検診と「不安」と「安心」と過剰診断と
福島における甲状腺がん検診について、それには救命効果が認められていないので実施すべきで無い(中止すべきである)という事を説明した時、安心が得られるから継続する、と主張される場合があります。そして、他ならぬ、当該検診の検討に関わる重要な人物である、県民健康調査検討委員会の星北斗座長その人が、そういった主張をおこなっています↓
記事より引用します。
、心配に思っている人がいる。不安な人がいる限り、検査体制をなくしてはならない
↑このように、心配や不安を懐いている人がいるから検査を続けるべきである、との主張です。
星座長の意見は、他地域での検診を否定しているのに福島の検診は続けるべきと言っているものです。つまり、おそらく甲状腺がん検診による効果が認められていない事を認識しつつ、安心のために福島では継続する、と見ている訳です。これは、極めて問題のある意見です。何故なら、検診の第一目的は、それによる延命やQOL維持の効果を発揮させる事であり、安心を得るなどというのは、あくまで、その効果が発揮された上での副次的作用でしか無い、と考えるべきものだからです。がん検診について:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ] より引用してみましょう。
がん検診の目的は、早期発見により、そのがんで死亡する可能性を減少させることです。ただし、多くのがんを早期に見つけるだけでは、その目的を達成することはできません。それは、がん検診により発見されるがんの中には生命予後に影響を与えない、すなわち死亡原因にはならないものが含まれている可能性があるからです。死亡を確実に減少させることができるかどうかは、科学的な方法に基づく検証が必要です(「5.がん検診の効果とは」を参照してください)。そうした科学的根拠のある検診ではじめてがん検診本来の目的が達成できます。 効果があると判断されたがん検診の最大のメリットは、早期発見、早期治療による救命の効果です。症状があって外来を受診した場合には、がん検診と比べ、進行したがんが多く見つかります。一方、がん検診は症状のない健康な人を対象にしていることから、早期がんが多く発見されます。早期がんはそのほとんどが治り、しかも軽い治療ですみます。一方、進行がんは、臓器によって程度が違いますが、治すことができない場合が多くなります。 がん検診によってがんが早期に見つかるばかりではなく、いわゆる前がん病変が発見されることがあります。子宮頸がんにおける異型上皮、大腸がんにおける大腸腺腫(ポリープ)等がその例です。このような前がん病変は、それを治療することでがんになることを防ぐことができます。実際、検診によりがんを減らせることが、これら2つのがん検診ではわかっています。 がん検診を受けて「異常なし」の判定が下ったとしましょう。多くの人々は「がんがない」ことで安心します。これもがん検診のメリットということができます。
↑ここを見ると解るように、最も重要な目的は、検診による救命効果であり、安心は、後からついてくるようなものです。
救命の効果が無くとも、安心を得られるのなら、まあそれ自体は良いのでは、という意見があるかも知れません。しかし、色々な所で言われているように、検診には、それ自体に害もあります。具体的には、症状が出てからで間に合った人が病気に悩む期間の延長や、一生症状の出ない病気を見つける過剰診断(余剰の発見)、また、病気で無い人を病気があるかもと判定してしまう偽陽性(誤った陽性判断)に伴う心理的負担(これは安心とは程遠いものです)、そして、検診にかかる費用、等々です。ですから、効果が得られなくとも安心を得られるのならといった、単純な見かたは出来ないのです。
この問題に関して、ウェルチら『過剰診断』において記述があります。かなり長いですが、極めて重要な事なので、引用して言及します(引用文はP252-)。
