ゲームの面白さとスペック?

あれだけ複雑多様な文化で、技術的発展のスピードが途轍もなくて、作品の評価に個人の嗜好が大きく関わるものなのだから、議論をする際にまずやるべき事は、「整理」です。科学などの議論と一緒。
自分が使っている用語にどういう意味を持たせているか、専門的な定義はあるか、それを踏まえるか、日常的な用法も考慮するか、面白さという概念は普遍的なものか、それは定量化出来るか、エッセンスを抽出する事は出来るのか、等々。

好みなので、心理的な事がすごく関わってきます。流行の面を考えると社会的な部分が関係する。
普遍的な面白さについて論ずるというのは、「自分は”本当の”面白さを解っている」という心理が関わっている可能性があります。そしてその直感が妥当かは解らない。ある程度共通了解が取れてるものがあるとして、それはどの程度普遍(不変)なのか。難しいですよ。「料理の本質的な美味しさ」とは何か、を考えるようなもので。

グラフィックや音の質が向上(3DCGの駆使とかサラウンドとか)して、それが前面に押し出されたゲームに対して嫌悪を覚えるというのは、調味料を使いまくった料理、みたいな印象があるんでしょう。それに対するのは、「素材の味を生かしている」というような価値観。美味しんぼが好きだった人は心当たりがあるでしょう? 素材の味を生かした和食と、それを考えずにソースをかけまくった西洋料理、みたいな対比。おそらくそれ自体がステレオタイプなのでしょう(私はそういうバイアスが強烈にかかっていたのですが)。
まあ、その種のアナロジーがあるとして、その類推がゲームにも成り立つかどうか、という話でもあります。私達が感じる「面白さ」っていうのは、ゲームシステムの骨格と独立しているものなの?という所でしょう。コンピュータゲームのような、科学技術の発展と絶対に切り離して考えられない文化であり、視覚・聴覚・体性感覚に働きかけるインタラクティブなコンテンツで、どこまで構造を抽象化して論ずる事が出来るのだろうか、とかね。
でも、昔からゲームをやってきている愛好家だ、という「自負」がある人は、そこら辺の骨格を掴んでいて、それをある程度きちんと評価出来るという「自信」があるでしょう? まずはそれを疑い、抽象化する事が重要。仲間内で談義するのでは無く*1、本格的な議論をしたいのなら。

昔、本当に面白いゲームは、それをワイヤーフレーム表現にしても面白いのだ、というのを誰か言っていた気がしますが、それって「本当」ですか、みたいに考えられる。やっぱり視覚的な情報というのは重要で、その精密さや方向性というのが心に与える影響というのは違うでしょう。その違いを捨象し、ゲームの骨格を抽象する事そのものが、ゲームの面白さを論ずる議論において妥当なのか、というのも一つ反省的に考えられても良かろうと思います。

私達が感ずる面白さというのは構成概念でしょう。どのような因子があって、どのくらい一般的なのか、それを考えるのはすごく難しい。

ところで、「スペック」は要らない、という意見は、フォトリアルな3DCGを駆使したり、高質な音質・音響は必要では無い、みたいな意味合いでしょうけれど、これには、「グラフィックや音にばかり拘って”ゲームそのもの”の面白さが蔑ろにされている」という含みがある事も多かろうと思います。つまり、「必要では無い」というのと、「実態として面白く無い」という意見が混在している気がします。前者は、グラフィカルな部分と音の部分の違いが面白さに大きく影響を与えない、という主張でしょうが、どうでしょう、それを強く主張するのはどのくらいあるのか。
対して後者は、高スペック志向になったが故に、ゲームデザインが蔑ろにされているのだ、的な意見だと思われます。要するに、これがあるから堕落した、系の主張。鉛筆削りが普及したからナイフの使い方が下手になったのだ、みたいなね。
もしそういう主張なのであれば、グラフィカルな部分についての言及は本質で無く、そこら辺にかまけてゲームデザインを疎かにしている、というのが言いたい事なのでしょう。で、それがいつの間にか、「高スペック志向”だから”」という風に強化されたりね。

ゲームが映画的な演出を志向するソフトが色々出てきて揶揄される事が出てきたのはいつ頃からでしょう。私はFF10辺りだと記憶しています。一本道のRPGを嫌うとかね。これらは、「あるべき姿」の志向でしょうけれど。

要するに、外装が華美で機能面で全く使えない工業製品への印象みたいなものでしょうか。そういうものは実際あるのでしょう。そして、長年の愛好家は、「大衆化・阿り」みたいなものを嫌う場合がある。そんなんじゃ無くてもっと本質を追求してくれよ、的なね。

ただ、「昔より」のような事を言う場合は注意が必要ですよ。昔と今では、市場規模が違う、ユーザの層の広さが違う、コンピュータゲームに対する社会全体のイメージが違う、ジャンルの数が違う、などがありますし、もし、「昔の方が今よりも○○なゲームが多かった/少なかった」といった意見を主張したいのなら、これは実質的に統計的な主張なので、これはすごく複雑な話です。直感や印象による論では全く説得力を持たないですので。割合の推移を言いたいのか、とか、それをするとして、その比較したい概念はちゃんと定義なりが可能なのか、とか。

皆、直感的や過ぎません? もし本当に、きちんとした議論がしたいのなら、学術的(科学的)な知見を参照しなければいかんともしがたいのではないかな、と私は思っています。自分はこう思う→そうそう/いや違う というのを繰り返しても一向に進まないでしょう。
ゲームについてその種の考察をするのはナンセンスだ、無粋だ、と見る人もいるでしょうが、それはそれで一つの見解です。ただしその場合、広く世間に対して一般論を主張するのは出来なくなります。いや、主張自体はやるのは勝手だし簡単だけれど、証拠が無くては説得力は無いですよ、という事で。*2

取り留めの無い話ですが、これだけ複雑な話題を整理して妥当なかたちで書ける人は、現状いないでしょう。

*1:私は友人達と語る時は、相当好き嫌いを言うし、ゲームとはこうで無くては、みたいな事を語るけど、それは、”価値観がある程度共有されている”集団だから成り立つ、というのはある

*2:声が大きかったりすると、直感的に賛同する人も多くなったりしますが、それは別のお話