医療における《ラベリング効果》
「負のラベリング」についての明確な定義が見当たらないとの件、ぼくももうちょっとこだわって調べておくべきでした。公衆衛生の専門家に確認してみます。 https://t.co/OqV1t8iANp
— カワバタヒロト 秘密基地からハッシン!中 (@Rsider) 2020年11月19日
「負のラベリング」についての明確な定義が見当たらないとの件
↑何の話かと言うと、先日出版された川端裕人さんの本において、医療におけるラベリング効果に相当するものが紹介されていて、本の書評を書いた名取宏さんが、そこに言及した、という経緯です(※私は川端さんの本は未読)。
ラベリング効果ってのは、あれです。あなたはこれこれこういう病気です、と言われた時に心がざわっとする、あれ。で、川端さんの本では、色覚異常と判定される事による心理的負担が生ずる事を採り上げていて、名取さんはそれが、医療においてはラベリング効果と呼ばれる事があると紹介しているけれども、その概念について、明確な定義が見当たらなかった、と。
この流れを見ていて、確かに、医療におけるラベリング効果について、そういう現象がある事は、色々の本で採り上げているが、ラベリング効果と表現して定義を与えている記述はそんなに見た記憶が無いなあ、と思ったので、改めて、手許にある文献を調べてみました。
で、調べてみた所、上で書いたような、医療的な介入による心理的作用を、はっきりとラベリング効果と表現している本が、7冊ありました。その用語がどのように説明されているか、をまとめておくのは、参考資料としても価値があると考えますので、ここで引用します。
ただし、7冊とは言っても、
- 3冊は、同じ本の別の版
- 他の内の2冊は、同じ著者
- 後の2冊は、参考文献として、ここで紹介する他の本を挙げている
という感じです。先に書いたように、その現象自体は色々の本で解説されていますが、ラベリング効果の語を充てているのは、それほどメジャーな事では無いのかも知れません。
- 作者:久道 茂
- 発売日: 1998/08/01
- メディア: 新書
「ラベリング効果とは?」
ラベルを張られたための効果(labelling Effect)のことです。がん検診で「異常なし」といわれて一安心し、翌日から元気はつらつと仕事を始めるような効果が出るのを「陽性のラベリング効果」といいます。しかし、「要精密検査」などといわれて、すっかりしょげ込んで翌日からの仕事が手につかなくなるのを「陰性のラベリング効果」といいます。昔は、胃がん検診で、「要精密検査」といわれた人が胃カメラ検査を受け、その結果が出るまで二週間ぐらいかかったものです。なにしろ、撮影したカラーフィルムを現像するのが東京でしかできなかったのです。胃カメラの検査を行った内視鏡医師も、現在のファイバースコープ検査のように検査の時直接自分でみながら撮影するのではなく、まったく盲目的に勘を頼りに撮影しているので、現像したフィルムが届かないうちは診断ができなかったのです。それが、受診者のストレスとなって急性の胃潰瘍が発生することもありました。典型的な「ネガティブ・ラベリング効果」というわけです。がん検診に限りません。高血圧検診でも、糖尿病検診でもよくみられる現象です。職場の健康診断で、「血圧が高めですね」といわれただけで、がくんときて、仕事が手につかなかったり、挙句のはてには「自分で高血圧患者を演ずる」ことにもなります。「尿に糖がまったく出ておりません」といわれただけで、急に元気が回復し「では、今夜ひとつ……」となるなどは、まさしく「陽性のラベリング効果」でしょう。
↑(P196・197 強調は原文のまま)定義部分は、ラベルを張られたための効果
。定義と言うか、文字通りの表現。その後で、いくつかの例示をしています。実感として、そういう事あるよな、ありそうだよな、と思われるような例です。
第三の目的として、「安心を得る」ということがある。われわれは、がん検診を受けて「異常なし」の通知が来ると安心する。もっとも、この場合の安心には「見逃し」がないという前提である。安心すると今度は元気が出てくる。仕事にも張りが出る。これをプラスのラベリング効果(labeling effect)という。「ラベルを貼られたための効果」という意味である。マイナスのラベリング効果は、がん検診で「要精密検査」という通知が来て、もしやがんではないかと心配し、すっかりしょげかえって仕事も手に付かなくなる状態のことである。ひどいときには、ストレスが高じて、急性の「ストレス潰瘍」が発生し激痛と吐血の症状で入院することもないではない。この「安心を得る」という目的は、対策型検診ではあまり重要ではなく、任意型検診では受診者の重要な目的の一つである。
↑(P5・6 強調は原文のまま)これは、最初に紹介した本と同じ著者(久道茂氏)です。ですから、同じような説明となっています。最初の本は読み物風で、こちらはバリバリの(数少ない、がん検診の)専門書です。なお、この引用部は、検診の目的についての説明の一環です。