検査の結果、あなたは脳腫瘍ではないことが分かったとしよう。ホッとするはずだ。健康だと分かったのだ。こんな事実を確認させてくれたのだから、検査はよいものだ。だから、健康を確認するために、将来もう一度同じことをするのは筋が通っている。そして、友達にそれを勧めることも。 だが、実際には何が起こっているのだろうか。早期診断を推進するシステムは、基本的に、不安を誘発しておいてその後に取り除くだけなのだ。さらに言うと、こうした安心のプロセスは、ほとんど幻想だと言う人もいる。普通のスクリーニング検査を1回受けたくらいでは、がんで死ぬ可能性にはほとんど影響を与えない。にもかかわらず、普通のスキャンでがんではないという安心が得られると、将来の検査に対して正のフィードバックがかかる。
↑不安を誘発しておいてその後に取り除く
というのは、まさに福島で起こった事です。被ばくによって甲状腺がんが増えたかも知れないというのがそれです。尤も、当時は未知な部分もあり、そのように考えられた事自体は妥当であったのだと思います。しかし、それが人びとの不安を助長し、超大規模な検診の実施に繋がった事は、間違い無いでしょう。
この正のフィードバックに関連して、別の現象が生じる。いったん病気に関する不安が生じたら、将来病気になるのを免れる機会があるのなら、それを確実に逃さないようにしたい。と思うようになるのだ。実際、スクリーニングを受けないで病気になったとしたら、自分の過ちだと思うだろう。こうした 〝予期される後悔〟 も、人々をより多くの検査に向かわせる原因になる。
↑福島の甲状腺がん検診は、一応は任意の受診という名目です。その意味で、いわゆる全員実施のマス・スクリーニングとは異なります。ですが、それにも拘らず、数十万人の人が受診したのです。これは重い事実です。
次に、先ほどとは異なり、検査結果で誤ったアラームが鳴らされたとしよう。思い出してほしいのだが、誤ったアラームとは、いったんは陽性と出て心配させられるが最終的には陰性と分かるという検査結果(偽陽性)のことだ。がんのスクリーニング検査で最もよく見られる(全結果の5~15%)。 このような場合、誤ったアラームが鳴るということは、あなたの脳スキャンは何らかの点で異常だったということを意味する。たとえば、がんかもしれない小さなかたまりが見つかったとする。なんて怖いんだろう! 医者は、このかたまりが何なのかを解明したがり、あなたは生検を受けることになる。外科医が頭蓋骨にドリルで穴をあけ、細い針でかたまりの断片を取ってくる。すべてがうまくいき、結局、がんではないことが分かる。あなたはものすごく安心する。難を逃れたことに対して、すぐに感謝の気持ちが生じる(友人の腫瘍内科医のジョーク:皆の気分をよくするには、全員に対して「検査の結果、あなたはがんかもしれない」と告げ、その後で「あれは間違いでした」と言えばよい)。
↑検診は多段階です。偽陽性というのは、まず陽性(病気かも)との評価がなされ、その後の精密検査で、実は病気が無かったと判定された場合、を意味します。その最終的な判定が正しいとすれば、最初の検査は誤っていたのを意味します。当然、精密検査にも、危険を生ずるものがあります。出血や穿孔など。そのような害の発生を考慮しつつ、検診は実施されます。
誤ったアラームが鳴らされた人は、その後は検査を受けたくなくなると考えるかもしれないが、興味深いことに、実際には、短期間不安になったからといって怒る人はほとんどいない。私がこの本の共著者と行った全国調査によれば、がんのスクリーニング検査で偽陽性を経験したアメリカ人の40%以上が、その体験を「非常に恐ろしい」とか「人生で最も恐ろしいときだった」と回答した。だが、ほとんど全員が、検査を受けて「よかった」と考えてもいた。誤ったアラームの後の強い安心という経験と、健康に関する未解決の不安が合わさると、さらに検査を受けたいという正のフィードバックがかかるのだ。
↑偽陽性であったとしても、安心は得られ、その後も、検査を受けたいと判断する人が多い、との調査です。ただ、福島のようなケースだと、どうなるかは難しいものがあります。とても特殊な場合ですので。これは、きちんとした調査研究によって明らかにされるような部分だと思われます。
