陽性を陽性と判定。陰性を陰性と判定

題に書いたような表現、しないほうが良いですって。書いたり読んだりしていて、ややこしいと思いませんか? この言いかたは、

  • ある特徴を持っている
  • ある特徴を持っているだろうと判定する事

(例は陽性)これらの両方を同時に指す、という多義的表現になってしまっている訳です。しかるに、これら概念は、峻別されねばなりません。

ただでさえ、陽性と陰性は複数の用語に組み込まれている(真陽性・偽陽性・疑陽性・陽性的中度・陽性率)語なのに、更にその語自体を多義的にしてしまっては、ますますごちゃごちゃになります。

さて、ある特徴を持っている事を指すのに、陽性の代わりに使えるものには、

などがあります。疫学だと有病がポピュラーですが(罹患はまた意味が異なりますので、使いません*1)、現在の疫学では、必ずしも病気のみを対象として研究する訳ではありませんので、表現としては狭すぎます。ここを踏まえて、疫学者の木原らは、もっと一般的な表現として存在を用いています(有病率を存在率と表現する)。

私の場合は、存在の語だと、それ自体がヒトとは独立して在る、といった意味合いを想起しますので、あくまで、個体が何らかの属性・特性を有しているという意味を込めて、保有を使っています。

上記のように、私は、着目する特徴を有する事を、保有と書きます。そうすれば、

感度とは、保有者が陽性と判定される確率(割合)の事である

というように表現出来る訳です。これは、陽性者が陽性と判定される確率、と表現するよりはしっくり来ると思いますが、いかがでしょうか。

*1:いま実務的におこなわれているのは、数ヶ月間の累積罹患割合を保有割合と看做して評価するようなやりかたです。いくつかおこなわれた大規模の抗体検査は、保有割合調査と言えます――時点を切って評価する事は不可能なので、程度問題とも言えますが。