名取宏著『医師が教える 最善の健康法』

医師が教える 最善の健康法

医師が教える 最善の健康法

読みました。

本書は、一言で表現すると、穏当な本です。これをすれば必ずこうなるとか、絶対にこれはしてはならない、というような事は言いません(当然、タバコには厳し目ですが)。こうすれば健康になれると言い切る本がたくさん見られる中、本書はある意味で、健康本の類としては異色の本である、と言えるかも知れません。

穏当な表現は、見かたによっては、曖昧とかどっちつかずというようにも取られるかも知れません。しかし、こと医学・医療においては、主張は得られている知見に基づいておこなわれる必要があり、知見によっては、証拠が出揃っていなかったり、反対の結論が導かれた結果が複数あったりして、その場合には、あまり断定的にものが言えません。つまり、本書の穏当さは、医学的な誠実さからのものである、と考える事も出来ます。

構成は、読者が興味を持つであろう、各種の健康に関わるトピックを採り上げ、それらについて、現状得られている知見(論文)を参照しながら、これは大体このくらい摂るのが良いのではないか、とか、これは控えたほうが良いだろう、というように主張が展開されます。採り上げられている話題は具体的には、糖質制限食、がん検診、タバコ、ワクチン、運動、睡眠、飲酒、等々です。

たとえば飲酒。一日にボトル一本も飲むような事は身体に良く無いだろう、と考える人は多いでしょうが、では、一日あたりコップ半分飲む、くらいの量だとどうでしょう、酒は百薬の長のごとく、少量の飲酒ならば、むしろ健康に良い影響を与えるのかも知れませんし、反対に、酒に良い影響は見られず、飲まなければ飲まないほど良いのかも知れません。実際の所、今得られている知見からは、どういう事が言えるでしょうか。

次に、がん検診。がんは、見つけるのが早ければ早いほど良いと考えているかたは、たくさんおられるでしょう。しかし、実はそうでは無いのだ、と言われれば、どう思うでしょうか。
また、世界的に推奨されているがん検診は、実は3種類しか無い、と言われれば、驚くのではないでしょうか(※日本では5種類)。
更に、がん検診にもがある、と言われたらどうでしょう。具体的にどういった害があるか、想像が出来るでしょうか。

本書では、このような話題に関する知見が紹介され、どのようにするのがより望ましいかが、提案されます。

といっても、最初に書いたように、(特に、害や利益の程度が変わっていく境界の所については)こうすべきだとか、これはやってはいけないと、あまり厳格には言われません。
この種の知見は、集団を観察した結果得られたものですし、境界は個人差によって違ってくる事もあり、なかなかはっきりとは、こうすべきであるとは言えないものがあります。

利益や害があるかどうかはっきりしない所に関しては、心理的社会的経済的な事が考慮されています。健康になるためにはこれを守ろう、と強く言うものと較べて、優しい提案がなされている、という印象です。ある食物が健康に良い事が判っていたとしても、美味しく無いものを我慢して食べなくても良いでしょう、それよりは、摂り過ぎに気をつけて好きな物も含めてバランス良く食べましょう、と言った具合です。

このように本書は、健康にまつわる様々の話題が採り上げられ、知見に基づいて丁寧に論じられている物です。一読しておいて良いものと思います。

もちろん、語られている内容に異論を持つかたもあるでしょうし、各分野の専門家から見れば、納得のいかない箇所もあるやも知れません。本書は、それぞれの主張について、参照した論文が紹介されていて、主張に至る理路も明瞭に書かれています。その意味で、批判的な検討がやりやすい本です。批判に開かれている事は良書の条件であると、私は思います。

ここからは、気になった所。

まず、これは編集段階でも検討された所でしょうし、他の読者から同様の指摘もあると思われますが、最後のほうにある特別編(疫学の方法を概説してある部分)について、私は、ここを分割して、前半の部分を最初に持ってくるのが良かったのでないか、と思います。なぜなら、本書の読者の多くは疫学に不案内であり、なぜコーホート研究が良いのか、どうしてRCTが望ましいのか、といった所をあらかじめ把握しておかないと、本文を読みこなすのは難しいからです。

また、疫学や統計の用語については、もう少し説明があっても良かったと思います。たとえば、統計的に有意信頼区間といった統計学の術語、ハザード比相対リスクなどの疫学用語については、ほぼ説明がありません。
もちろん、これら専門用語は、理解する事自体が難しいものですが(統計的に有意などは、教科書ですら間違っている場合があります)、そうであっても、効果や害の具合を評価する際の根本となる概念ですから、ある程度は紙面を割いて説明する、のが良かったのではないかと思います。

それから、これは専門的な所ですが、疫学研究を説明する所で、症例-対照研究が解説されていない事が気になりました。
症例-対照研究は、タバコの害を実証する際に重要な役割を果たしたり、コーホート研究が困難な場合や、稀な疾病の原因を探る際に選択されるなど、疫学において極めて重要なデザインです。もちろん、なるだけ説明をシンプルに解りやすくする、などの理由からオミットする、といった事情は理解出来ますが、それでも、きちんと押さえておくべき所であったと思いました。

最後に、ある文書を紹介しておきます。

著者は Gordon H. Guyatt で、タイトルは、『Evidence-based medicine』。

1991 - Evidence-based medicine (Editorial) | 1991 Mar-Apr : Volume 114, Number 2, Page A16 | ACP Journal Club Archives