では、それが誤ったアラームではなかったとしたらどうだろう。本当の病気、この場合なら脳腫瘍だと分かったとしたら? たとえそのような場合でも、「よかったですね」と言われるかもしれない。脳腫瘍財団のウェブサイトには、「全脳腫瘍患者の半数以上は、早期発見できれば、腫瘍をうまく取り除くことができただろう(注:この主張に文献は付いておらず、私はそれを支持するデータを見たことがない。だが、患者の半数が過剰診断だとしたら、これは大いにあり得ることだ)。そこであなたは手術を受けに行く。成功すれば、あなたは早期発見のおかげで命拾いしたと思うだろう。皆がそう思う。これこそが、人々をより多くの検査に向かわせる最強の正のフィードバックだ。もちろん、腫瘍は命取りになると思われている。だが、見つかった腫瘍が本当に死に至るものなのか。それとも過剰診断されているのか。真実は誰にも分からないのだ。
↑これが、福島における甲状腺がん検診にまつわる議論で最も注目されているであろう、過剰診断(余剰の発見)の問題です。もし、検診でほんとうに病気を見つける事が出来たとしても、それは、検診に効果があったのをすぐには意味しません。実際には、後でも間に合った(検診に救命効果は無い)のかも知れませんし、一生症状が出なかったものかも知れない(これが過剰診断)のです。それで、このいずれにしても、経過は良いものとなります。それが、検診の効果であると誤認され、検診を推進させるきっかけとなる可能性があります。
最も皮肉なことには、スクリーニング・プログラムによって過剰診断が増えれば増えるほど、プログラムの人気は高まる。過剰診断が増えれば増えるほど、診断される知り合いが増え、個々人の〝リスク感〟が高まる。その結果、検査はいっそう重要なものになる。過剰診断が増えれば増えるほど、スクリーニングによって命拾いしたと信じる人が増え、スクリーニングがさらに強力に推し進められる。 覚えておいてほしいのは、過剰診断された患者の予後はとてもよいために、早期に発見されたからこそ助かったという結論になりやすいということだ。いったんこのサイクルが回り始めると、この影響は、スクリーニングを推進する力(金銭や信念など)が他になくても続く。こうなると、たとえ医学界が、検査をやめることが正しいと考えたとしても、実際にやめるのはむずかしい。つまり、どんな場合であっても、人々は検査をより多く求めるようになるわけだ。
↑ここは、福島を考える際に重要になる部分です。過剰診断の数が多ければ、検診によって救われたと看做される人も多くなります。福島は、被ばくにより甲状腺がんが流行したかも知れないと考えられたので、ますます、検診はおこなわれなくてはならないと思われる事でしょう。検診の効果についての知識を持たない人にとっては、見つかる数がクローズアップされるので、ほんとうに検診は役に立っているのかの所が意識されなくなってしまうのです。そして、
たとえ医学界が、検査をやめることが正しいと考えたとしても、実際にやめるのはむずかしい
↑これはまさに、福島の現状です。冒頭で紹介した、星座長の主張を思い出してください。他の地域ではおこなってはならないと認識し、福島では不安があるからと、つまり、検診によって安心を得られるから、として継続を言っている訳です。検診自体に効果が無い事を解っていてそう主張しているはずなのです。けれど、もう何十万人にも検査をおこなった。それの継続をいきなり止めるのは難しい。だから、検診の主目的では無い安心や不安といった要素を持ち出して、継続を主張します。これはかなり苦しいものです。
このように、検診を続ける理由として、安心を得られるから、などと単純に考えるのは、実に浅慮であると言えます。少なくとも、検診に効果が認められていない事は広く周知すべきです。安心というものが得られたとしても、検診は継続的におこなえば、常に誤った判定の可能性がありますし、特に甲状腺がんは、罹っている期間が極めて長いと考えられるものです。それについて、いつまで検診を続けますか……? と、このような事について、きちんと議論をおこなわなければならないのです。