り合うだけの証拠の提示が求められるでしょう。