後でも触れる所ですが、最初の本では、陽性・陰性のラベリング効果と表現されており、こちらでは、プラス・マイナス
のラベリング効果となっています。
偽陽性も問題がないわけではない。スクリーニングで陽性とされることによって,不安を抱かせるなど精神的苦痛を与えることになるからである。このような精神的苦痛が日常生活の活動にも影響を及ぼすことを陰性ラベリング効果(negative labelling effect)という。
↑(P226・227 強調は引用者)
陽性ラベリング効果(positive labelling effect)とは,スクリーニングで陰性とされ,健康に自信がついて日常生活の活動が活発になることである。この一部分が偽陰性であるだけに,偽陰性についての倫理問題は大きくなるわけである。
↑(P227脚注 スクリーニング説明の著者は深尾彰氏。強調は引用者)
スクリーニングに限定して、精神的苦痛
や日常生活の活動が活発になる
といった作用をつけた、比較的狭めの定義です。
先に、ラベリング効果の方向について、陽性と陰性、プラスとマイナス、と表現されている、と言及しました。ここについて、私は、
ラベリング効果の方向づけについて、陽性・陰性と表現すべきでは無い
と考えています。理由は簡単で、
検査結果としての陽性・陰性と紛らわしい事この上ないから
です。検査で陽性が出たら陰性のラベリング効果が生ずるなんて言われても、何だそれややこしい、となりますからね。
- 作者:大木 秀一
- 発売日: 2017/12/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
また,病気でないのに“病気の可能性あり”といわれる偽陽性の場合の精神的苦痛,つまり負のラベリング効果(labelingはラベル貼りの意味)や差別の問題があります。
↑(P134 強調は原文のまま)ここでは、負の
ラベリング効果となっています。名取さんの表現もこれ。引用書では、対置される概念の紹介はありませんが、正のラベリング効果とするのが自然でしょう。あくまで、偽陽性(false positive)に伴う精神的苦痛という限定的な意味で用いられています。
ここから3冊は、同じ本の異なる版です。色々の疫学の本が参照している著名な教科書。上から古い版の順に紹介します(初版→改題・出版者変更の初版→第2版)。同じ本ではありますが、版の違い、翻訳者の違いにより、少しずつ表現が異なっています。それを検討してみるのも面白いでしょう。ちなみに、私は最新の版は、目を通した事はありますが、手許にはありませんので、引用できませんでした。
〈ラベリング〉(labelling)効果とは,患者が検査結果に対して抱く心理的変化のことである。ラベリング効果については,余り研究されていないが,今までの報告では,検査結果は,患者に時に重大な心理的効果を与えることが示唆されている。
理論的に,ラベリング効果は,正の方向にも,負の方向にも働く可能性がある。正のラベリング効果は,患者がスクリーニング検査全部が正常だと言われた時に生じるだろう。大ていの医師は,“良かった,これでまた一年働くことができる”というような反応を聞いた経験があるだろう。健康の鑑定書が与えられることが,その人の日々の活動に対する積極的な態度を増進している場合,それは,正のラベリング効果が生じたことになる。
一方,異常なものが何かあったと言われた場合,逆の心理的効果を起こすだろう。ある研究によると,初めて高血圧症と言われた製鉄工は3倍も欠勤が増えたという。そして,その欠勤の増加は,医学的な条件だけでは説明することはできなかった。その著者は,新たにラベルされた患者は,“『病人の役割』を演じてしまい,自分自身をより『かよわい者』と見なしてしまう”。偽陽性の患者の中でこの負のラベリング効果が生じた場合は特に問題である。スクリーニングの場合は有病率が低いために,偽陽性がよく起こるから,このことには注意を要する。そのような状況では,スクリーニングの努力は,益よりむしろ害をもたらすこととなろう。
↑(P90・91 強調は引用者)この本の説明は、いかにも定義っぽい風です。患者が検査結果に対して抱く心理的変化のこと
、という説明。対象としたい(措定したい)現象の性質(心理的社会的要因の絡んだ現象の生起)を考えるならば、こういった、定性的でより広汎な表現でもって定義を与えるのが、妥当なのでしょう。
ちなみに、この版の訳者である久道氏は、最初に紹介した2冊の本の著者(がん検診研究のパイオニア)、深尾氏は、『今日の疫学』から引用した部分の著者です。
ここで紹介されている、製鉄工へのラベリング効果(高血圧症)を研究したのは、こちら↓
Increased Absenteeism from Work after Detection and Labeling of Hypertensive Patients
- 作者:フレッチャー,ロバート・H.,フレッチャー,スーザン・W.
