読んでいない?

人工知能』誌の表紙の話。差別云々とは全く関係の無い所です。
イラストはこれです⇒学会誌名の変更と新しい表紙デザインのお知らせ | 人工知能学会 (The Japanese Society for Artificial Intelligence)
どこかのブクマコメントを見て初めて気づいたんですけど、これ、本を読んでいる様子では無いかも知れませんね。本は閉じられているように思えるし、指を見ると、表紙に4本の指がかかっています。この状態で、親指を本の内側に挟んで「読む」事は困難ですね(言われる前に書きますが、指の総数を5本と想定しています)。片手で本を読んだ事のある人なら解ると思いますけれど、そうする時は、小指と親指で本を押し広げるようにしないと読めない 物理的に不可能である、のでは無く、そのかたちで持ち続けるのは無理がある、というくらいの意味です。 のですね。文庫サイズであってもそうです。大きさでは無く形状の話ですから当たり前ですが。そうだとすると、小指は、本の内側に隠れていなくてはならないはずです。
このイラストレータが、現実の物体の構造を描写する一定の能力を備えていると仮定すれば、これはやはり、少なくともイラストに切り取られた時点では本を読んでいないと見るのが妥当な気がします。
私はてっきり、本を読んでいる途中に声をかけられたとか、そういう場面だと思い込んでいたのですね。でもよく考えると、片手に箒を持っているのだから、少なくとも、本を継続して読んでいる所、というのは不自然かも知れません。片手で読んでいても、ページを繰る時には両手を使うのですし(運動の構造機能の面では人間とほぼ同様である、という仮定が要りますが)。もちろん、何となく本の中身が気になって掃除の最中にちょっと見てたら(それなら箒は持ったままで良い)声をかけられて本をぱたんと閉じた、という場面の可能性もあります(読書と言うより確認)が、素直に解釈すると、掃除中に本を見つけて、「この本、どうしましょうか?」と尋ねている様子、みたいに思えます。
当然、これがどのような場面を描いたものかは、イラストを描いた人が知っている訳ですね。だから、そういう場面で間違い無いとか、そういう場面だからどうした、という事ではありません。私が言っているのは、先入見でもって描かれた場面を読み違えた、あるいは、詳細を確認しなかった、事の見方の甘さの話なのでした。それを前提した意見をいくつか見たから、そういう場面なのだろうと思い込んでいた。とても安易な見方です。
だから、その描写の捉え方によって、イラストの記号論的解釈も変わってくる、という話でもありません(実際、変わってくるでしょうが、それは別の問題なので)。