試論――抜刀による攻撃をいかに研究するか

分ける

いま興味を持っているのは、「敵に対し抜刀し斬りつける(抜き打ち、抜きつけ)」という、色々なものが渾然一体となった現象。それを考察するには、現象をいくつかの部分に分けて論ずる事が肝要。案としては、

  • 道具の特性
  • 運用の仕方
  • 攻撃対象

というように大まかに分類する事が考えられる。

道具の特性

道具とは即ち日本刀。その構造と機能を解明する。分野としては、衝撃工学等、物理学を基礎とした工学的分野。
解明すべき点としては、

  • どのような衝撃を受ければ、どのように変形し、破壊するか
  • 刃物として、どのような物をどのように切る事が出来るのか
  • どのような材料を用いるのが良いのか。伝統的な材料以外に有望なものはあるか

等々。

運用の仕方

運用するのは人間。その構造と機能を押さえ、その理論から、人間はいかに道具を扱い得るのか、という面からアプローチする。分野は、力学や機能解剖学を基礎とした(スポーツ)バイオメカニクス等。
解明すべき点としては、

  • 刀のどの部分を持ち、どのように刀を把持するか
  • 刀のどの部分で切っていくか
  • 刀をどのように運動させて切っていくか

等々。

攻撃対象

ここでは、ヒト以外の動物を攻撃する、といったシチュエーションは除外する。即ち、攻撃対象は人間である。大まかに二つのアプローチが考えられる。

運動
敵がどのようなタイミングでもって攻撃してくるか、敵と自分との位置関係はどのようなものか、という運動の観点
破壊
人間を「切るべき物体」として考える。つまり、人間がどのような物質で構成されているか、どのように形作られているか、という解剖学的な見方や、それがどのような衝撃でもってどのように破壊され得るのか、という見方がある。

改めて考える点を列挙すると、

  • 敵と自分との位置関係
  • 敵の動作の局面(静止しているか動いているか。得物を運動させているかどうか)
  • 人間の組成。どのような物質で構成されているか
  • どのような組織がどのように集まっているか。解剖学的観点
  • 人間はどの部分が破壊されやすいか。ここでは、日本刀という刃物の特性に依存する
  • 衣服はどのような物か。それは、日常的な物か、戦闘の準備を前提とした物か。鎧や現代的な防刃の服も想定するか。社会的な情況をどこまで考えるか。
関係・構造

これらを便宜的に分類して考察しつつも、それぞれが密接に関わっている事を意識する。道具たる日本刀の構造機能は、それを運用する人体の構造機能に規定され、また、切るべき対象としての人間の身体の構造機能、運動の様子にも規定される。そして、人間の運動は、使用する道具を合目的的に運用するために最適化される。つまり、それぞれが切り離せない関係にある。
しかし、初めから全体を丸ごと考察するのは非現実的だし逆に不合理であるから、一旦分類して考察研究を行うという事である。そこで、実際のシチュエーション、即ち現実に起こる戦闘状態、という所からは かけ離れた情況を設定して実験やシミュレーションを行う事もあるだろうが、それはある程度割り切るのが必要。ただし、それが割り切っている事は常に意識する。心理学における実験研究と生態学的妥当性の関係などを思い起こす事。

方法

それぞれの対象について、いくつかのアプローチが考えられる。つまり、

実験
実際に動作を行なってみる事
シミュレーション
実験が困難な場合に、コンピュータシミュレーション等を用いて現象を推測する
理論的考察
これまで得られた知見に基いて現象を推測する。シミュレーションとも関連する
文献の考察
得られている記録から、どのような現象が起こったとされているか、を検討する。昔日の剣豪の逸話や、非日常的な戦闘情況の目撃情報など。たとえば、日本刀を持ちだした喧嘩や、合戦、戦争等

