福島での甲状腺がん検診に反対する人の、乱暴な主張

まず、私自身の立場を、あらかじめ書いておきます。

私は、福島における甲状腺がん検診には、反対の立場です。出来るだけ早く、長期にわたる検診の計画を、凍結するべきだと考えています。

このように、私は甲状腺がん検診には反対の立場ですが、同じような立場であっても、その根拠として、乱暴な主張を提出する意見も見られます。ここでは、それを指摘します。

竜田一人氏

。もう因果関係は無いと結果も出て、

そのような結果は出ていません。現状の知見から言えるのは、

福島周辺で起こった被ばくには、甲状腺がんの罹患力(発生率)を何十倍も高めるような効果は無いであろう

という事です。これは、罹患力を少し増加させる可能性とは矛盾しません(整合する)。 罹患力を何十倍にもしないのは、これまで発表されているように、既存の知見、地域差の検討等から導かれているものですが、それは、病気のなりやすさをほんの少し上げる事を否定はしません。

疫学では、ある要因が、ある結果を増やしたり減らしたり、という現象を見て、他の様々の要因を検討して、因果関係を見出しますが、その際には、影響の大きさも考えます。ですから、理論的には、ある要因が、ある結果を

少し増やす影響が、確実にある

と評価される可能性があります。その意味で、福島での被ばくが、甲状腺がんの発生に何の影響ももたらさない、つまり因果関係が無いなどと現時点で判断する事は出来ません。

厳密な事を言えば、着目する違いについて、それを、どんどん小さくしていけば、何らかの違いをもたらす可能性を持ちます。もしかしたら、ある要因が、甲状腺がんの発生を、何億人に一人の割合で増やす事は、あるのかも知れません。しかし、そのような影響(効果)の大きさだったとして、それを、

  • 実質的に意味あるものと考えるのか
  • そのような違いを見出す事が可能なのか

このような、実際的観点から捉えなくてはなりません。小さい影響も起こり得て、それに着目する必要がある議論においては、因果関係があるか無いかでは無く、どの程度のものなのかと考える必要があります。

何を細かい事を、と言われるかも知れませんが、因果関係の概念は、科学的に極めて難しい問題ですし、がんのような疾病は、10万人に一人、といった、とても小さな頻度で発生するので、このような現象を扱う際は、言及や表現は、なるべく細やかにおこなうのが重要です。

菊池誠

app.simplenote.com

。たしかに甲状腺がんではあるのですが、殆どすべては無症状の微小がんですし、

この部分、単純に、間違っています。菊池氏は、福島で見つかった がんが、殆どすべては無症状の微小がんである、と言っています。見つかったのが、無症状というのは、当然成り立ちます(検診は、無症状者におこなうものだから)。しかるに、ほとんどが微小がんである、との主張は誤っています。理由は、下記の通りです

  • 微小がんとは、腫瘍径10mm以下のものを言う
  • 福島の検診では、微小がんをなるべく見つけないようにしている
  • 実際、福島で見つかった微小がんの割合は、それほど高く無い
  • 従って、福島の検診で見つかった がんのほとんどが微小がんである、との主張は誤っている

このようです。

菊池氏の主張の誤りについては、以前に指摘しました。

interdisciplinary.hateblo.jp

上記記事で示した資料にあるように、福島の検診で見つかった微小がんは、3割程度です。この割合を、殆どすべてなどとは、日常的な語感からも、学術的な前提からも(たとえば、相関係数が0.8くらいなら高いと表現するような意味で、3割がほとんど全て、などとする用法は無い)、到底言う事は出来ません。

ここを押さえておくのは、極めて重要です。で無いと、検診で見つかったものはほとんど微小がんであるから問題にならないと主張して、すぐさま、いや、ほとんどが微小がんとの事実は無いだろうと返されます。また、鈴木眞一氏らは、微小がんの発見を抑える事で、余剰発見も抑制出来ている、と主張しているので、議論が噛み合わなくなります。

福島の検診での議論で重要な論点は、微小がんで無いものの発見が、どの程度余剰発見であるか、です。臨床の専門家は、超低危険度がんの発見を抑えているから余剰発見が少ないと主張するし、韓国の検診などの知見を援用する論者は、現在の分類で中危険度以上とされるものでも、検診で発見するものは相当部分が余剰発見である、と主張します。このような前提を共有してこそ、データをもって議論を戦わせる事が出来るのであって、それを踏まえなければ、的を外した主張をし続けてしまう、となるでしょう。