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 単行本
※Amazonには改題初版のリンクが無いようなので、第2版へのリンクを張り、初版→第2版の引用を記載します
ラベリング効果(labeling effect)とは検査や診断の患者に与える心理的影響をいう.検査結果が患者に重大な心理的影響を及ぼしうることがラベリングについての研究により示されている.
ラベリングは患者に害を及ぼすこともあれば,益になることもある.スクリーニングテスト結果がすべて正常といわれたときには,よいラベリング効果が起こるかもしれない.そのようなときには,“よし,これから1年しっかり働けるぞ”などという反応を医師は耳にするだろう.健康という立派な証明書を与えることが日常生活をよい方向に促すなら,よいラベリング効果があるといえる.
一方,何か異常があるといわれた場合には,反対の心理的影響を及ぼすかもしれない.マンモグラフィーが偽陽性であった女性(マンモグラフィーで疑わしい結果であったが引き続いての精査では癌が認められなかった女性)についての研究で,報告された後の数か月間は半数がマンモグラフィーに関係した不安に陥り(47%),41%の女性が乳癌でないかと悩んだ.そして,17%の女性は日常生活に支障をきたしたと報告された.
スクリーニングテストのラベリング効果は,とくに遺伝子スクリーニングの過程で重要な問題になるかもしれない.ハンチントン舞踏病の遺伝子が同定され,患者の親戚は優性遺伝で致死的遺伝子を保持しているかどうかが検査できる.このような検査は結婚して子どもをもつべきか悩む者には手助けになるだろう.将来病気になるかどうか不確かだがリスクと関連がある遺伝子についてはもっと頻度が高く,複雑である.たとえば,大腸癌や乳癌に関連する遺伝子が何種類かわかっている.この場合,これらの遺伝子をもっている多くの人々が癌にならず,それらの遺伝子をもたない多くの人が癌になるだろう.しかし,将来の出来事について危険遺伝子をもっていると宣告された者は,長期間にわたり悲惨な出来事が起こる可能性とともに生きなければならない.
偽陽性のときの負のラベリング効果は,とくに倫理的問題を含んでいる.このような状況では,スクリーニングは健康感の代わりに傷つきやすい感情を高め,益より害をもたらすかもしれない.
↑(初版:P181・182 強調は原文のまま)前の版では、検査結果に対して
となっていた所、こちらでは、検査や診断の
となっています。また、他の本では、検診の文脈での判定や、偽陽性・偽陰性に伴う心理的作用の事と限定してましたが、理論的に考えれば、正しい診断であっても、そういう診断結果が出た、と認知して、様々の(良くも悪くも)心理的作用を及ぼすので、より一般的な定義を考えれば、本書のような説明を採用しておくのが良さそうに思います。
ラベリング効果の研究について、前の版においては、ラベリング効果については,余り研究されていない
と書かれていますが、新しいほうでは、検査結果が患者に重大な心理的影響を及ぼしうることがラベリングについての研究により示されている.
とあります。研究の紹介も、高血圧症のラベリング→乳がん検診 と変更しています。乳がん検診におけるラベリング効果の研究は、こちら↓
Psychological and Behavioral Implications of Abnormal Mammograms
重要なのは、ラベリング効果なるものが、単に理論的に想定されていて、日常的な経験からも理解しやすい、という事に留まらず、定量的な研究もきちんとおこなわれている所です。こういう現象も起こりそうですよね、と言うだけでは、じゃあどのくらいそうなるのか、との問いには答えられませんしね。尤も、これはどちらかと言えば、心理学的研究対象であり、研究法の観点からも、アプローチが異なってくるだろうから、評価・検討は慎重におこなう必要があるでしょうけれども。
検査結果は,患者に重大な心理的影響をおよぼす可能性がある。検査や診断が患者に与える心理的な影響を,ラベリング効果(labeling effect)という。よいスクリーニング検査は,ラベリング効果を患者に与えないものとされる。
ラベリングは患者に益をもたらすこともあれば,害をおよぼすこともある。スクリーニング検査の結果がすべて正常といわれた場合には,正のラベリング効果が起こると考えられる。そのような場合には「よし,これから1年しっかり働けるぞ」などという反応を医師は耳にするだろう。健康という証明を与えることで日常生活がよい方向に促されたならば,正のラベリング効果があったといえる。
一方,スクリーニング検査に異常があり,さらに検査が必要であるといわれた場合には,反対の心理的な効果が起こると考えられる。
癌のスクリーニング検査では,特にこれが顕著である。スクリーニング検査で新たな癌が見つかった場合,患者が動揺し,負のラベリング効果によって困惑することは当然予想できる。