等である。ただし、文献研究はあくまで参考とするべきで、本質的には自然科学的アプローチが重要と考える。
以下、実験のアプローチがどのように適用され得るか検討する。

実験
道具
日本刀を用いての実験。たとえば、日本刀に衝撃を加え、変形や破壊のされ方を見るという視点や、日本刀で何かを切ってみて切れ味を定量するやり方が考えられる。重要なのは、道具のグレードで、なまくらと名刀とでは、その道具としての性能に質的な差異が認められるかも知れない、という事を念頭に置いておく。たとえば、名刀であれば有用な運用になまくらは耐えられない、というのは論理的に考え得る。
運用
実際に人間に日本刀を使用してもらい、それを様々に解析する。シンプルには、正面打ちや袈裟斬りなどの単位に分け、それぞれの運動をした時の刀の力学的状態を見る。そして、そのような運動であればこの程度の攻撃力が発揮出来る、といった事を推論する。
ここでも考慮すべきは、運用者のグレードである。即ち、未経験者・初級者・中級者・上級者・達人、といった、習熟度による分類が可能であるが、それぞれの運動に質的な差異がある可能性を検討する。居合を始めて数年の修行者と黒田鉄山の運用とでは次元が違う、というのは、好事家の一致した見解だろう。
攻撃対象
実際に切るべき対象がどのようなものかを検討する。位置関係や、どのような物体を切るか、をそれぞれ考察する。また、対象が静止しているか運動しているかで、力学的条件や、攻撃する側の運用の条件等も相当異なってくるだろう。
シミュレーション

実験には倫理的な問題もつき纏う。たとえば、日本刀でもって人間を実際に攻撃する事は許されない。従って、複雑な現象をコンピュータシミュレーションによって推測し、それを解明したい実際の現象を理解する手助けとする。たとえば、交通事故分野ではインパクバイオメカニクスというものがあるが、刃物による損傷についても同様のアプローチが考えられるだろう。

代替

実験とシミュレーションを折衷するようなアプローチとして、代替的な物を用いたやり方が考えられる。

道具
実際の日本刀では無くて、他の道具を用いる事が考えられる。たとえば、刃の入っていない模擬刀、同じくらいの重量の棒、木剣、等といった物。それらを用いる事で、たとえば、物を実際に切らずに振らせ、そのデータを解析して、そこからどのように物を破壊出来るか、という所を推測していく。
運用
人間の動き得る可能性を考慮し、それを模した動きを機械等に代替させる。これは、上で書いた実験とも繋がってくる。つまり、人間の運動に関する知見から、理想的な動きが出来る機械を作り、それを用いて物体を切断する実験を行えば、人間にはここまで可能であろう、という上限を推定する目安になるだろう。
攻撃対象
当然、人間を切る訳にはいかない。かといって理論的考察やシミュレーションだけでは、不確定な条件が考慮し切れない。だから、人間以外の物を切るという、代替的な実験が考えられる。たとえば、演武でよく見られる据物斬り等がある。また、実践家によっては、豚肉などを切る事もする。あるいは現代的なアプローチとしては、色々な材料を用いて、より人体に近い特徴を持ったダミー人形を使う、という事も出来るだろう。たとえば、ゲル状の物体を合成樹脂製の骨格に纏わせたダミー等。そのような物を使った実験が、海外の番組等で行われていた。

代替の物を使う時に重要なのは、それが「どこまで代わりになり得るか」という所である。それをきちんと考察しなくては、過度の一般化を行なってしまいかねない。たとえば、吊るした豚肉を切る事が、生きた人間を切りつける事の代わりになるのか、とか、棒を持って振るのは、形状や重量の分布が異なる日本刀を運用するのと全く情況が異なってしまわないか、等はよく意識しておくべきだろう。武術の実践家の間ではしばしば、瓦を割って何になるのか、とか、止まった巻藁を切って意味があるのか、といった批判が起こり、議論になる。

