菊池誠さんのニコ生番組

追記:リンク貼り忘れていたので⇒<どうする?原発>科学者・菊池誠が語る「トンデモ・デマから身を守る方法」 - ニコニコ生放送
とても杜撰な内容でしょう。
菊池さんも、準備しないと駄目でしょう。だって、ああいうのを観る人って、ある現象や主張に対して、どうしてそうなるのか、そう言えるのか、という所に格別の関心を持っている人じゃないですか。なのに、資料の準備もせずに、これはこうだ、こうじゃないかな、みたいに、曖昧だったり、曖昧なのに断定的な言い方をされたりすれば、納得いく訳無いでしょう。それはここにこういう資料があってここまで解っている、みたいにちゃんと説明しないと。データや根拠が大事なのは前提でしょう? そして、被曝の問題について話題になるようなトピックは、多くても何十かに絞れるだろうから、それをリスト化してパッと資料が出せるようにする、くらい出来るでしょう。そういうのは競技ディベートなんかでも当たり前の話じゃないですか。
あれを観て、確かに菊池さんの言う通りだな、と思う人は、最初から色々な知識を持っていたり、菊池さんの事を知っている人、でしょう。そうで無い人にとっては、「菊池誠が言っている」という事は意味をなさないし、逆に菊池さんに猜疑的な人は、ますますこの人は信用出来ない、という認識を強化するでしょう。
菊池さんはしばしば、断定的な表現をします。で、私は、断定的表現をする事が良くない、とは思いません。そうでは無くて、科学の知見から断定出来るのなら、断定出来る根拠を「セットで」用意しておこう、という事です。FAQ的な問題だから説明を省略する、というのかも知れないですが、それならば、FAQ的な資料を用意して、その話が出てきたらパッと参考文献なりを出す事が出来るはずではないですか。
ニコ生だからゆるくていい、という話では無いですからね。内輪向けの雑談じゃ無いでしょう。そりゃあ、科学の議論なのに資料も用意せずに話しているのを見たって納得しないでしょう。菊池さんを基本的に信頼・支持している私でさえそう思いますもの。これは、「解らない人には解ってもらえなくていい」といった類の情報発信では無いはずです。主張に至るロジックとエビデンスを省略し過ぎだと思います。出さなくても見てくれる人を期待するのでは無く、出さないと見えない人(それが当然だ)を想定しないと。
私は、ニコ生辺りで、学者同士で競技ディベート的な事をすれば良いと思っているのです。別に文字通り競技、つまり勝敗をつけるというのでは無いですが、制限時間のある場であるからこそ、純粋にエビデンスとロジカルな説明でもって進める方式は重要ではないかと考えます。