しかしながら,いくつかの報告によれば,スクリーニング検査で異常を指摘されたあとに精査によって癌がないことが明らかにされ(つまり,検査が偽陽性であったということ),すべてが正常であると説明を受けていても,同様に負のラベリング効果がある。スクリーニングの結果が偽陽性である人が真陽性である人よりも常に数が多く,偽陽性の群に属す人は疾患をもっていないため,負のラベリング効果は特に倫理的に問題がある。このような状況では,スクリーニングは健康ではなく傷つきやすい感情を高め,益よりも害をもたらすと考えられる。
EXAMPLE マンモグラフィが偽陽性であった女性(マンモグラフィで疑わしい結果が出たが,引き続いての精査では癌が認められなかった女性)についての研究で,ほぼ半数(47%)がその数ヶ月後にマンモグラフィに関連した不安に陥り,41%が乳癌ではないかと悩んでいた。また,17%の女性は不安により日常生活に支障をきたしたと報告された。他の研究でも,“マンモグラフィの恐怖”後に乳癌を心配し続ける女性に関して報告されている。血圧のスクリーニングと同様に,他の癌においてもスクリーニングで異常を指摘された場合には不安が生じる。つまり,「スクリーニング検査の結果,正常とはいえないので検査を続けましょう」といわれても,それに反応してはいけないのである。
ラベリング効果は,ときに予測できないことがある。
EXAMPLE 優性遺伝を示すハンチントン病では,神経学的な状態が中年期において悪化し,痴呆,舞踏病,死を招く。患者の親族は,遺伝によって致死的な遺伝子を有しているかを検査できる。このような検査は,結婚して子供を持つべきか悩む人には手助けになるだろう。しかし、この遺伝子を有していると宣告された人が心理的な影響を受けることは,容易に予想される。ある報告によると,遺伝子スクリーニング検査で陰性であることが判明すると,心理的健康度の改善を認めることが示唆された。これは正のラベリング効果といえる。さらに,有害遺伝子を有していることが判明した人でも,わずかではあるが心理的健康度の改善を認めることも示されている。これはおそらく,不確定であることに悩まされずにすむことによるものだろう。また,乳癌と卵巣癌のリスク上昇をもたらす遺伝子変異の検査の研究では,検査で変異がなかった場合は心理的健康度の改善を認め,一方,変異が判明しても心理的健康度の悪化はわずかであるか,あるいはほとんどなかったと報告されている。
↑(第2版:P163 強調は原文のまま)
説明が、より詳細になっています。それだけ、ラベリング効果が重要な概念という事なのでしょう。特に近年は、がん検診が推進され、それに伴う害の問題が取り沙汰される事があり、また、いわゆる遺伝子検査なものも、結構カジュアルに受けられるようになってきていますから、より具体的に検討する必要のある対象と捉えられるのでしょう。異常を指摘されたのに好ましいラベリング効果をもたらす可能性もある事は、大変興味深い所です。人間の心理の複雑さを思わせます。
紹介されている、ハンチントン病のスクリーニングに伴うラベリング効果についての研究は、こちら↓
The Psychological Consequences of Predictive Testing for Huntington’s Disease
実際にスクリーニング対象の疾病を有しており、かつ、その疾病に対する有効な処置が存在するのであれば、検査によって疾病を発見し、それが好ましく無いラベリング効果をもたらすとしても、疾病の治癒(に伴う症状の低減や発生防止)といった便益も同時に生ぜしめるために、利益が害を上回ると評価され、スクリーニングは正当化される訳です。しかるに、場合によっては、疾病を有していないのに有しているだろうと判定される事や、確かに疾病を有してはいるが、それは実は症状をもたらさないものである、というようなケースもあります。何度か言及しているように、これは特に、がん検診などで問題となります。がんは、症状を発現せず予後に影響を与えないものから、症状が出て数ヶ月で死に至らしめるものまで、広いバリエーションがあります。見つけるのは重要だが、見つけさえすれば良いもので無いという、とても厄介な対象です。
川端さんが書かれたという、色覚異常(その適切な表現は何か、についても議論されているのでしょう)に関しても、それをスクリーニングする事には、様々の難しい問題があるのだと思います。それがもたらす症状が、形態的な変化や痛みのような体性感覚的なものでは無く、視覚という知覚が異なっている(何と異なっているか、どれくらい異なるか、が重要なのでしょう)、いわゆるクオリアに関するものであるために、がん検診などの議論とは異なったアプローチが必要なのでしょうね。その際に、名取さんや川端さんが言及なさったラベリング効果に着目する事も、重要になってくるものと考えられます。