絡み合い

今一度、便宜的に分類したものがそれぞれ絡み合っている事に立ち戻る。上で代替的方法を考察したが、そこでも、それぞれが密接に関係している事が解る。たとえば、棒という代替の道具を振って、衝撃力測定器という代替の道具を打撃させる、というアプローチも考えられるが、その時にも、そうして得られたデータが、人間の身体を切断するという現象にどこまで適用出来るのか、といった見方が出来るし、棒を持って振る事で、いわゆる剣の刃筋をととのえて運用するという重要な面がスポイルされてしまうのではないか、と考える事も出来る。刃筋をコントロールすれば、その分衝撃力等の指標は低下するかも知れない。しかし、刃物で切断するという事を踏まえれば、その指標よりも、刃筋が通っていて、適切に刃のある部分を当てていく事の方が重要なのかも知れない。そのように考察する。もちろん、先に書いたように、色々な方法によって得られたデータは、情況を限定すれば有用なものであろうから、適用する範囲を弁えつつ用いれば良い。

抜刀

これまではどちらかと言うと、日本刀を用いて人間を攻撃する、という現象の一般論を考えたものだったが、ここで対象としているのは、抜き付けという局面だから、その具体的な考察を行うとすれば、大分条件が限定される。たとえば、攻撃する側は、剣を鞘に納めた状態である、等。
抜き付けという運動で重要なのは、「片手で斬る」という所だろう。もちろん、抜刀後半の局面にてもう一方の手で柄を握る、という運動もあり、それが威力に寄与する場合もあるだろうが、抜刀のかたちとしては、片手で持ったまま終了する、という事が多い。そこでは、刀の柄を片手で持ちそのまま抜刀しつつ敵に斬りつける、という運動となる。
そう考えると、力学的に、両手で使う場合と較べて相当不利な条件であると想像出来る。実際問題としては、そのような条件において、本当に実戦に耐え得る運用が可能なのか、という根本的な疑問を立てる事から始めるべきである。
想定出来るアプローチとしては、

  • 真剣で抜刀してもらい、日本刀の運動状態を確かめ、そこからどのような物をどの程度破壊出来そうか探る
  • 真剣によって、抜き打ちにて代替物を切ってもらう
  • 刃引きの刀や棒状の物体を使って抜き打ちし、衝撃力測定器を打撃してもらい、威力を推定する

等があるだろう。もちろん、抜き打ちを行う者は、ある程度の水準以上の術者が望ましい。中級者程度の者を集めて、全然大した威力が認められなかったとして、そこから、抜き打ちは実用的で無い、といった結論を出すのは早計だろうから。
初めは出来るだけシンプルな情況を設定するのが良いだろう。巻藁なりダミー人形なりを正面に置いて、その場で抜刀して斬る、等。間合いを詰めて斬る、攻撃を避けつつ斬る、といった運動は応用として考える。

斬り方と、ひとまずのまとめ

出来るだけ接近して撫で付けるように刃全体を使って斬るのか、あるいは、中間より、比較的剣先に近い所を、大きく弧を描くように回転させ斬りつけるのか、といった「斬り方の違い」が考えられる。これは、日本刀の構造、流派による刀の運用の異なり、といった面から見て、非常に大切な視点である。私はここが最も重要だと考えている。このような運用の異なりが、刀という道具に与える負担や、攻撃対象の破壊のプロセス等に大きな違いをもたらす可能性がある。どちらを対象とするかによって、実験のデザイン等も変わってくるだろう。
もちろん、その両方の運用を同時に体系に内蔵している場合もあるだろう。自分と敵の取り結ぶ関係によって合目的的に運用していくというのもあるだろうし、流派によって、どちらかの運用に特化している場合もあろう。それらの構造・体系の全貌を解明するのは極めて難しい。様々な分野の連携によって学際的にアプローチしていくのが求められるだろう。

補足

追記したりするかも
日本刀について衝撃工学的アプローチを行なっている研究者としては、臺丸谷政志氏が挙げられます。